花屋とカフェ
シルヴィアが珍しいことを言ったのは、十一月の夜だった。
「ドグマが、俺に聞いてきた」
「何をですか」
「ここの居心地がなんで良いのかって。あいつも最近よく来てるから、気になったらしい」
「そうですか」
「俺も考えてみたんだけど、うまく言えなくて。カインに聞いたら答えてくれるかと思って」
カインはハーブティーを持ってきた。
「私から見ると、距離感が理由の一つだと思います」
「距離感?」
「近すぎず、遠すぎず。お客様が決めた距離に、こちらが合わせる。ドグマ様は特に、最初は距離を置かれていましたが、来るたびに少し近くなっていました」
「あいつ、ここを気に入ってるんだと思う。あと、私の花屋も。毎週来て、荷物運びを手伝ってくれる」
「ドグマ様にとって、居心地の良い場所が増えたのですね」
シルヴィアはハーブティーを飲んだ。
「魔王軍の副将が花屋の手伝いをして、カフェでコーヒーを飲んでる。三年前には想像できなかった」
「世界は変わるものですね」
「あなたは変わったと思う? 世界が」
「この路地が変わったとは思います。三年前は誰も来なかった路地に、今は何人かが定期的に来ています」
シルヴィアは少し笑った。
「それを世界と呼ぶのか」
「小さな世界ですが」
「私はこの路地が好きだよ。石畳が少し欠けてて、街灯が一本しかなくて、大通りから外れてて」
「なぜですか」
「目立たないから。目立たないものの方が、本物であることが多い気がして」
カインは少し間を置いた。
「それは、あなた自身のことでもありますか」
シルヴィアは一瞬止まった。
「……気づいてた?」
「暗殺者の方は、目立たないことで本物の仕事をされることが多いと聞いたことがあります」
「元暗殺者ね、今は」
「はい。元暗殺者で、今は花屋の方」
シルヴィアはハーブティーを飲み干した。
「来週もドグマのやつを連れてきていいか、って聞いてた。でも、一人様専用だから、無理だと思う」
「はい、お一人様専用です」
「そう伝える。でもドグマのやつも、一人で来ることは来てるから、それでいいか」
「それで十分です」
シルヴィアは立ち上がって、コートを羽織った。
扉を開ける前に言った。
「ねえ、カイン。一個だけ聞いていい?」
「どうぞ」
「あなたが笑ったところ、私一度も見たことがない。笑うことはある?」
カインは少し間を置いた。
「笑っていることはあると思いますが、表情には出ていないと思います」
「そうじゃなくて、嬉しかったり、楽しかったりすることが、中にある?」
「あります」
「今日もある?」
「あります」
シルヴィアはそれを聞いて、少し満足そうな顔をした。
「良かった。じゃあ、また来週」
扉が閉まった。
カインはカップを手に取った。
中にある、と言った。それは本当だった。
表情には出なくても、確かにあった。




