騒動の終わりと不穏な影
ここで第一章完結となります。
霊術秩父高校。校長室。
合同演習の騒動から数時間後。
二組と七組の学生たちから事情を聞いた北島は、校長の永田に一連の出来事について報告していた。
「――以上が本日の合同演習で起きた騒動の全容です。学生たちの話から、吉良義広は、衣笠詩織と秦維人が仲睦まじく話しているのが気に食わず、それが原因で戦闘へと発展したものと思われます」
報告を受け、眉間に皺を寄せる校長。
幾秒の後、溜め息混じりに呟きを溢す。
「まさか嫉妬がここまでの被害を生むとは・・・今の子たちは恐ろしいね」
「もう少し真剣に聞いてください」
訓練場の半分以上が損壊し、修繕工事にもある程度の期間はかかる。
加えてその場にいた学生十数名の負傷。
控えめに見ても、かなりの被害が出てしまっていた。
事の重大さを理解していないかのような校長の返答に、北島の口調は強くなる。
「一応これでも真剣に聞いてるんだけどね」
「ではもう少し言葉を選んで発言してください」
「北島くんは厳しいな・・・」
夕刻の校長室。いつもは西日が入る時間にもかかわらず、室内は薄暗い。
空は今にも降り出しそうな雨雲に覆われていた。
「それで、怪我をした子たちの容態は?」
「幸い命に別状のある者はいません。全員、治癒霊術でほぼ完治しています」
「それは良かった」
「秦の勇気ある行動のおかげです」
維人が吉良のもとへ駆け出した際、それまで広範囲に伸びていた無数の刃は、全て維人に向かっていった。そのため、維人は刃の雨が降り注ぐ中を果敢に突き進んでいたことになる。自分の身を犠牲にする覚悟で。
「その秦君は? かなりの傷を負ったと聞いてるけど」
「本人は大丈夫と言っていましたが、どう見てもかなりの重傷でした。特に手足は所々深く抉られて痛々しい状態だったので」
「その傷だと治癒霊術でも完治は難しいね」
「そのはずなんですが・・・」
「ん? 何かあったの?」
「保健医の田代先生曰く、秦が保健室に到着した時には、すでにほとんどの傷が綺麗に塞がっていたとのことで」
「秦君が自分で治癒霊術を?」
「いえ、本人は何もしていないと」
「それは・・・どういうこと?」
「私にもわかりません」
「う〜ん。不思議だねぇ」
窓から見える景色に目をやり、考える素振りを見せる。その表情はどこか物憂げで、この先の未来を不安視しているように思えた。
「入学式の時の騒動もだけど、彼は一体何者なんだろうか?」
「それを聞きたいのは私の方です」
「この感じだと、もう少し様子を見るしかないね」
曇天を見つめる校長に、北島は最も重要な事案について切り出す。
「二人の処遇についてはどのように?」
「とりあえず明日は自宅謹慎にしたんだっけ?」
「秦にはそう伝えました。吉良は私が到着したと同時に気を失って倒れたので、この後意識が回復したら伝えます」
「・・・できれば、あまり重い処分を下したくないね」
「・・・」
二人の将来の芽を摘むような行為をしたくない、という校長の考えは理解できる。
誰でも失敗はするものだし、その失敗から学んで成長するのが人間という生物。『一度の過ちで外れてしまったレールに戻ることは一生許されない』。そんな社会はあまりにも残酷すぎる。
しかし、人間社会というのは実際ひどく複雑で、残酷で、惨たらしく、目を背けたくなるような現実が幾つもある。それだけは、感じて、知っておかなければならない。特に霊術師を目指すのであれば尚更。
「校長のお気持ちはわかりますが、二人はもう高校生です。これだけの被害を出しておいてお咎めなしでは、学校や霊術界の沽券に関わります」
「まあ、尤もな意見だけどさ」
「それに、これは適合者と非適合者の間にある溝をより深めることにも繋がりかねません。どうか、適切な判断を下してください」
「・・・わかった。ちゃんと処分は下すよ。二人のためにもね」
いつも真面目でクールな北島の熱の籠もった意見。普段の彼女からは感じられない、怒りにも思えるような赤い感情が内側から垣間見える。
今回の騒動について、彼女なりに思うところがあるのだろうと、校長は推察した。
「でもまずは霊管協や霊術大学のお偉い方に報告しないと」
中年太りで出っ張ったお腹に手を当てて、普段の温厚な顔を苦い表情に変える。
「考えただけで胃が痛くなるよ・・・」
霊術高校の校長は当然に停学や退学処分などの判断を下す決定権を持っている。ただ、一定以上の問題が発生した場合は、母体である霊術大学や霊管協(霊力管理協会)に報告しなければならない。
