ep.1
誰だって苦手なものってあるよね?
私は本を読むのが好きで、沢山の本を読む時間が1番幸せな時間だったの。
でも唯一、どうしても苦手で好きになれなかったのが『可哀想なお話』。
えっ?そんな事言ったら世の中の大半の本を読めなくない?って?
………それはそう。
だって主人公が不幸な身の上で逆境から這い上がって、みたいな話は皆んなが大好きなジャンルの一つだし、王道ストーリーだからね。
そうじゃないノーテンキな物語にも、ほんの少しの〝可哀想〟は絶妙なエッセンスになるから、必ずと言っていいほど取り入れられている。
例えば主人公の過去の酷い失恋話とか。
私もそれら全てを拒否してる訳ではないのよ、流石に。
逆にそれくらいなら楽しく読ませてもらってたのよ。
私が苦手なのはもう、なんていうか………ぶっちゃけシンデレラストーリーから派生したアレやこれやのそのジャンル。
可哀想過ぎるのよっ!
ちょっとは手加減してよっ!
義母やら義姉やら義妹やらが鬼畜過ぎて辛い………。
……………まだ本家のシンデレラの義姉達の方が人の心が残ってるってもんよ…………。
まぁ、とにかく。
どんどん過激になっていくそのジャンルのお話が私は非常に苦手。
確かに人気のあるジャンルの一つではあるけど、私にはどうしても受け入れられないのよね…………。
……………って言ってんのにさぁ……。
「まだ掃除が終わってないの?お姉様って本当に愚図でノロマで役立たずなのね〜〜」
ニヤニヤと意地悪く笑う義妹ローズマリーの隣に立っていたメイドが、これまたニヤニヤと楽しげにバシャッと私に向かってバケツの水をかけてきた。
あっという間に濡れ鼠になった私は、トホホとガックリ肩を落とす。
そう、私は今まさに、そのアレやこれやのそのジャンルに生まれ変わっていたのだ。
実の母親は病気で亡くなり、その数年後に父親の愛人と隠し子が乗り込んできてそのまま邸を乗っ取られ、自分は使用人以下の扱いを受けている、とかもう、既に王道となりつつある、可哀想なアレですよ。
私が前世1番苦手だったやつっ!
なぁんでよりにもよってそのジャンルに生まれ変わっちゃうかな〜、私………。
と嘆けども、目の前には鬼畜な義妹ローズマリーとその手下のメイド。
生まれながらに貴族令嬢である私への劣等感を垂れ流し、非常に稚拙で直接的で厄介な方法でもって、こう………毎日毎日、私を虐め抜いてくれている訳で………。
よく飽きないなぁ。
この時間をもっと自分磨き(中身)とかに使った方がよっぽど有意義じゃない?
ってか私にやっている事が表沙汰になったら大変な事になるのだが?
その辺は全くもって理解はしていらっしゃらないようですけど、本当に大丈夫?
肩をガッツリ掴んで逃げられない状態の上、寝不足(毎日毎日、深夜まで用を言いつけられるから)のガンギマってる上に血走った目で更にゼロ距離でその辺コンコンと話し合ってみたい気もするけど、まぁどうせ無駄なのでいつも通りただやられっぱなしで時が過ぎるのを待つ。
ポタポタと床に水を落としながら、黙って下を向いたままの私に、ローズマリーはハッと鼻で笑った後クスクスと意地悪い笑い声を漏らした。
「やぁだぁ〜、お姉様ってば汚いバケツの水が本当にお似合いですわぁ。
臭くて私には到底耐えられないけど」
クスクス笑うローズマリーが『お姉様ばっかりズルいっ!』以外の言葉も沢山覚えたんだなぁ、なんて妙に感心しながら、それでも私はジッと下を見つめ続けていた。
「そんなんじゃイシス様に嫌われても仕方ないわよねぇ。
ああ、お可哀想なイシス様………。
イシス様ったらいつも仰っているのよ、婚約者がエルミールなんかじゃなくて、君だったら良かったのに、って………」
芝居かかった口調で大袈裟な身振り手振りは、ローズマリーがイシス様とやらについて語り出す時のいつものやつ。
優越感たっぷりなその声色を聞いただけでも、ローズマリーとイシス様のご関係とやらはもうお察し、といったところよね。
さて、今日はあとどれくらいいびられるんですかね〜なんて考えていた、その時。
バタバタと煩い足音がして義母がこの場にいきなり登場してきた。
「ローズマリーッ!イシス様がお見えよっ!
