北島の過去と現在
これは北島の記憶の断片。
「今回の任務っていつまでだっけ?」
誠実そうな見た目の若い男が北島に尋ねる。
心安らぐ、いつもの優しい声音。
「任務自体は現地の木曜までだから、こっちに着くのは金曜の深夜になるかな」
「そっか」
「どうしたんだ? 急に」
「いや、いつまで凛子さんと会えないのかなーって思ってさ。そっか、金曜までか」
「ふふっ。たった一週間じゃないか」
「俺にとっては一週間もだよ!」
「そんなこと言って、本当は『他の女性と遊べる!』とか思ってないだろうな?」
照れ隠しで、あえて意地の悪い質問をして誤魔化す。
「そ、そんな事思ってないよ!」
男は面食らって戸惑いの表情を浮かべた。
「ふっ。すまない。君がそんなことをする人じゃないのはわかってる」
「凛子さん・・・」
何とも言えない気恥ずかしい空気が二人の間に流れる。
短い沈黙の後、男は何かを決心した顔つきで北島の方を向いた。
緊張でどもりながらも、懸命に言葉を紡ぐ。
「じ、実はさ。一緒に行きたいところがあるんだよね」
「どこに行きたいんだ?」
「そ、それは・・・まだ言えない」
「へぇ~。そんな言えないようなところなのか?」
若干訝しむように男の顔を覗き込む。
「に、任務から帰ってきたら教えるから! だから、ね?」
「・・・わかった」
渋々の了承を得て、男は安堵の息を漏らす。
「でも珍しいな。君がどこか行きたいなんて。ひょっとしたら初めてじゃないか?」
「まあ・・・そろそろ覚悟決めないとなって」
口をついて出た呟きは宙に消える。
「ん? 今なんて言ったんだ?」
「ううん。無事に帰ってきてほしいなって」
「・・・」
生まれて初めて異性から心配の言葉をらかけられ、思わず口篭る。
胸を打つ心臓の鼓動がうるさくて仕方ない。
「凛子さん」
沈黙を破る男の声。
北島は驚きのあまり声が上擦ってしまう。
「な、何だ?」
恥ずかしさで頬が朱に染まる。
「一緒に行きたいところあるし、話したいこともあるから」
男は真剣な表情で北島の目を見つめながら、懇願する。
「だから、無事に帰ってきてほしい」
彼は任務で家を空ける時、必ずこの言葉を言ってくれる。他人にとっては我儘で自分勝手な言葉に聞こえるかもしれない。だが、自分にとってはこれ以上ない救いの言葉で、窮地に陥った時に何度も支えられ、助けられた。
「ああ。ちゃんと帰ってくる。何があっても。私たちのこの家に」
強い信念を感じる返答。男は嬉しそうに無邪気な笑顔を見せる。
北島にとって男が見せてくれる些細な仕草や表情のどれもが愛おしく、何より生きる源だった。
――幸せだな。
平凡ではあるが、とても幸せに満ち溢れた、日常の何気ない時間。
これからもずっとこんな日々を過ごせると、そう思っていた。
この時までは。
これは北島のかけがえのない、大切な思い出。
人生で一番幸せだった時の記憶――。
* * *
北島は視線の先にいる葦田を鋭い目つきで睨む。幸せとは正反対の、怒りと憎しみの眼で。
「何がおかしい?」
不気味な笑みを浮かべる葦田に低く冷たい声で問う。
状況が劣勢になったにもかかわらず、余裕そうな態度は変わらない。
常に冷静さを失わないようにしていても、葦田の些細な仕草にさえ怒りが沸いてしまう。
「俺はこれまで多くの霊術師と殺り合ってきた。中にはそれなりの強者もいたが、結局はものの数分で死んでしまって、実に退屈な殺し合いばかりだった」
突然の自分語り。
これまでの行いを隠す素振りも見せずに、平然と打ち明ける。
自分が数多くの命を弄んで奪った『最悪の殺人鬼』であることを。
「だからな、俺は今嬉しいんだよ。お前のような強者と久々に殺り合えて」
まるで新しいおもちゃで遊んでいる子どものような口ぶり。
頭のネジが飛んだ、イカれた人間にしかできない思考に鳥肌が立つ。
「他人の命を奪うことに何も思わないのか?」