その後、霊術大学と霊管協側からの意見を頂戴し、その上で最終的に校長が判断を下すという流れになっている。
「また霊術界の品位をどうのって言われるなぁ・・・嫌だなぁ・・・」
「そこは仕方ありません。覚悟してください」
霊術師などの、適合者の中でも特に権威のある者たちは霊力社会のことを『霊術界』と呼び、霊術界の品位や立場をかなり重んじている。
今回のような騒動は、かなり厳しい目を向けられる可能性が高い。
「とりあえず、明後日からの大型連休はゆっくり休んで英気を養おう。じゃないとやってられない」
どこか目を虚ろにさせて、独り言のようにブツブツと外の景色に呟く。
そんなに色々と言われるんだな、と校長の様子を見て北島は察した。
「では私はこれで」
「うん。・・・あ! そうだ。ちょっと待ってもらえる? 一つ伝えておきたいことがあってさ」
「何でしょう?」
踵を返そうとするのを止めて、再び校長に視線を送る。
校長は机の引き出しを開けて何かを取り出そうとしていた。
「実は――」
その時、コンコンと校長室の扉を叩く音が鳴った。
来訪者を告げる音に、校長は取り出したものを引き出しに戻してから「どうぞ」と入室するよう促した。
「失礼します」
現れたのは、髪を整え、皺一つないスーツを着こなした三十代半ばくらいの清潔感のある男性。
身長は優に一八〇センチはあり、その佇まいから只者ではないことが窺える。
威厳を感じさせる少し低めの声で、男性は要件を話す。
「校長。明日の術校祭会議について打ち合わせをしたいのですが、今お時間よろしいでしょうか?」
男性はチラッと北島に目をやり、校長に伺いを立てる。
「北島くん、いいかな?」
呼び止めたことを隠すような視線を、北島に送る。
「・・・はい。私の要件は済みましたので。失礼します」
一礼し、踵を返して扉に向かう。
途中、男性と目が合い、挨拶程度の軽いお辞儀をした。
「お疲れ様です」
「いやあ、今日もまた一段とお美しいですね」
「・・・どうも」
あからさまな口説き文句を生返事であしらう。
扉に手をかけたところで、全くめげる様子なく、再び男性は話しかける。
「凛子さん、また今度お食事でも行きましょう。所沢の方に美味しいフレンチのお店を見つけたので」
男性の言葉に、北島の目元がピクッと動く。
「坂東先生。その呼び方はやめてほしいと前に言ったはずですが」
「これは大変失礼しました。北島先生」
「それと、今まで先生と食事に行ったことはありませんし、今後も行くことはありません。あまりしつこいようであればセクハラで訴えますよ」
淀みなく矢継ぎ早に並べ立てる。
しかし、これだけ言われても坂東なる男性はノーダメージの様子。加えて女性を落とすような満点の笑顔で北島に告白する。
「あなたのような麗しい女性に訴えられるのであれば僕も本望です」
「・・・失礼します」
無視して校長に一礼し、北島は部屋を出ていく。
静寂に包まれる校長室。
坂東は小さく笑って北島が出ていった扉を見つめる。
「坂東君。教師同士の恋愛にあれこれ言うつもりはないけど、あまり面倒事は起こさないでね?」
ただでさえ色々と問題が山積みなのに、これ以上増やされたら卒倒しかねない。
校長という役職に就いて丸四年、改めてその立場がいかに大変であるかを永田勘九郎は実感したのだった――。
* * *
霊術秩父高校。中央制御室。
敷地内のちょうど中央に位置している六畳にも満たない程の部屋。
室内には、整然と並んだ多数のICチップが淡い光を放っている。壁一面に埋め込まれた基盤はまるで巨大な回路のように繋がり合い、一定のリズムで明滅を繰り返す。
非常時には、外部からの侵入や攻撃を防ぐ結界霊術が展開され、同時に外部への支援要請が瞬時に送られる。
さらに、校内に設置されている電光掲示板や校内放送といった日常的なシステムまでをも一元的に管理しており、敷地内の様々なシステムを制御・管理している、まさに霊術高校の心臓部。
その室内に、スーツ姿の一人の男性がいた。
コントロールパネルを操作しながら怪しく笑う男性。
守衛が巡回に来る前に手早く作業を終わらせ、周囲に人がいないことを確認してから部屋を出る。
「あとは、このボタンを押すだけで、私は・・・」
手に握られた怪しい光を放つ装置を見て、思わず喜びに笑みを溢す。
そうして誰にも気づかれることなく、男性は学校を後にする。
平穏な日常を脅かす不穏な影が、すぐ目の前まで迫っていた――。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
第二章はかなり展開が早い内容となる予定です。