ep.5
「………とにかく」
イシス様が話を続けようとして、私はハッとして顔を上げた。
「あの妹に勝手に使われていた物は全て廃棄して、エルミールには改めて……」
「ちょっ!ダメダメっ!」
私の大きな声にイシス様はビックリした様子で私の顔を見た。
「ダメよっ!捨てるなんてっ!
そりゃ、婚約者さんにそのままスライドしてプレゼントは出来ないかもしれないけど、でもただ捨てるなんてダメっ!
あのねぇ、この世の中には今日食べる物にも困っている人が沢山いるんだから、せめて孤児院に寄付するとか、他に活用方法はいくらでもあるでしょ?」
つい前のめりになってしまった私に一瞬ポカンとしていたイシス様だけど、すぐに嬉しそうにクスリと笑った。
「………そうだな、エミー嬢がそう言うなら、そうしよう」
クスクス笑いながら承諾してくれたイシス様にホッとしながら私は椅子に座り直し、膝の上の服をイジイジ触りながらボソリと呟いた。
「………手紙は寄付出来ないだろうし……取っておけば良いんじゃないかしら………。
その、いつか婚約者さんにちゃんと渡せるかも?だし…………」
別に聞こえてなければそれで良いんだけど〜程度の私の小さな声をイシス様は正確に聞き取ったらしく、いつも無表情なその顔をまるで花が咲き綻ぶかのように輝かせた。
「ああ、君がそう言うなら………手紙は取っておこう」
その眩いイシス様の笑顔に今度は私がポカンとしてしまった。
いや………あまりの破壊力に頭の中が真っ白になって、身動きも出来なかった、が正解なんだけど。
なっ、なっ、なっ、なぁっ!
なんつーーー破壊力ある顔で笑うのよっ!この人はっ!
あかんっ!魂持っていかれるっ!
せっかく生まれ変わったのに、また天国に召されてしまうーーーっ!
急に動悸と眩暈に襲われて、私はあまりに美し過ぎる人も他人の寿命を縮めるのだと初めて知った………。
あるのかもしれない、本当に、尊死って………。
大きなモフモフと天使に天国に連れていかれそうになりつつ、私は根性でこの世に留まろうと両足に力を込めながらイシス様をチラッと(もう直視出来ない)見た。
「これで婚約者さんが貴方に不義理を働いていた訳じゃ無かったって判明しましたね」
ゴホンとわざとらしい咳をしつつ、私は本来の目的であったエルミールリカバリー作戦が成功したのかの確認に移った。
「いや、エルミールの事を不義理だなどと考えた事は一度も無い。
彼女の気にいる贈り物の出来ない自分がもどかしいとは感じていたが。
それも全てあの母娘のせいだったのだから、本当にエルミールには何の責任も無かったのだ」
えっ?なんて?
私は流石にポカンと口を開け、まじまじとイシス様を見つめてしまった。
「貴方、それだけセッセッと贈り物しといて、まったく反応を返してくれない婚約者さんに何とも思ってなかったの?」
リカバリーの意義っ!
私は何の為にわざわざっ!
「ああ、エルミールの気にいる物さえ分からない愚鈍な自分が悪いと思っていた。
気に入らない物は処分してくれていて構わないとも。
決してあの妹に横取りされていても良いなどとは思っていなかったが……」
そう言ってギリッと奥歯を鳴らすイシス様は本心で言っているようにしか見えず、私は思わずこめかみを指で押さえた。
えっ?この人何を言っているの?
っていうか、イシス様ってこんなキャラだったの?
そんだけ頻繁に贈り物とかしといて、お礼状の一つも無いのは自分のせいだと思ってたとか、愚直………あっ、いやいや、実直過ぎない?
あっ!だから私からの返信が無い事に疑問を持てなかったのかっ!
普通に怒って怒鳴り込んでくれてれば、もしかしたらもっと早くローズマリーのやってる事に気付けたかもしれないのにっ!
