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被害者面だけはお上手ですこと。では、わたくしも同じ手を使わせていただきますわ  作者: 月雅
第3章

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第6話「父と子」

二人の息子が揃って来たのは、いつ以来だろうか。


エステラがその問いを思い浮かべたのは、レオンハルトの報告を聞いた時だった。回廊の窓際。舞踏会の二週間前。謁見を終えたレオンハルトの声は、いつもの平坦さを保っていたが、その奥にある温度がわずかに違っていた。


「国王陛下への謁見が終わった」


エステラは書類を受け取る手を止めた。


「兄上と二人で、父上の前に立った」


レオンハルトの声は低かった。報告の声だったが、政務の報告とは質が異なっていた。声の奥に、まだ整理しきれていない感情の残響があった。


「兄上が最初に話した。『王太子として続ける意志がある』と。再教育を通じて、自分の過ちに向き合った。判断が甘く、感情に流されやすかった。それを認めた上で、王太子としてやり直す。そう述べた」


エステラは黙って聞いた。


アルヴィンの声を、想像した。あの審議の間で婚約解消に同意した時の、自尊心を押し殺した短い一言。あの時よりも、もう少し確かな声だっただろうか。再教育の三ヶ月弱で、あの人の中の何が変わり、何が残ったのか。


「次に俺が話した。『王位は望まない。政務補佐として国に仕える』と」


「陛下は」


「長い沈黙だった」


レオンハルトが一拍の間を置いた。


「兄上と二人で立っている間、父上は何も言わなかった。俺たちの言葉を聞いてから、しばらくの間、ただ二人の顔を見ていた」


沈黙。国王の沈黙。


エステラには、その沈黙の重さが想像できた。国王は二人の息子の言葉を、二つの基準で量っていたはずだった。一つは王国の統治者としての政治的判断。もう一つは——。


「父上がこう言った」


レオンハルトの声がわずかに変わった。平坦さを保とうとしていたが、何かが滲み出ていた。


「『王太子の変更は行わない』と。明確だった。迷いのない声だった」


エステラは小さく息をついた。


王太子変更論が、国王の明言により沈静化に向かう。カッセル侯爵の「担ぎ上げ」計画は、その前提が崩壊した。


「それから——」


レオンハルトが言葉を切った。再び間が空いた。珍しいことだった。この人は事実を述べる時に言葉を選ばない。思考と言語が直結している人間だった。その人間が言葉を探している。


「父上が、こう言った。『レオンハルト。お前が兄と揃って来たことは、政務の報告書よりも雄弁だった』と」


エステラの胸の奥で、何かが静かに揺れた。


政務の報告書よりも雄弁。


それは政治的な評価ではなかった。二人の息子が——かつて溝を深くし、政務の移管で距離を置き、兄弟の関係が冷えたまま固まっていた二人が——揃って父の前に立った。その事実に対する、父としての言葉だった。


国王が、父の顔を見せた瞬間。


「続けて、『お前の今後については——冷却期間の件も含め、私も考えがある』と」


エステラの心臓が一拍、強く打った。


冷却期間。


国王がその言葉を出した。非公式だが、肯定的な方向を示唆する含みだった。


「それだけか」


レオンハルトが首を振った。


「もう一つある。謁見が終わった後、兄上が俺に一言だけ聞いた」


「何と」


「『グランツハイム嬢か』と」


エステラの呼吸がわずかに止まった。


アルヴィンが。かつての婚約者の名前を、弟に確認した。


「俺は答えた。『ああ』と」


「アルヴィン殿下は——」


「『そうか』とだけ言った。それで終わりだ」


エステラは目を伏せた。


短いやり取りだった。だがその短さの中に、多くのものが折り畳まれていた。


アルヴィンはかつてエステラを断罪しようとした。ミルフィの涙を信じ、エステラを悪者に仕立てようとした。婚約の解消に至るまでの経緯は、アルヴィンの判断の甘さと感情への依存が原因だった。


