入学式
二〇五五年。四月六日。
南関東州埼玉地区所沢市。
市郊外にある、古き良き日本家屋にて、これと言って特徴のないどこにでもいそうな見た目の少年が、キッチンで腕組みしていた。
――定番のいちご。いや、ここは新商品の抹茶ミルクか?
時刻は午前七時十五分。
家を出る時間まではまだ多少あるが、そこまで悠長にはしていられない。
「わかってるよ。でもこういう日こそ手を抜いちゃダメなんだって」
制服姿の少年はリビングから急かしてくる声に持論を展開する。
再び食パンに向き直り、何のジャムを塗るか考え込む――。
長考の末に決まった朝食をリビングのテーブルに置き、壁に設置されたモニターの電源を入れる。
画面にはいつもの朝の情報番組が映し出された。
「続いてのニュースです。日本に霊術師制度が導入されてから来年で一〇〇年。各地では記念に際して、様々な祭典やイベントを開催する予定です」
巷で人気の女性キャスターが滑舌良く話題のニュースをお届けしていく。
「その中でも島根にある出雲大社では、内閣総理大臣や八色の師各御当主様が参列する大規模な祭典を計画しており、世界からも大きな注目を集めています。祭典は制度が発足された十月を予定しており、それに向けた準備をすでに始めており――」
少年はニュースをBGMとして聞き流しながら、急ぎ気味で抹茶ミルクジャムが塗られた食パンを口いっぱいに頬張る。
甘いカフェオレでパンを胃に流し込み、「ごちそうさま」と言うや否や素早く荷物を持って玄関に向かう。
念の為と、姿見で身なりを確認し、少しクセのある髪を手櫛でさっと整える。
「じゃ、行ってきます」
家の者に見送られながら、快晴広がる空の下へ一歩を踏み出す。
新しい日々の始まり。
期待と不安入り混じる感情を抱きながら、少年こと秦維人は歩みを進めていく――。
所沢中央駅から秩父行の無人高速ライナーに乗った維人。道中の車内ではデバイスを操作していた。
入学祝いに両親から買って貰った念願の自分用デバイス。型落ちの旧型だが、それでも嬉しそうにデバイスをいじっている。
途中、画面上部にニュース速報の通知が届く。
「また強盗事件か」
埼玉地区の北側に位置する群馬地区にて起きた集団強盗事件。犯行現場や盗まれたものなどの記載は特にない。
強盗事件が起きた。ただそれだけのニュース記事。
――まだ捜査中なのかな?
薄すぎる内容の記事に疑問を抱いている間に、ライナーは秩父市に入る。
「まもなく終点。新秩父駅。新秩父駅です。お忘れ物なさいませんよう、ご注意ください」
車内にアナウンスが流れ、駅の到着に備えて徐々に速度が落ちていく。
車窓から見える、広大な敷地に立ち並ぶ建築物群。
これから向かうその場所へ維人は視線を集中させた。
朝の日差しが反射するガラス張りの駅。大型の商業施設も直結している『新秩父駅』に到着した維人は、駅の西口にあるバスロータリーに向かっていた。
「ええっと、学校行きのバスは・・・」
周囲を見渡す。すると、同じ紺色の制服を着た男女の列が視界に入る。
「あそこか」
目的地へ向かうバス停だと確信し、静かに列の最後尾につく。
列に並ぶ際、前に立つ女子が人の気配を感じたのか振り返った。
少し驚いたような顔をして、
「ね、ねえ」
「ん?」
「ほら、私の後ろの人」
「えっ・・・もしかして噂の?」
「たぶん」
と、ひそひそ小声で話し出す。
維人はデバイスをいじって女子たちの反応を見て見ぬふりする。
――やっぱり知られてるか・・・。
その後も素知らぬふりを続けながら、バスに乗って学校へと向かった。
『霊術大学附属秩父高等学校』と金色で書かれたプレートが目立つ校門。
そのプレートを横目で見ながら、維人は校門の中へ足を踏み入れる。
道中、周囲には希望に満ちた表情の若者と笑顔で我が子を見る保護者たち。
そんな幸せに満ち溢れた空間を一人歩く。視線を斜め下に落とし、ひたすらに歩み続ける。ほんの少しだけ寂しさを感じながら。
事前に配布されていた予定表に従い大講堂へと向かった維人は、指定の席へと腰を下ろす。
座席はクラス毎に分けられているようで、維人は自分の周りに座っているクラスメイトたちを横目で確認する。
ここにいる全員が合格率十%以下の入学試験を合格した者たち。