ぐぬぬ、これはイシス様良い人、では済まないわね。
多分この人、私の置かれていた状況に全く気付いてないわ、これ。
「………しかし、何故エルミールはあの母娘の愚行を黙って見ていたのだろうか……。
夫人は義母とはいえ後妻でエルミールとは血が繋がっていない。
フランシス伯爵家を取り仕切る権限は無いのだから、実質女主人であるエルミールが家に届く物は管理していた筈なのに……」
やはり何も理解していないイシス様がその綺麗な顎を掴み、白銀の髪をサラリと流しながら首を傾げる様子を涎を垂らしながら見つめる………ほど呑気じゃないのよ、私も。
なので無意識な色気攻撃はやめろ下さい。
うっかり見惚れていた事を誤魔化しつつ、私はヤレヤレとばかりに肩を上げた。
「あのねぇ、贈り物さえ妹に横取りされ、義母には婚約者と見合っていない、自分の娘の方が相応しいとかって侮られていたご令嬢が、その邸を取り仕切っていた訳ないじゃない。
そもそも貴方、その婚約者さんに最後に会ったのはいつ?」
私の問いにイシス様は若干動揺しつつ、少し考えながら口を開いた。
「………そういえば、最後に会ったのは俺が騎士団に入る年齢になった時だ………。
今まで以上に忙しく、エルミールになかなか会いに来れないだろうと話したのが、最後だったかもしれない………。
という事は………もう4年も前かっ⁉︎」
ハッとしたように目を見開くイシス様に、私は深くデッカい溜息をついた。
「それ、貴方、婚約者さんの事もその邸の中で何が起きていたのかもほとんど何も知らないじゃないですか」
私の呆れ声にイシス様は申し訳なさそうに青くなり、呆然としたようにブツブツ話し始めた。
「……だが、それからも時間さえあればエルミールを訪ねてフランシス邸に訪れていたのだ。
残念ながらその度にエルミールは体調が優れず、俺達は会う事が出来なかったが。
………何故か代わりだと言ってあの妹が顔を出しては意味の分からない話を延々聞かされ………」
そこまで喋った時、イシス様はハッとして信じられないとでも言うようにマジマジと私を見た。
そのイシス様に向かって、私は頬に手を当てわざとらしく困ったような声を出した。
「あらあら〜、なんだかそれって、つい最近も同じような話をした気がするわぁ」
そう言ってニヤニヤする私とは対照的にイシス様はその額に微かに汗を浮かべ、信じられないとでも言うようにチラッと私を見る。
「………まさか、エルミールはあの邸で、あの母娘に軽んじられていたとでも言うのか………そんなまさか…………」
イシス様の狼狽える様子が珍しくついマジマジ見つめながら、もっと他にも今まで見た事ない表情を見れないかな?なんて思いながら私はそれに答えた。
「お貴族様の事情は詳しくは分かりませんけど、平民でも義母と義娘なんて大なり小なりすれ違いくらいありますよ。
話を聞いた感じでは、貴方の婚約者さんはその家の正統な後継なんでしょ?
私も以前はお貴族様のお邸でメイドをしていましたから多少なりとは理解出来ますけど、邸の正統な後継は他の子とは別格なんじゃないですか?
義母からすれば、いくら自分が後妻とはいえ、今の夫人は自分であり、その自分が産んだ子供が邸の後継になれないっていうのは納得いかないんじゃないですかね?
ましてや相手は当時まだ年端のいかない子供だった訳でしょ?
いくらでもその地位を捥ぎ取る方法くらいあると思ったんじゃないですか?
その義母が後妻になったのはいつです?」
私が喋れば喋るほど、イシス様は冷静さを取り戻していき、いつもの無表情に戻ると空を見つめ思い出すかのように考え込み始めた。
「…………確か、エルミールが8歳か、それくらいだったと思う。
妹は5歳だったか…………?
いきなりその妹を連れてフランシス邸に訪れて来たらしい。
フランシス伯爵も覚えがあったのか、あっさり2人を受け入れたと聞いたな。
エルミールの母の生家である侯爵家は当時かなり激怒して、後妻では無く妾のままにしておけとフランシス伯爵に苦言を呈したらしいが、結局はエルミールに母親の代わりは必要だろうと折れたようだ。
つまり、あの母娘はエルミールの母親の生家である侯爵家からお目溢しをもらってフランシス伯爵家に籍を入れる事を許された立場。
その侯爵家の血縁であり、フランシス伯爵家の正統な唯一の後継であるエルミールとは、家族とはいえ明確に立場が違う。
そんな人間がまさか………エルミールを軽んじるなど、あり得ない……いやっ、あってはならないっ」
そう言いながら机の上に置いた手をキツく握り締めるイシス様。
あまりに力を込めて握っているので手を傷つけないか心配になった私は、そっとその拳の上に自分の手を重ねた。
瞬間、イシス様の体が小さくビクッと震えて、驚いたように、そしてまるで何かに縋るようにこちらを見つめる。
「残念だけど、そんな理屈の通らない相手がこの世には存在するわ………。
貴方が婚約者さんを見つけた後、彼女をどうするか、何を言うのかは分からない………。
でも、まずは彼女の事を知らなきゃ駄目よ。
その上で、婚約者さんをその家に連れ戻すのかどうか決めてほしい………」
まるで懇願するような私の目をイシス様は黙って覗き込み、何かを決意するようにゆっくりと瞬きすると、意志のこもった瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「分かった、エミー嬢………君の言う通りにすると誓う。
確かに君の言う通り、俺はまずエルミールがあの邸でどんな扱いを受けていたか、そこから知るべきだ。
彼女の事をきちんと知った上で、もう一度彼女に会いに来るよ、エミー嬢………」
今イシス様はエミーという平民の娘を通して、私に話しかけてきている。
それを感じて今更だけどちゃんとイシス様に自分がエルミールだと名乗るべきだと頭の隅でエルミールである自分が話しかけてきた………。
だけどそうしたら、今の生活を失ってしまう。
短い間だったけど、ここで私はやっと自分の人生を取り戻せた。
その今を、本当に失ってしまって良いの?
