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被害者面だけはお上手ですこと。では、わたくしも同じ手を使わせていただきますわ  作者: 月雅


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第9話「最後の涙」

終わりは、思ったよりも静かに来るものだ。


エステラがその報せを受けたのは、審議から一週間が過ぎた夕刻のことだった。侍女が控えめに扉を叩き、短く告げた。


「アルヴィン殿下が、ミルフィーユ様とお話しされているそうです。殿下のお部屋に、ミルフィーユ様がお呼ばれになったと」


先日の「本当のことを話してくれ」から、数日。アルヴィンの中で何かが動いたのだろう。噂は止まらなかった。ミルフィの証言の矛盾。控室での素の声。味方だった令嬢への冷淡な態度。それらが少しずつ、しかし確実に、アルヴィンの周囲に積もっていった。


エステラは刺繍の手を動かし続けた。


わたくしの出る幕ではない。


これはアルヴィンとミルフィの間の問題だ。エステラが介入すれば、どう転んでもエステラの品位を損ねる。傍観する。それだけが正しい。


だが、胸の奥では別の問いが渦を巻いていた。


わたくしの演技も、あの子と同じ穴の狢ではないのか。


庭園で泣いた。計算し尽くした涙で周囲の心証を動かした。ミルフィの嘘泣きを批判する資格が、果たして自分にあるのか。


エステラは針を止め、窓の外を見た。


答えは出なかった。出ないまま、夜が更けていった。


翌朝。


侍女の報告は、詳細だった。アルヴィンの侍従から、侍従仲間を経由して、エステラの侍女の耳に入った情報。


アルヴィンはミルフィを自室に呼んだ。護衛が扉の外に控え、侍従が隣室で待機する通常の配置。完全な私室ではないが、二人で話ができる環境だった。


アルヴィンはミルフィに尋ねた。


審議での証言について。出席記録との矛盾について。控室で声を荒らげたという噂について。


一つ一つ、静かに。


ミルフィは最後の手段に出た。


「全て、エステラ様が怖かったの。わたし、ただ殿下のお傍にいたかっただけ——」


涙を流した。声を抑え、目に涙を溜め、必死に堪えようとしながら零す。健気泣きの最上級。だが今回は、これまでと違うものが混じっていた。


「殿下のお傍にいたかった」。


それは、おそらく本心に近い言葉だった。嘘と真実が混ざった涙。計算と感情の境界が曖昧になった涙。追い詰められた人間が最後に見せる、もっとも判別が難しい種類の涙。


アルヴィンは動揺した。侍従の証言によれば、アルヴィンは長い沈黙の後、椅子から立ち上がり、窓に背を向けて黙っていたという。


ミルフィの涙を信じたかったのだろう。信じることで、自分の一年間の判断が正しかったと確認したかったのだろう。


だが。


その場に、書面が届いた。


レオンハルトからだった。政務補佐の職務として、王家会議の追加精査に関する書類をアルヴィンに回送する、という正規の手続き。書面には、ミルフィの証言の時系列と、書記官の出席記録の照合結果が整理されていた。


レオンハルトが表に出た。


アルヴィンの命令で直接の接触を控えていたが、政務補佐として王家会議に関する書類を王太子に回送することは職務の範囲内だった。この書面を送ること自体に、アルヴィンが禁じた「肩入れ」の要素はない。事実の整理を、事実として提出しただけだ。


だが、その事実は重かった。


ミルフィの証言と出席記録の矛盾が、一覧表として並べられていた。日時ごとに、ミルフィが「脅された」と主張し得る期間のエステラの行動が記録で裏付けられている。空白の時間帯がほとんどないことが、一目で分かる書式だった。


アルヴィンは書面を読んだ。


そしてミルフィに向き直った。


侍従の証言によれば、アルヴィンの声は静かだったという。怒りでも軽蔑でもない。ただ、疲れた声だった。


「もう、いい」


二語だった。


ミルフィは泣き続けていた。だがアルヴィンはもう、その涙を見ていなかった。窓の外を見ていた。


「もう、いいんだ」


明確な糾弾ではなかった。怒鳴ることも、罪を問うこともしなかった。ただ、静かに手を離した。


ミルフィの涙が止まらなかった。だがその涙にアルヴィンが反応しないことで、涙は初めて武器としての機能を完全に失った。


誰も庇いに来ない涙は、ただの涙だった。


エステラがこの詳細を知ったのは、その日の夜だった。


侍女が語る侍従の伝聞を、エステラは黙って聞いた。


聞き終えた後、しばらく何も言わなかった。


勝った、のだろう。


ミルフィの虚構は崩壊した。アルヴィンは手を離した。王家会議の追加精査の結果、ミルフィの証言の信頼性は著しく低下し、婚約破棄の提起は撤回される方向に動くだろう。ミルフィは宮廷での影響力を完全に失い、男爵家を通じて処遇が決まるはずだった。


だが、達成感はなかった。


あったのは「終わった」という虚脱だけだった。


ミルフィの最後の涙。「殿下のお傍にいたかっただけ」。あの言葉が、頭から離れなかった。


あれは嘘だったのか。本当だったのか。嘘と本当が混ざっていたのか。


エステラには判別できなかった。前世で十年間、感情を分析し続けてきた自分にも、あの最後の涙の真偽は分からなかった。


もしあれが本物の感情を含んでいたのなら。


ミルフィは、最後の最後で、初めて本当の涙を流したことになる。


だが、それを信じてもらえなかった。それまでの嘘が多すぎて。


エステラは自室の鏡を見た。公爵令嬢の完璧な顔が映っている。前世の記憶を持つ、感情制御のプロの顔。


自分もまた、嘘の涙を流した人間だった。


その事実は変わらない。


夜が更け、学園の敷地が静まり返った頃。


エステラが自室の前の廊下を歩いていると、角を曲がったところに人影があった。


レオンハルトだった。


政務書類を抱えている。この時間に廊下にいるのは不自然だったが、政務補佐の業務は不規則な時間帯に及ぶことがある。


二人の距離が近づいた。侍女が数歩後ろに控えている。


レオンハルトが足を止めた。エステラも止まった。


「聞いたか」


短い問い。


「ええ」


短い答え。


レオンハルトはエステラの顔を見た。勝利者の顔を探しているようだった。だが、そこにあったのは疲労と虚脱だけだった。


「まだ泣けるか?」


その問いかけに、皮肉の響きはなかった。


エステラは小さく首を振った。


「今は——泣く理由がありませんわ」


レオンハルトは何も言わず、わずかに頷いた。


それだけの会話だった。レオンハルトは書類を抱え直し、廊下の先へ去っていった。


エステラは自室の扉に手をかけた。


終わった。


長い一日が終わった。長い戦いが終わった。


だが、涙は出なかった。演技の涙も、本物の涙も。


ただ、静かな疲労だけが、身体の芯に残っていた。

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