プロローグ
二一世紀初頭、突如として世界は一変した。
事象に干渉できる魔法のような超常的な力が人類に芽生え、これまでの常識が音を立てて崩れた。
後に『世界の転換点』と呼ばれるその力について、各国はこぞって研究を始めた。
研究が進むにつれ、力は『霊力』と呼ばれるようになり、霊力を持つ者は『適合者』と名付けられた。
それから一〇〇余年、霊力は体系化し、人類の科学技術は飛躍的に向上。世界はより豊かになった。
表面上は――。
* * *
西暦二一六二年。三月某日。
日本大国の首都『東京地区』。
政治・経済・文化など様々な分野において日本の中心であり、世界有数の大都市。また、東京西部には国内の適合者や霊術師を管理する霊力管理協会、通称『霊管協』の本部もある。
その中で政治の中心地、千代田区永田町の首相官邸ではある会議が行われていた。
官邸内。大会議室。
内閣総理大臣を始めとした閣僚たちが長机の左右それぞれに置かれた椅子に腰掛け、神妙な面持ちをしている。
「総理、例の件例の件の進捗状況はどうなっているのか、説明してもらおうか?」
防衛大臣の伊佐見が総理の結月へ問う。
大柄で肥満体型の伊佐見とスマートな細身体型の結月。対象的な二人の間には息を呑むほどの緊張感が漂っている。
「その件については私の方から説明を」
総理大臣の隣りに立つ女性。事務秘書官が伊佐見の厳しい視線を自分の方へ誘導する。
「現在、件の対象は我々の監視網によってある程度監視できています。また四月から霊術高校へ入学するため、学内の監視も容易となります。よって、対象は常に我々の監視下にあると言っても過言ではありません」
「周囲への影響は?」
「万全を期しています」
「根拠は? あの学校に通う優秀な若者たちが被害に遭わないとなぜ言い切れる?」
長机の正面に設置された大画面のスクリーンに資料を映して、女性は詳しく説明する。
「周知の通り霊術高校の設備には国家予算が使われており、常に最先端技術のセキュリティシステムが導入されています。もし学校内部で霊力暴走が発生すれば・・・このように即座に対象者を拘束する結界霊術が発動されます」
「どこでもか?」
「はい。術式は校内の至る所に組み込まれていますので、敷地内であればどこにいてもすぐに発動されます」
依然として眉根を寄せて疑わしい視線を向ける伊佐見の目元がピクッと動く。
「それはあの力にも対応可能なのか?」
「再現率およそ九〇%の仮想霊力を用いた実験では高い効果を示しました」
「仮想霊力? あの力は霊力なのか?」
「断言はできませんが、そのように仮定しています」
「国を滅ぼしかねないあの力をそんなあやふやな仮定で防げると判断したのか?」
「・・・はい」
「あまりに愚かな判断だな」
フンッと鼻で笑って偉そうに椅子にもたれかかる。
明らかに見下すような態度に、女性は笑顔を浮かべながらもこめかみに血管が浮き出る。
「まあ伊佐見さん。総理もここまで手を尽くしているんですから、とりあえず様子を見てみようじゃありませんか」
経済産業大臣の米子が割って入る。
小柄な身体と後退した頭皮が目立つ彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべて結月に言う。
「総理も万全な体制が整ったから、我々をこの場に呼んだんでしょう? それだけの自信がおありであれば、万が一など起きはしませんよねぇ?」
意味を含んだ言い方をする米子に結月は静かに頷きを返す。
「もちろん。六年もの歳月をかけて準備してきたんだ。自信がなければ皆をこの場に呼んだりはしないよ」
「おおっ!」と周囲が沸く。所々で「さすが総理」、「やはり日本を立て直した手腕は違いますな」などと賞賛の声が上がる。
ただ、伊佐見だけは不満を露わにしていた。結月から目を逸らさずにじっと睨みつける。
「ただ――」
少し険しい表情になる結月。
周囲の盛り上がりが一瞬にして静まり返る。
