ep.8
イシス様の差し出した手を取り、モーリスさんに見送られながら私達は庭園に向かった。
向かった先の庭園には季節の花々が咲き誇り、上品かつセンスの良い庭園に仕上げられていて、私は驚きのあまり口をポカンと開けてしまった。
「あの義母はこの邸の女主人を名乗りながら、邸や庭園の手入れさえ出来ていなかったから、勝手にこちらで手を加えさせてもらった。
………その、エルミールが気に入らないならすぐに直すから言ってくれ」
遠慮がちなイシス様の言葉に、私は庭園の美しさに目を奪われながらフルフルと首を横に振った。
「………いいえ、気に入らないなんて、そんな………。
あまりの美しさに言葉もありません。
イシス様、本当にありがとうございます………」
まるで妖精が飛び交っていてもおかしくない程の幻想的な美しさに私は呆然としながらお礼の言葉を口にした。
この邸の庭園がかつてこれ程手入れされ美しくあった事など無かったんじゃないかな?
お祖父様の代で武勲を立てて家を盛り立てるまでは名ばかりの貧乏伯爵家だったらしいし、無骨なお祖父様が庭園にまで気を配っていた訳もない。
お母様の生家から逃げ惑っていたお父様然り。
よく考えれば、邸の事まで気を配る人間なんていたかしら。
………って、本来ならそれも私の仕事だったのよね。
もう、何から何までイシス様頼りじゃない、我が家ったら。
あまりの不甲斐なさに顔を赤くして俯く私の手を取ってイシス様は静かに歩き出した。
それに着いていくとあまり広くない庭園の奥まった場所に小さな美しいガゼボが姿を現した。
「……………まぁ」
その上品な佇まいに息を呑んでイシス様を見上げると、イシス様はまるで照れたように少し頬を染め可愛らしくはにかんだ。
「その………君は読書が趣味だから、天気の良い日はここで本を読みながら休んではどうかと……勝手に、すまない……」
そう言って心配そうに私を窺う子犬のような仕草に胸がギュゥゥゥゥゥッと締め付けられる。
ハァハァ、ヤダなにこの可愛い生き物。
頭なでなでして褒め倒したいっ。
うぅぅぅっ、可愛いぃぃぃぃぃぃっ。
本当にイシス様を撫でまくらないように自分の腕を強く握り抑えながら、私は精一杯の笑顔で答えた。
「ありがとうございます、イシス様。
本当に素敵な東屋ですわ。
ここで読書が出来るなんて夢みたいで………私………。
あの、イシス様にこんな……どうやってこんなご恩をお返しすればいいのか………。
不甲斐ない話ですが、今の私には返せるものが………何も………」
うっ、うっ、うっ。
本当にどうしてくれようかしら。
逃げた父親に常識はずれの義母に妹。
全てを奪われてやっぱり逃げ出しただけの私。
本当に本当に、ここまでしてもらっても私からイシス様に返せるものが何にも無いっ!
ここまでしてもらって、ただただして貰いっぱなしになっちゃってるぅっ!