領地の視察の帰りにお立ち寄りになったのっ!
早く支度なさいっ!」
金切り声を極力抑えそう言うが早いか、義母はローズマリーの手を取って歩き出しながら素早く私を振り返った。
「エルミールッ!アンタはローズマリーの好きな菓子を買いに行きなさいっ!
3時間は戻らないでちょうだいっ!」
急な事で私を鍵付きの部屋に閉じ込めるより邸から追い出した方が早いと判断したのか、義母はここでこれまでに無かった失態を犯した。
この時、俯き床を見つめる私の目が密かに鋭くキランッと光る。
「そうよ、イシス様との時間にお姉様は邪魔だから、イシス様が帰るまで絶対に戻って来ないでよねっ!」
ローズマリーの厳しく咎めるような声に、私は弱々しく小さな声を返す。
「……………はい、承知しました……決して戻りません………」
やがてバタバタと立ち去る足音も完全に消え、私はゆっくりと顔を上げると両腕を高く持ち上げた。
「………………シャッ!」
短い雄叫びと共に大きなガッツポーズを取る。
やったっ!やった、やったっ!
待ちに待ったチャンスタイムっ!
今こそここからバックれる時っ!
実はこれをず〜〜〜〜〜っとっ!虎視眈々とっ!狙ってきたのよっ!
実はイシス様が領地の視察の帰りに寄ったのも偶然じゃなく、私が手紙を書いたから。
良ければお帰りの際にいつでもお気軽にお立ち寄り下さい、気心の知れた婚約者同士、先ぶれなど不要ですわ〜っ(オーホッホッホッ←キャラ崩壊)てねっ!
それがこんなに上手くいくなんてっ!
ジーニアスが止まらないじゃんっ、私っ!
あっ、ちなみに手紙はローズマリーの代筆を頼まれた時にこっそり紛れ込ませといたのよね。
あの子ったら、イシス様への手紙さえ自分で書けないんだから。
まっ、今後は自分で頑張ってもらうしかないけどっ!
だって私、今からバックれますからっ!
このアレなジャンルからはさっさとバックれさせていただきますっ!
水が合わな過ぎてもう無理っ!
付き合ってらんないのよ〜〜〜っ!
確かに、ここが例のアレな世界なら、(暫定)ヒロインである私にはもちろん救済措置的なものが用意されているんでしょうけど、ぶっちゃけそこまで付き合ってらんないっ!
毎日毎日虐められて蔑まれて可哀想な私………なんかやってらんないんだわ、苦手なんだって言ってるじゃんっ!
逃げるが勝ちっ!
為にもなるって昔のなんか偉い人が言っていたような気がしないでもしないし。
私は素早く裏庭に駆け出すと、あらかじめ木の根元に埋めておいた荷物を掘り出し、濡れている上に土でドロドロな状態なのも気にしないで裏口に向かって走り出した。
なぁーはっはっはっはっはっ!
やっとやっとここから脱出出来るっ!
私ってばこの物語の悲劇のヒロインなのかも知れないけど、今の気分はそれどころか逃亡者だよねっ!
実際それに近い状況なんだけどもっ!
なんなら脱出ゲームのプレイヤーかも知れないっ!
何にしても、私は勝つるっ!
さようなら、可哀想な主人公の物語。
そしてこんにちは、脱力系ほのぼの日常系ジャンル。
まさに脱兎の如く邸から抜け出す私の目の端にチラッとイシス様の従者が映ったような気がしないでもないけど気にしない気にしない。
今はこの足を止めるわけにはいかないのよ。
ほのぼのな明日に向かってランナウェイッの真っ最中なんだからっ!
