第5話「水面下の駒」
審議までに、何を揃えられるか。
王家会議の審議日程が通知されたのは、茶会の騒動から三日後のことだった。審議は十日後。その間、双方の主張を整理し、証拠と証言を準備する猶予が与えられる。
エステラは自室の書き物机に向かい、ミルフィの「被害証言」の内容を書き出していた。
茶会の場でミルフィが訴えた内容。「エステラ様に脅された。人のいない場所で、もう殿下に近づくなと言われた。逆らえば、どうなるか分かっているでしょうと」。
場所は特定されていない。日時も曖昧だった。「いつ頃だったの」と問われれば、ミルフィは涙ぐんで「怖くて、はっきりとは——」と答えを濁すだろう。曖昧さそのものが武器になる。特定されなければ、反証もされない。
だが、もしその曖昧さを具体的な日時に落とし込めたなら。
そして、その日時にエステラが別の場所にいたことを証明できたなら。
王家会議は物的証拠と証言の信憑性を重視する。涙の効力が通じにくい場所。そこで証言の矛盾を突ければ、ミルフィの言葉の土台が揺らぐ。
問題は、その証拠をどうやって揃えるかだった。
学園の回廊。政務書類の受け渡しという名目は、二度目になると自然に形が整っていた。
レオンハルトは書類の束を持ち、回廊の窓際に立っていた。エステラが侍女を伴って近づくと、書類を差し出しながら声を落とした。
「審議日程は聞いたか」
「ええ。十日後ですわ」
「ミルフィーユの証言について、一つ気になることがある」
レオンハルトは書類を手渡す動作を続けながら、視線を書面に落としたまま話した。傍目には政務の打ち合わせにしか見えない距離感と声量。
「あの娘の証言は日時が曖昧だ。だが、茶会の場で『人のいない場所で脅された』と言っている。場所と時間がどちらも不特定なら反証は難しい。しかし——」
レオンハルトが一枚の紙片を書類の間に挟んだ。
「審議では証言の具体性が求められる。宰相は細かい人間だ。『いつ、どこで』を必ず問う。ミルフィーユがそこで具体的な日時を出した場合——」
「その日時に、わたくしが別の場所にいたことを証明できれば」
「そういうことだ」
エステラは挟まれた紙片にちらりと目をやった。数字と日付が並んでいる。
「これは」
「政務補佐として書記官の出席記録を確認する権限が俺にはある。通常業務の範囲だ。ここ数ヶ月の公式行事の出席簿を照会した」
レオンハルトの声は淡々としていた。感情を込めず、事実を述べている。
「公式行事の出席記録には、出席者の名前と時刻が書記官の筆写で残る。グランツハイム嬢、君はこの数ヶ月、学園と宮廷の公式行事にほぼ全て出席している。つまり、ミルフィーユが『脅された日時』として挙げ得る期間の大半について、君が別の場所にいた記録が存在する可能性が高い」
エステラは書類を受け取りながら、その意味を咀嚼した。
ミルフィの証言が曖昧なままなら、反証は難しい。だが、審議の場で具体的な日時を問われ、答えた瞬間——その日時がエステラの出席記録と重なれば、証言は崩れる。
「直接攻撃ではありませんのね」
「証言の信憑性を崩す材料を揃えるだけだ。相手を攻撃するんじゃない。相手の言葉が自分で矛盾するように、場を整える」
エステラは小さく息をついた。
前世のクレーム対応を思い出す。「あの時こう言われた」と主張する客に対して、防犯映像の時刻記録を確認する作業。言った言わないの水掛け論を、記録で決着させる手法。
同じだ。原理は同じ。
「殿下は、なぜここまでしてくださるの」
問いかけが口をついて出た。回廊での会話の範囲を超えかけている自覚はあった。
レオンハルトは一瞬だけ視線を上げ、エステラを見た。
