魔術師と詩人
木曜の夕方、SOLITAIREで珍しいことが起きた。
ゼファーが原稿を書いていた席の、仕切りを挟んだ隣で、リュートが弦を静かに爪弾いていた。
二人はそれぞれ自分の作業に集中していたが、ある瞬間、ゼファーのペンが止まった。
リュートの旋律が、ゼファーの頭の中にある数式のリズムと、妙に合っていたからだ。
ゼファーは何も言わなかった。ただ、ペンを動かし始めた。さっきよりも速く、迷いなく。
リュートも何も言わなかった。ただ、弾き続けた。
一時間ほどして、二人がほぼ同時に手を止めた。
仕切りの向こうから、リュートが言った。
「……なんか、書けてた?」
「はい。いつもより進みました」
「俺も、なんかいい感じだった」
沈黙。
「あなたは魔術師ですか」とリュートが聞いた。
「そうです。あなたは詩人ですか」
「そう。王都でよく演奏してる」
「存じています。魔王討伐の歌を書いた方ですね」
「……そればっかり有名なんだよな」
「他の曲も聞きたいと思っていました」
リュートは少し間を置いた。
「今の曲、どうでした」
「邪魔をしませんでした。それは最高の曲だと思います」
リュートは少し笑った。
「魔術師なのに、詩みたいなことを言う」
「論文ばかり書いていると、たまにそういう言い方をしたくなります」
カインはカウンターで二人のやり取りを聞きながら、コーヒーを淹れた。
特に何も言わなかった。
ただ、少しだけ、おかわりのタイミングを遅らせた。会話を邪魔したくなかったから。
帰り際、二人は初めてきちんと名乗った。
「ゼファー・アシュタロスです」
「リュート・カナリア。よろしく」
「こちらこそ」
二人は別々に扉を出た。
翌週、ゼファーはいつもの木曜に来た。
「リュートという詩人は、今日は来ますか」
「木曜は来ないことが多いです」
「そうですか」
ゼファーは原稿を広げた。
「……では、静かに書きます」
「はい」
ゼファーは書き始めた。いつものように、丁寧に、一文字ずつ。
ただ、どこかで旋律を思い出しながら、書いていた。