あまりの情けなさに目尻に涙が浮かんだ瞬間、慌てたようにイシス様が私の前に片膝を立てて跪き、私はそれにビックリして出かけた涙が一瞬で引っ込んでしまった。
ポカンとしている私の手を大事そうに取って、イシス様はまるで懇願するように私を見上げた。
「ああ、どうか、エルミール、そんな風に考えないで欲しい。
これらは全て、婚約者として当然に俺が気付いてやっておかなければいけなかった事なんだ。
むしろ今まで君の窮状に気付きもしなかった俺を責めてくれても良いくらいなのに………。
エルミール、俺は君を手に入れる為、侯爵家の後継らしくあろうとがむしゃらにやってきたが、本当に大事な事に気付けていなかった。
もっと君と深く分かり合う努力をしていればと、こんな事になってどれ程後悔したか………」
そう言って悲壮感を漂わせその長いまつ毛を伏せるイシス様だけど、私はそれどころじゃないっ。
これだけお世話になりっぱなしのイシス様を跪かせているこの現状に脳がプチパニックを起こしかけ、慌ててイシス様に立ち上がってもらおうと肩に手を伸ばしたその瞬間、イシス様が顔を上げこちらを真っ直ぐに見つめてきたので、真正面からその美しいアッシュグレーの瞳と見つめ合う形になってしまった。
その瞳に映る私の情けなくも惚けた表情まで分かるくらいに真っ直ぐ見つめ合い、イシス様のその瞳の奥が甘く妖しく揺らめいて見えた。
「………エルミール、これからは君の1番近くで君を支えさせてほしい。
あの日、君をあのこもれぎ亭に置いて行ったことを本当は後から後悔していたんだ。
君の意思を尊重するような事を言っておいて、本当は今すぐにでも君を攫い、自分の邸に閉じ込めてしまいたかった。
そうしてなし崩しに無理やりにでも君と婚姻して、君を自分だけのものにしたかったんだ………。
だけど……そんな事は出来なかった………。
君が1番辛かった時期に何も知らず、何もしなかった俺が、今更、君が必死に掴んだ幸せを壊す事など許されない………。
そう自分を戒めて、今日まで君の帰りをただ待ち続けていた。
………もう君は、あの場所での幸せを手放さないだろう、忌まわしい記憶しか無いこの場所にも、頼りにならなかった婚約者の元にも、戻って来はしない、そう自分に言い聞かせながら、それでも君を諦める事が出来なかった………。
君が戻ってくる一縷の望みに縋り、ここで君をいつまでも待ち続けると決めていた」
イシス様の真っ直ぐな瞳が甘く揺らめいて、その瞳から目を逸せないでいる私を優しく絡めとる。
「そして、もし、もしも君が帰って来てくれたなら、1番に伝えようと思っていた事があるんだ。
………エルミール、俺は君を愛している。
君と初めて会ったあの日から、今日までずっと………いや、この先も永遠に、君を愛すると誓う。
どうか俺と婚姻し、妻となってくれませんか?」
イシス様の言葉に驚いてビクッと震える私の手を、イシス様は逃がさないとでも言うように少し自分の方にグッと引き、手の甲に優しく口づけた。
ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!
ただの政略結婚だと思っていたのにぃっ!
思いもしなかった方向から色々ぶっ込んでくるヨゥ。
すでに一杯一杯ではわはわと慌てる私にイシス様は小さくクスリと笑い、そっと立ち上がると私の腰に優しく手を回して、反対の手で私の顎を掴みクイっと上向かせた。
「…………エルミール、どうか返事をくれないか?」
近距離でそう言われて、もう私はスライムみたいにデロデロになる寸前。
こんな綺麗な顔で間近から見つめられて、否っ!て言える豪鉄の心臓なんか持ち合わせて無いのよっ、私はっ!
思わずゴクリと唾を飲み込んだ後、私は恐る恐る口を開き、震える声を何とか絞り出した。
「………は、はい………こんな………無責任に逃げ出してしまうような私で、イシス様が本当に良いと仰って下さるなら………その………喜んでお受け致します………」
ドキドキと高鳴る胸を押さえて真っ赤な顔で見つめ返した瞬間、私はあっという間にその広い胸の中に抱きしめられてしまった。
「ああ、エルミール、ありがとう………。
これからは必ず幸せにすると誓う」
耳元にイシス様の熱い息がかかり、私はいよいよボンッと茹で蛸状態になってしまった。
そんな私を更に追い詰めるように、イシス様が妖しく色っぽい声色で耳元に囁く。
「………もう逃しはしないよ、エルミール。
この俺から逃げられるなんて、思わない方がいい………。
次も地の果てまで、地獄の底まで探して必ず見つけ出してあげるからね」
優しくて甘い口調で物騒な事言わないでっ!
ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ、とカタカタ震えながら、その場合はまたモーリスさんとエドガーさんが無理やり付き合わされるのか………ご愁傷様です、すみません。
などと考えつつ心の中で2人に向かって合掌しておいた………。