「味方という言葉は使わないと言った。事実を集めて、事実に基づいて判断する。今のところ、事実はあちら側に不利な方向を向いているだけだ」
「それだけですの?」
「それだけだ」
素っ気ない答え。だが、その素っ気なさの中に嘘がないことを、エステラは感じ取っていた。この人物は、自分の行動原理に正直だ。感情ではなく論理で動く。だからこそ、信用できる。
レオンハルトが書類の残りを回収し、踵を返しかけた。
「出席記録の写しは、明日の政務書類に挟んでおく。グランツハイム嬢の方で、ミルフィーユの証言と照合する作業が要る」
「承知いたしましたわ」
「それと——」
レオンハルトが足を止めた。振り返らない。
「俺たちの接触が増えていることは、侍女の目がある以上、噂になる可能性がある。政務書類の受け渡し以外の名目は作るな」
「心得ておりますわ」
レオンハルトは頷きもせず、回廊の角を曲がっていった。
翌日、約束通り政務書類の中に出席記録の写しが挟まれていた。
エステラは自室でそれを広げ、ミルフィの証言と照合する作業に入った。
ミルフィが茶会で語った内容を再構成する。「人のいない場所で脅された」。時期は明言されていない。だが、ミルフィが学園に入学してからの期間に限定される。ミルフィの入学は昨年。約一年の間に、エステラが「人のいない場所」でミルフィと二人きりになる機会がどれだけあったか。
出席記録を一日ずつ照合していく。
結果は明快だった。
エステラはこの数ヶ月、公式行事と講義の出席率がほぼ完璧だった。公爵令嬢として欠席は体面に関わるため、当然のことではあるが、記録として残っている事実は重い。
とりわけ、ミルフィが「脅された」と主張し得る期間——ミルフィがアルヴィンと親しくなり始めた時期以降——のエステラの行動は、ほぼ全て公的記録で裏付けられていた。
空白の時間帯は限られている。早朝と夜間、そして休日の私室にいる時間帯のみ。
もしミルフィが審議の場で具体的な日時を挙げたなら。その日時に、エステラが公式行事に出席していた記録があれば。
「この日ですわね」
エステラは一つの日付に指を置いた。ミルフィが最も「脅された時期」として挙げそうな日。アルヴィンとミルフィの親密さが周囲に知れ始めた頃。エステラが「嫉妬から脅した」という物語が最も説得力を持つ時期。
その日、エステラは午前から夕刻まで、王家主催の園遊会に出席していた。書記官の出席記録に、到着と退出の時刻が明記されている。
ミルフィの証言に、初めて具体的な綻びが見えた。
エステラは記録の写しを丁寧に畳み、審議に向けた書類の中に収めた。
これが、審議での武器になる。涙ではない。記録という、感情に左右されない証拠。
その夜。
侍女がエステラの部屋を訪ねた。
「お嬢様。本日、ミルフィーユ様がアルヴィン殿下のお部屋をお訪ねになったそうです。殿下とかなり長くお話しされていたと、殿下の侍従が申しておりました」
エステラは手を止めた。
「内容は」
「詳しくは——ただ、ミルフィーユ様がお泣きになっていたと」
泣いていた。
何を、泣いて訴えたのか。
エステラの脳裏に、嫌な予感がよぎった。
ミルフィは焦っている。王家会議という、涙が通じにくい場に引きずり出されることへの焦り。その焦りが、新たな手を打たせる。
アルヴィンに泣いて訴えた内容が何であれ、それはエステラに向けられた次の攻撃になる。
翌朝、その予感は的中した。
学園の回廊で、すれ違った令嬢が目を逸らしながら、連れの令嬢に囁くのが聞こえた。
「聞いた? エステラ様とレオンハルト殿下が、最近やけに親しいって」
「えっ、まさか。婚約者がいらっしゃるのに——」
ミルフィが、アルヴィンに告げ口したのだ。
エステラとレオンハルトの仲を。涙ながらに。