追加合格で受かった維人は、改めてとんでもない場所へ来たことを実感する。
「只今より、霊術大学附属秩父高等学校の入学式を執り行います。学生の皆さんは着席してください」
アナウンスが流れ、全員が着席するとそのまま入学式が始まった。
開会の挨拶から順調に行われていく中、維人に気づいた学生がひそひそ小声で話し出す。
「あそこにいるのって噂のあいつじゃね?」
「なんでいんだよ」
「絶対裏口入学だろ」
「お金持ちのパパママいていいな〜」
「マジでムカつくわ。あとでボコッかな」
「いいね〜。俺もやるわ」
くすくすと嘲笑が維人の耳に届く。
さらに会話は広がっていき、維人の存在が悪い意味でどんどん広まっていく。
ある程度は覚悟していたが、いざ話題にされるとあまり良い気分はしない。
家族からの「とにかく耐えろ」、という言葉を思い出し、維人はゆっくり深呼吸した。
――大丈夫。今までやってきたことを信じろ。
そう自分に言い聞かせながら。
「――以上を持ちまして、霊術大学附属秩父高等学校の入学式を閉会いたします。学生の皆さんはそれぞれのクラスへ移動してください」
入学式が終わり、新入生たちがぞろぞろと移動を始める。
講堂の人が少なくなるまで待ってから維人は席を立った。
クラスに向かう道中も、先程と同様の視線を向けられる。
そんな中、突然背後から肩を組まれた。
維人は驚いて横を向く。
「よう! お前七組のやつだよな? 俺も七組なんだよ。一緒に行こうぜ」
そこにはニカッと屈託のない笑顔を向ける男子がいた。あどけない少年のような顔立ちで、中学生と見間違う程に幼く見える。
よく見ると、踵を浮かしていることに気づく。
「・・・つらくない?」
「は? なにが?」
「いや・・・その体勢。つらくないのかなって」
「別に? つらくない、けどっ」
「嘘だ。絶対つらいでしょ」
「だからっ、つらくねえって!」
身長一七二センチの維人。
男子の身長は踵の浮かし具合から、確実に一七〇センチ以下。おそらく一六〇センチ台後半といったところ。そう想像すると、さらに中学生感が増して見えた。
現に、今にも崩れそうなほどふらついている。
突然、男子は肩を組むのを止めて大声を出す。
「やべ! 早く教室行こうぜ!」
いつの間にか、廊下には維人と男子の二人のみ。
ほとんどの学生が教室への移動を終えていた。
「あ、そういえばまだ名前言ってなかったな。俺は九谷津青風!」
そう言って手を差し出す。
急な自己紹介に戸惑いながら、維人はそれに応える。
「よ、よろしく。俺は秦維人」
「おう! よろしくな!」
再びニカッと笑う九谷津。
そして、虫取り網を持った少年のような勢いで教室へ向けて駆け出す。
「ほら早く来いよ! 維人!」
「あっ! ちょっ!」
どんどん進んでいく九谷津に、維人も慌てて後を追う。
――まさか陽キャに話しかけられるとは。
高校で初めての友人が陽キャだと思っていなかった維人。ただ、口元には笑みが浮かんでいた。
教室に着き、後方の自席に座る。
まもなく教室の扉が開き、一人の女性教師が入ってきた。
モデルのようなスラリとした長身に、スーツの上からでもわかる抜群のスタイル。加えてキリッとした凛々しい顔立ち。ロングヘアの美しい黒髪は一つにまとめて結われて首筋が見え、それがよりセクシーさを際立たせる。
誰が見ても美人と言うであろう彼女は、教壇に立ってぐるっとクラスメイトを見回す。
続けて後ろにある電子黒板を操作し、ディスプレイに自身のプロフィールを表示した。
「今日からこのクラスの担任となった北島凛子だ。よろしく」
無駄のない簡潔な自己紹介。
クールビューティーという言葉がぴったりあてはまる。
「美人女教師キタァーー!!」
「俺、このクラスでよかったっ!」
周りの男子が小声で歓喜の声を上げる。
ふと、北島と目が合う維人。
「・・・」
――す、すごい見られてる気が・・・。
彼女は視線をクラス全体に戻すと、突然切り出す。
「まず初めに、君たちは霊術師になるために入学しただろう。大きな希望と自信を持ってな。だが、はっきり言う」
宣言通り、はっきりと告げる。
「このクラスで霊術師になれる者は一人もいない」
突然の衝撃発言。
ざわめきに包まれる教室。
彼女の発言の真意は一体――。