元・魔王軍の副将
ドグマという男が初めてSOLITAIREの扉を開けたとき、店内にいた二人の客が息を飲んだ。
身長二メートル近い、灰色の肌を持つ魔族だった。角は折れていて、左目には古い傷がある。腰に武器は持っていない。質素な旅人の服を着ている。
三年前まで、魔王軍の副将だった男だ。
「……入っても、いいか」
低い声で言った。
カインはカウンターから静かに言った。
「もちろんです。お好きな席へどうぞ」
ドグマは少し戸惑ったような顔をした。追い出されると思っていたのかもしれない。ゆっくりと奥の席に腰を下ろした。椅子が軋んだ。
「何かお飲み物は」
「……コーヒーというものを、飲んだことがない。試してみたい」
「かしこまりました」
先客の二人は、仕切りの向こうで息を潜めていた。
カインはコーヒーを淹れた。ドグマの前に置いた。
「熱いのでお気をつけください」
ドグマは大きな手でカップを包んだ。一口飲んで、眉をひそめた。
「……苦い」
「砂糖をお入れしますか」
「いや。もう一口飲む」
また一口。また眉をひそめた。でも、カップを置かなかった。
しばらくして、ドグマは言った。
「俺が誰か、知っているか」
「存じ上げません。お名前を伺っていないので」
「ドグマだ。魔王軍の、元副将」
カインは少し間を置いてから言った。
「ドグマ様、ようこそSOLITAIREへ」
それだけだった。
「……驚かないのか」
「お客様のご来歴についてとやかく申し上げる立場ではありませんので」
ドグマはカップを見下ろした。
「王都に来て三日になる。どこへ行っても追い出されるか、逃げられるか、どちらかだった。ここが最後だと思って入った」
「そうでしたか」
「魔王が死んで、俺たちは散り散りになった。俺は……もう戦いたくない。それだけだ。でもどこにも行き場がない」
カインは何も言わなかった。
ドグマは続けた。
「人間の街で生きていく方法を、探している。でも誰も教えてくれない。当然だが」
沈黙が続いた。
カインはカウンターから言った。
「王都の外れに、異種族の支援をしている神殿があります。ドルトンという老司祭が、そこにいます。話を聞いてもらえると思います」
ドグマは顔を上げた。
「……なぜ、俺に教える」
「困っているお客様には、知っている情報をお伝えするだけです」
ドグマはしばらくカインを見た。それから、コーヒーを飲み干した。
「……まずい。でも、なんか、悪くない」
「ありがとうございます」
「また来ていいか」
「もちろんです」
ドグマは立ち上がり、代金をカウンターに置いた。枚数が多すぎた。
「お釣りをお渡しします」
「いい。ここの居心地の分だ」
大きな背中が扉を出ていった。
先客の二人は、しばらく動けなかった。
カインはお釣りを小さな箱にしまいながら、静かにカップを下げた。
その夜、SOLITAIREでは普通通り閉店した。
特別なことは何もなかった。




