セラの夜
医師のセラが来るのは、いつも夜だった。
仕事帰りに、疲れた顔で来て、濃いコーヒーを飲んで、帰っていく。話すこともあれば、一言も話さない夜もあった。
その夜は、珍しく早い時間に来た。
「今日は早いですね」
「非番でした。でも、なんとなく来たくて」
席に着いて、コーヒーを頼んだ。
「良い日でしたか、今日は」
「良い日でした。患者が一人、退院した。三ヶ月入院していた方で、元気になって帰っていった」
「それは良かったですね」
「退院の日、その方が私に花を持ってきてくれた。シルヴィアさんの花屋の花でした」
カインは少し目を細めた。
「そうでしたか」
「白い小花でした。香りが良くて。こういうときの気持ちは、どこに置けばいいのかわからなくて、ここに来ました」
「嬉しすぎて、置き場がなかったのですか」
「そうかもしれない。悲しいときはここに来る場所だと思ってたけど、嬉しいときも来ていいんですか」
「もちろんです」
セラはコーヒーを飲んだ。
「なんか、嬉しいことがあったときに、一人でいたいって思うのは変ですか」
「変ではないと思います」
「誰かと喜びを分かち合わないといけない気がして、でも今日は一人でいたかった」
「嬉しさを、静かに味わいたかったのですね」
「そうかも。大きな声で喜んだら、薄まりそうで」
カインはおかわりを持ってきた。
「嬉しいときに一人でここに来てくださるのは、私にとっても嬉しいことです」
セラはカインを見た。
「あなたが嬉しい、って言うのは珍しい」
「たまには言います」
「さっき、シルヴィアさんの花屋の花って言ったとき、表情が少し変わりましたよね」
カインは少し間を置いた。
「そうでしたか」
「うん。一瞬だけ。何かを思ったんだと思って」
「ここによく来てくださる方が、ここへも来てくださる患者さんを助けていて、その患者さんがあなたに花を持ってきた。それが少し、嬉しかったです」
セラはそれを聞いて、少し考えた。
「つながってる、ってことですね」
「はい」
「知らないところで、人と人がつながってる」
「この路地で起きていることだけでも、そういうことがあります」
セラはコーヒーを飲み終えた。
「来て良かった。今日は特に」
「こちらもです」
セラは立ち上がって、花を一輪、カバンから取り出した。
退院した患者からもらった花の、一本だった。
「良ければ、飾ってください」
カインは受け取った。
「ありがとうございます」
その夜、SOLITAIREに白い小花がもう一輪増えた。
シルヴィアが持ってきた花の隣に、患者からセラへ、セラからカインへと渡ってきた花が、静かに並んだ。