「・・・特に思わないな。というより、考えたことがない」
「お前が殺した者たちの帰りを待っていた大切な家族や恋人の気持ちを、一度も考えたことはないのか・・・?」
「それもないな。そもそも他人のことなど、どうでもいい」
鼻で笑って北島の言葉を一蹴する。
他人の人生など興味ない。そんな下らないことを考えるより、自分が楽しめさえすればそれでいい。むしろ、なぜ自分以外の者を気にかける必要がある。
そんな心の声が、葦田の表情から伝わってきた。
「・・・そうか」
これまで必死に抑えてきた、怒りに震える手がスッと止まる。
自分でも不思議なくらい妙に心は穏やかで、どこか安堵さえしていた。
脳裏に浮かぶ、あの頃の記憶。彼の笑顔が鮮明に蘇る。
「そう言ってくれて安心したよ」
「・・・どういうことだ?」
落ち着き払った北島の態度に、葦田の頭に疑問符が浮かぶ。
「お前が人の心を持ち合わせていなくてよかった」
北島は静かに、しかし力強く、思いを吐き出す。
「これで、もう我慢しなくて済む。容赦なく、お前を叩きのめせる」
どこかで同じ人間として考えていた。
もしかしたら罪を償う気持ちがあるのではないかと、そう思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。
葦田道真は人間ではない。人々に害を与える最低最悪な存在。人間の形をした物の怪。
であるならば、普通の人間では理解できない行動を取り、許し難い悪行を重ねる葦田の姿にも納得できる。
同じ人間だからと思って我慢していた、沸き立つ激しい怒りをこのままぶつけても問題はない。
「覚悟しろっ!」
宣言と同時に構えを取る。
葦田が自分語りをしてくれたおかげで溜められた霊力を一気に解放。
北島の体に青い霊力のオーラが纏う。
「よくわからんが、俺を叩きのめすと言うなら受けて立とう」
「そんな余裕を見せていられるのも今のうちだ!」
「!!」
床が割れる程の力強い蹴り上げ。
北島は一瞬で葦田との間合いを詰める。
「魄戒で霊力を封じられたお前に、もう勝ち目はないっ!!」
北島の磨き上げた近接格闘術が葦田を襲う。
「古武術か。この時代に珍しい」
「!?」
しかし、葦田もタダではやられない。
繰り出される北島の猛打を受け流し、急所を突く攻撃は腕や足でガードする。
この体捌きだけでわかる。葦田が近接戦闘においても高い技量を持っていることが。
先程までの派手な雷鳴とは異なり、北島の体術による打撃が風を切る音や、葦田の体に当たる鈍い音が廊下に響き渡る。
「霊力が使えないくらいで倒せると思われるとは。俺も侮られたものだ」
「ちっ・・・!」
近距離攻撃でもダメージを与えられない。
これはさすがに想定外だった。
「一応言っておくが、俺がしてきたことは、この世界を終末から救うためだ」
激しい攻防が続く中、葦田は息も切らさずに淡々と語り始める。
「まさかこの世界が危機的状況にあることを知らんわけでもあるまい」
「ふざけるなっ! どんな理由があろうと罪のない人を殺していいわけあるかっ!!」
「俺が殺した者たちは必要な犠牲だった。生かしていたら、世界は破滅の道を辿っていたはずだ」
「そんなバカげた陰謀論を語るなっ!!」
「陰謀論などではない。あの方が語るのは、常に真実のみ」
「妄言も大概にしろ! そんな矛盾だらけの論理を誰が信じるっ!!」
「やはり表側の人間にはわからないか。この世界に蔓延る闇の深さが」
「正義ヅラするな!! お前が犯した罪を、お前のエゴで正当化してるだけだろっ!!」
「・・・仕方ない。何を言っても無駄なようだ」
徐々に葦田の捌きが上回り、反撃の隙を伺っているのが体の動作や目線でわかる。
「そろそろか」
封じていた霊力が葦田の体内を再び巡りだす。
魄戒による霊力抑制の効果が、ほぼ消えかけていた。
――くそっ! 想定よりかなり早い!