本当に後悔しない?
義母とローズマリーがいきなり邸に乗り込んできたあの日から、12年間ずっと耐えてきた。
前世で慣れ親しんだアレ系の話だな〜〜、あるある過ぎ〜〜トホホ、なんて自分を慰めながら。
でも、本の中と現実とでは全く違う。
打たれれば痛いし、食事を抜かれればひもじくて哀しい。
無給無休で働かされれば自分が擦り減る。
邸から一歩も出してもらえず、毎日毎日蔑まれ罵られ………。
本当はもうとっくの昔に限界だった。
心の拠り所は書庫の掃除をしながら本を読むほんのひと時の時間だけ。
義母とローズマリーは本になんか興味が無いから新しく増える事はなくて、邸にある本を全て読み尽くしても、同じ本を何度も何度も読み漁った。
本の世界に夢中になって義母に呼ばれている事に気付かず、対応が遅れて打たれた事もあったけど、それでも本を読む事だけが私の唯一の救いだった………。
…………本当は、綺麗な綺麗な婚約者がいつか私をあの邸から救い出してくれるんじゃないかと期待したりもしていたけれど………。
いつしかその希望もローズマリーに奪われたのだと知って、私にはもう本当に本しか残っていなかった。
まぁ、イシス様とローズマリーの事は勘違いだったんだけど。
それだって、義母が私からイシス様を奪う為にやった事なんだから、私はやっぱりあの邸ではただ搾取され貶められるだけの存在だったんだと思う。
せっかくそんな場所から逃げ出して今の平穏な生活を手に入れたのに、もう一度あそこに戻って義母とローズマリーと戦えと言われたら、私はどうしたらいいんだろう。
邸の正統な後継者として、あの間違いだらけの2人と対峙するのは確かに、私の責務なのかもしれない………でも…………。
私は本当は失いたくない、今のこの生活を。
例えイシス様の願いだとしても、私は………。
急に押し黙り、膝の上の服をギュッと握って固まる私をイシス様はただ黙って見つめていた。
どれくらいそうしていたのだろう。
やがてイシス様がゆっくりと口を開いた。
「………君がどんな生き方をしてきたのか、知らずに過ごしてきて、本当に申し訳ないと思う………。
今更俺が何を言ったところで、それはただの言い訳にしかならないだろう………。
だが、これだけは信じて欲しい。
俺は君をいつか妻に迎える為、君に見合う男になる為、今まで努力してきたんだ。
そのせいで君を顧みる余裕が無かった事については本当に自分自身が情けないが………。
どうか、ここから挽回させてくれないか?
必ず、君が奪われた全てを取り返し、君が安心して過ごせる環境を取り戻してみせる。
今更こんな俺が君に何かを望む事なんて許されないだろう。
君が望むなら、婚約の破棄でさえ甘んじて受けると誓う。
………ただ、君には本来あるべきものを取り戻して欲しい。
その上で、君の思うように生きてくれ。
この先の君の隣にいる相手が俺でなくてもいい………。
君には幸せでいて欲しいんだ」
真剣なその眼差しに、私は何も言えずただ黙って静かに立ち上がるイシス様を見つめる事しか出来なかった。
イシス様はそっと私の手を取り、まるで別れを惜しむようにゆっくりと手の甲にその綺麗な唇を押し当てた。
伏せられた睫毛が微かに濡れているように見えて、胸がザワザワと騒つく。
「………あの、イシス様………」
張り付いた喉から搾り出した声は弱々しく、イシス様は悲しげに目を瞑り、名残惜しそうに私の手を離した。
次に開けられた時、その瞳には固い決意が浮かび、いつもの無表情がまるで彫刻のようなその美しい顔を余計に際立たせた。
「エミー嬢、君のおかげで私は何をするべきかを知る事が出来た。
心から感謝する」
一人称が〝俺〟から〝私〟に変わった事で、一線を引かれた事に気付き、私は何故か押し潰されそうな胸をギュッと掴んで、無理やりに笑った。
「いえ、お貴族様のお力になれて光栄でした。
どうか頑張って下さいね」
それだけ言うのが精一杯だった。
最後に静かに微笑んで踵を返し、モーリスさんとエドガーさんを従え店を出ていくイシス様の後ろ姿をただ黙って見送った。
きっとイシス様はもうここには来ない。
あの邸から逃げ出し、今の生活を手に入れた私が、この生活を手放せない事を悟ったのだろう。
彼は婚約者として私から身を引くつもりだ。
私をこのまま、行方不明のままにしておいてくれるつもりなんだと思う。
私が不在のままなら、お母様の生家である侯爵家とイシス様のフォックスフォード家との約束もそのうちたち消える。
イシス様は新たに婚約者を迎え、フォックスフォード家を継いで侯爵になるのだろう。
侯爵になるイシス様が、平民のエミーに会う事はもう2度と、無い…………。




