勇者が初めて泣いた場所
アレンが三十回目にSOLITAIREに来た日、彼はいつもと少し違った様子だった。
表情が固い。コーヒーを注文する声が、心なしか低い。窓の外を見ているようで、実際には何も見ていない目をしている。
カインはそれを見て取ったが、何も言わなかった。コーヒーを淹れ、アレンの前に置き、カウンターへ戻った。
しばらくして、アレンが口を開いた。
「……仲間に会った」
カインは黙って聞いた。
「魔王討伐のときの、パーティメンバー。三年ぶりに」
アレンは続けた。
「みんな、幸せそうだった。リオンは故郷に帰って農場を継いで、結婚した。エリナは神殿で働いて、子供の魔法の先生をしてる。カルロスは商人になって、けっこう繁盛してるらしい」
「……それは良かったですね」
「そうだな」
また沈黙が来た。
「俺は……まだあのときを引きずってる。三年経っても、毎晩夢を見る。最終決戦の夢。魔王の顔。みんながやられていく夢」
カインはコーヒーの準備をしながら、静かに聞いていた。
「みんなはちゃんと前に進んでるのに、俺だけ、英雄のままで、どこにも行けない」
アレンの声が、少し揺れた。
「……幸せそうな顔を見たら、よかったって思った。思ったんだけど、同時に……なんか置いてかれたみたいで」
カインは何も言わなかった。
アレンも、しばらく何も言わなかった。
静寂の中で、アレンの目から、一粒、涙が落ちた。
本人も気づかないような、静かな涙だった。
カインはそれを見たが、声をかけなかった。ただ、テーブルに小さなハンカチを、音もなく置いた。真っ白な、清潔なハンカチだった。
アレンはそのハンカチを見て、ゆっくりと手を伸ばした。目元を押さえた。
「……すまない」
「いいえ」
「泣くつもりじゃなかった」
「わかっております」
それだけだった。
カインは何一つ余分なことを言わなかった。「泣いていいんですよ」も「つらかったんですね」も「英雄だって人間ですよ」も言わなかった。
ただ、ハンカチを置いた。
アレンは十分ほど、無言のままコーヒーを飲んだ。目が少し赤かったが、それを誰も見ていない。隣の席には仕切りがある。
「なあ、カイン」
「はい」
「俺は、いつか普通の人間に戻れると思うか?」
カインは少し間を置いた。それから、こう言った。
「普通というのが何を意味するかによりますが、ここでは、今すでに普通のお客様でいらっしゃいます」
アレンは、その言葉を受け取った。
普通のお客様。英雄でも、勇者でも、銅像でもない。ただの客。
「……そうだな」
アレンは、初めてここで、微かに笑った。
帰り際、彼はハンカチをカウンターに返した。
「洗って返します」
「返却不要です。そのためのものですので」
「じゃあ、もらっておく」
アレンはハンカチを胸ポケットに入れて、扉を開けた。
外の空気が、少しだけ冷たかった。でも、嫌な冷たさじゃなかった。