ガンギまった眼光をギラギラさせながら街を疾走する私の前に、モーゼよろしく人々が怯え切って避けた道が出来上がる。
まさに明日への希望のその道を、私はどう見ても異常者の姿で疾走していった………。
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「いらっしゃーーーいっ!」
お盆に乗せた料理片手に、私は新しく入ってきたお客様に笑顔で振り返った。
ーーーーここは王都の外れにある食堂兼宿屋【こもれぎ亭】。
私はそこの従業員兼看板娘、エミー。
もちろん偽名だし、本当はエルミールなんだけど。
シンデレラ派生のアレなストーリーに生まれ変わっていた前世は本好きな私。
自分の苦手なジャンルからバックれ、今はここ【こもれぎ亭】で雇ってもらいながらほのぼのと生活している。
全身水浸しのドロドロな姿なまま、血走ってガンギまった目で王都を駆け抜けたあの日から3ヶ月。
今はとにかく平和な日々を過ごしている。
対価の無い労働ではなく、ちゃんとお給金は貰えるし、昼夜関係なく呼び付けられ働かされるのではなく、ちゃんと時間の決まった仕事………。
尊い……………。
今は毎日の全てがやりがいに満ちている………。
ごく一般的で、でも私にはすごく遠かった今のこの環境に私は心から満足していた。
もちろん、あの邸に戻る気など毛頭無い。
私にとってはもう既にあの邸の全てが過去なのだ………まだ3ヶ月しか経ってないけどね。
まぁ、家から金目の物を頂いてきたから本当は当分働く必要は無いんだけど、でもやっぱり私にはこれが合ってるのよね。
前世でも日本人らしく勤勉に働いていたし、家から持ち出した金貨や宝石も使っていればいつかは無くなるだけだし。
それよりも毎日ちゃんと働いてお給料を貰って生活する方が健全だよね。
自分の働きに合った対価を貰えるなんて、不本意ながら虐げられ続けてきた私には身悶えるほど嬉しいのよ。
あの邸でもちゃんと対価と労働環境さえ整えてくれれば喜んでメイドとして働いたのにさぁ、邸の正統な令嬢だけど、私。
でも働く事自体は嫌いじゃないから、ちゃんと仕事はしたと思うのよ?
労働環境さえしっかりしてればねっ!
惜しいことしたねっ!義母に義妹よっ!
貴重な働き手(なんせ前世は勤勉な日本人)を失った事になどきっと気付きもしていないあの2人の事はもう本当にどうでもいいとして………。
私は先ほど入ってきた新しいお客に妙な違和感を感じ、首を傾げた。
なにかしら?あの人。
着ているものは酷く汚れているけど、それ自体は上等な一級品だわ。
汚れもさっきついたばかり、って感じ。
間違えて森の中にでも迷い込んじゃったのかしら?
せっかくの上等なフード付きマントに所々小さな引っ掻き傷が、お高そうなブーツが土で汚れちゃってる。
う〜〜ん、怪しさ満点。
着ているものはお貴族様っぽいけど、しかもかなり高位貴族っぽい、けど、あんな泥だらけの高位貴族なんか見た事ないなぁ。
なんか面倒な事に巻き込まれなきゃ良いけど……。
嫌だなぁと思いつつも私は注文を取るためその怪しい客に近付いた。
高位貴族っぽい良い服を着ている怪しいフード1人に、その人程じゃないけど良い物を身に付けた、恐らく従者かお目付け役っぽい2人。
その怪しい3人組と微妙に目が合わないように気を付けながら、私はニッコリと営業スマイルを浮かべた。
「いらっしゃいませ、こちらお食事のメニューです」
ハキハキと看板娘らしくそう言いながらメニューを差し出した私の声に反応するように、怪しい高位貴族っぽい人がガタッと椅子を鳴らし立ち上がった。
よほど慌てたのかその動きで被っていたフードがパサっと外れ、そこから白銀の髪がキラキラと溢れだした。
ーーーーーーーーげぇっ!!
その青みのかかったアッシュグレーの瞳に見つめられ、私は喉から飛び出しそうになった悲鳴(?)を慌てて飲み込んだ。
表面上は何とか冷静さを保つ私の腕を痛いくらいに掴み、彼は驚愕を浮かべた顔で少し震えた声を出す。
「……………エルミール……」
驚きと安堵の入り混じったその声に、私は絶望に目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。
……………何故にここにイシス様が…………?
目の前が急に薄暗くなり、長い一本道のトンネルのような場所に立つ私を後ろから怒涛の勢いでしかしもの凄く綺麗なフォームで〝可哀想なお話〟がこちらに迫ってくる幻覚に襲われ、私はヒェェェェェッ!とそれから必死に逃げまどった(脳内)。
な、な、な、なんでよりによって貴方がここに来ちゃうのヨォ〜〜〜〜っ!
泣きながら叫べども〝可哀想なお話〟のスピードは緩まない。
そもそも、逃げ切れたと思っていた事自体が幻覚だったのかもしれない…………。