「ここ最近、アメリカやヨーロッパで頻発している霊力テロ事件。これにどうも日本人が関わっているのではないかと言われている。もちろんそんな事実はないが、彼らとしては日本が関与していると言った方が色々と都合が良いんだろう。全く困ったもんだよ。なあ、渋川君?」
周囲の視線が外務大臣の渋川に集中する。彼は憔悴し切った表情で、ただでさえ彫りの深い顔立ちが輪をかけて深くなっている。
「その件について各国からの問い合わせがここ最近かなり来てまして、正直かなり困っています・・・」
渋川はポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭う。
「とりあえず情報が入るまでは静観の姿勢を貫くつもりだが、相手方が痺れを切らして何かしら仕掛けてくる可能性は大いにある」
「総理、日本でも近年霊力を使用した強盗や傷害事件が各地で多発してるみたいですが、もしかして何か関係性が?」
腕を組んで結月は考える素振りをする。
「それについては肯定も否定もできないのが現状だ。関係あるかもしれんし、ないかもしれん」
結月は一拍空けて、続ける。
「ただ一つ言えるのは、日本を含めた世界各地で反乱因子が生まれつつあるということだ。それも、組織か特定の人物が裏で糸を引いている可能性が、極めて高い」
周囲がざわめき出す。先程の賞賛から一転、不安の声が四方八方から飛び交う。
伊佐見はどんな思惑が込められているのか、真剣な表情で結月に目を向ける。
「とにかく、例の件だけでなく、世界や日本の情勢含めて懸念点はかなりある。皆にもそこのところ、十分気にかけてもらいたい。よろしく頼む」
座った状態のまま、深々と周囲へ頭を下げる。この姿勢こそが結月が三期連続で総理大臣を務めている理由の一つだ。
官邸内。総理執務室。
執務室内中央にある、深い色合いの大きな机。磨き込まれた木目のその向こう、見ただけで高級とわかる革張りの椅子の背もたれに総理は手をかける。
椅子を引き、両手を机にかけて「よっこらせ」と言いながら座る。その姿は、さながらどこにでもいるおじさんのよう。
「会議、お疲れ様でした。総理」
「どうにか無事に終えられたよ」
「はい。例の件についても、上手く立ち回られていてお見事でした」
「伊佐見君は少し不満そうだったけどな」
ハハッと苦笑を浮かべる。
会議終了後、大会議室を後にするまで伊佐見から視線を向け続けられていたことに結月は気づいていた。
「仕方ありません。防衛大臣として日本を守る責務がありますから。それに、伊佐見大臣は霊力反対派ですし、賛成派の総理のやり方が気に食わないのでしょう」
会議で横柄な態度を取られたことをまだ怒っているのか、彼女の内側にはメラメラと怒りの炎が燃えているように見える。
「彼も非適合者として色々と苦労したからな。まあ、もう少し様子を見てもらおう」
椅子を少し回転させ、窓の外に視線を投げる。そして、小さく呟く。
「そう待たずとも動きがあるだろうしな」
「・・・何か仰られましたか?」
結月は彼女に向き直り、優しく微笑みかける。
「いや何でもない。今日はいい天気だなと思ってな」
そう言って机に積まれた書類を手に取る。
「・・・では私も失礼いたします。何かあればすぐにお呼びください」
「ありがとう。ご苦労様」
秘書官の女性は「失礼します」とお辞儀をして執務室を後にする。
何でもないと言った結月の表情で、女性は確信した。
国の最重要人物の一人、結月栄秀が国家を揺るがす程の重大な秘密を隠している、と。
カツカツッとヒールの音を鳴らしながら、女性は廊下を歩いていく。総理の抱える秘密が一体何なのかを考えながら――。
* * *
会議から二週間。満開だった桜が舞い散る四月上旬。
埼玉地区秩父市にある『霊術大学附属秩父高等学校《れいじゅつだいがくふぞくちちぶこうとうがっこう》』に一人の少年が入学した。
無能の烙印を押された、異端の少年が。