そのアルヴィンが、今、弟に「グランツハイム嬢か」と聞いた。


確認であって、非難ではなかった。レオンハルトの「ああ」に対して「そうか」とだけ返した。かつての婚約者の名前に、もう痛みはなかった。あるいは、痛みがあったとしても、それを弟にぶつけることはしなかった。


再教育の三ヶ月弱が、アルヴィンの中の何かを変えたのだろう。自分の過ちに向き合い、自分もまた駒にされていたと知り、その上で王太子として立ち直ろうとしている。弟の婚姻について感情を差し挟まないことは、その自省の一つの形だった。


「殿下」


エステラは顔を上げた。


「国王陛下の前に立たれた時——怖くはございませんでしたの」


レオンハルトは数拍の間、何も言わなかった。


「怖かった」


その一言は、予想していなかった。


レオンハルトが「怖い」と認めるのは、庭園で「感情で動くことが怖い」と言った時以来だった。


「父上の前で、兄上と並んで立つ。それは——政務の話をしに行くのとは違った。兄弟の関係を見せることだった。公の場に、感情を持ち込むことだった」


声は低かった。


「感情で動けば兄上のようになる。そう思っていた。だが——」


レオンハルトが一瞬だけ、視線を窓の外に向けた。


「兄上が隣にいた。感情で動いて失敗した人間が、自省を経て、もう一度立とうとしている。その兄が隣にいて——感情で動くことと、感情に振り回されることは、違うのかもしれないと思った」


エステラは息を止めていた。


この人が、自分の恐怖を言葉にしている。感情を認めることへの恐怖。兄と同じになることへの恐怖。その恐怖を、超えようとしている。


「まだ分からない。完全には。だが——兄上が隣にいたことは、楽だった」


楽だった。


レオンハルトの口からその言葉が出たことに、エステラは小さな驚きを感じた。この人は「楽」という感覚を自分に許さない人間だった。常に合理的であろうとし、常に事実に基づこうとし、感情を認めることすら恐怖の対象だった。


その人が「楽だった」と言った。


兄弟の溝は修復されたわけではない。だが、揃って父の前に立ったことで、溝に架かった橋が少しだけ太くなった。


「殿下。陛下のお言葉——『報告書よりも雄弁だった』という——あれは判断ではなく、情でしたわね」


レオンハルトが視線を戻した。


「そうだな」


短い同意だった。だがその声に、動揺の残響があった。


国王の言葉に、判断ではなく情を感じた。政治的な評価ではなく、父としての感慨を受け取った。それはレオンハルトにとって、想定外の感情体験だったのだろう。


事実と論理で判断する人間が、情に触れた時の戸惑い。


エステラは微笑んだ。小さく、だが確かに。


「殿下が国王陛下の前に立たれた重みは、わたくしには想像することしかできません。けれど——怖かったと仰ってくださったこと、嬉しゅうございますわ」


レオンハルトは答えなかった。


だが、視線を逸らさなかった。


夕刻。自室に戻ったエステラのもとに、侍女が報告を持ってきた。


「お嬢様。国王陛下が近日中に、冷却期間の終了を宣言されるという話が宮廷内に出ております」


エステラの手が、刺繍枠の上で止まった。


冷却期間の終了。


国王の「考えがある」という含みが、具体的な形を取ろうとしていた。


舞踏会まで十日余り。


エステラは窓の外を見た。夕暮れの空が広がっている。


レオンハルトが父王の前で感情を公にした。兄と並んで立った。その重みを「怖かった」と認めた。


国王が息子たちの姿に情を感じ、それが制度的な判断に影響しようとしている。


壁が動き始めていた。


冷却期間が終われば——レオンハルトは、あの言葉を口にできるようになる。


舞踏会で。全貴族の前で。


エステラの胸に、期待と恐怖が同時に生まれた。


待つことしかできなかった時間が、終わろうとしていた。


次は——エステラ自身が、答えを出す番だった。

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