あの雷撃をこの至近距離で放たれたら防ぎようがない。
北島は霊力を両手に集める。
「またあれか。だが――」
北島との距離を取ろうと、葦田の下半身に力が入る。
「そう何度も同じ手は通用しないぞ」
「当然だっ!」
「!?」
しかし、その狙いを読んでいた北島は先手を打っていた。
力を込めていた右足が踏みつけられ、動きを止められる。
「なっ・・・!」
予想外の事態に、勢いが余った上半身は制御を失い、大きく体勢を崩す。
――もらった!
「霊淀り!!」
淡い青色の光を放つ拳が葦田の腹部を強打する。
「くっ・・・!」
刹那、葦田は力が抜けるような感覚に襲われた。
――何だ? 何が起きて・・・。
体に何が起きているのか、理解が追いつかない。
しかし、この攻撃が危険であることを本能が察した。
――とにかく、早く距離を取らなければ。
しかし、鉛玉のように重い体は脳の言うことを聞かず、その場からほとんど動けない。
「もう遅い!!」
さらに霊術(霊淀り)を葦田に打ち当てていく。
拳が体に触れる度、力が入らなくなっていき、とうとうガードすら崩れる。
「くっ・・・」
立っているのがやっとな状態にまで追い込まれた葦田は、冷静に状況を分析する。
先程の霊術(魄戒)とは異なる術式。
体に霊力があるのは感じるが、流れが鈍く、霊術を使うのにいつもの倍以上の時間を要する。
さらに、霊力は末梢神経を伝って流れているためか、体の動きにまで影響が及ぶ。
動きが鈍化して思い通りにいかず、イライラが募る。
「これを使うつもりはなかったが」
ポツリと呟き、不本意ながらある準備を始める。
「何をしようと無駄だ!」
何発も霊淀りを食らった葦田の霊力集束速度は、通常の十倍以上。
――どんな霊術であろうと、発動までに早くても五分以上はかかる。
それだけの時間があれば十分。
北島は体内に残っている、ありったけの霊力を右拳に一点集中させる。
拳に纏う水色のような淡い青が、徐々に藍色のような濃い青へと変わっていく。
――この霊力密度なら!!
北島は目の前の光景を見て、確信した。
一点集中させた、藍色の光を放つ拳。これを叩き込めば、勝負は決する。『彼の無念を、自分の復讐を、ようやく果たせる』と。
霊力だけでなく、ありったけの力も拳に込める。
限界ギリギリの、今にも弾け飛びそうな右腕に乗せた、自分の全て。
「これで終わりだ!! 葦田道真っ!!」
「・・・!!」
全身全霊。今日一番の渾身の一撃を振り抜く。
「――業砕霊拳!!!」
振り抜かれた拳が葦田の胸部にめり込む。
霊力による打撃強化に加えて、葦田の体内にも直接ダメージが入る。
「ぐっ・・・!」
拳が相手の体に当たる際に、緻密な霊力コントロールで的確に相手の体内へ霊力を送り込む。
霊力の性質が自身の戦闘力に直結しない北島家が編み出した、上級霊術の一つ。
「・・・」
校舎に再び訪れる静寂。耳に届くのは、外の雷鳴と屋根に激しく当たる雨音だけ。
かなりの衝撃を受けて吹き飛ばされた葦田は、廊下の突き当たりの壁に激突して寄りかかった状態のままピクリとも動かない。俯いていて表情は確認できないが、おそらく気絶している。
確実に勝負はついた・・・はずだった――。
次回、北島 vs 葦田の最終局面です。




