はんかくさい男爵閣下の領地運営
居酒屋の息子に転がり込んできた、分不相応な男爵位。
ちょっぴりナイショの猫耳メイド、相棒のエリスさん。
小さいながらも海産資源の豊かな領地、気の良い領民。
諸事情から、たった2人の領地運営が開始したのです。
玉瑛から使者が訪れたのは突然だった。
元は島国だった、伝統料理の食材が欲しい。そんな内容で会談を打診されたが、遠方なので辞退していた。しかし、王室から2度3度と繰り返す申し出、新参者の貴族では断り切れなかった。
水晶鉱山を求めて移動するうちに現在の地に根を下ろした歴史のある鉱石国で、特に魔術師は高純度の瑛國産水晶を珍重するそうだ。魔力を飛躍的に高める効果がある、とかなんとか。
こちらから海産資源を送り、あちらは特産の鉱物資源で支払う。
物々交換の求償貿易なので、現金化するには一手間必要になる。
交渉が成立しずらい条件だと思うが、渡りに舟の申し出だった。
海に面した狭い領地、税の徴収は難しい。
海産物を保管の容易な鉱物に置換できる。
領民の皆さんも、大賛成してくれたのだ。
そんな経緯で貿易を開始したのだが……
じろり、紺碧の瞳が向けられた。
「 馬 ー っ 鹿 こ ぐ で ね ぇ !! 」
エリスさんに理解されなかった。
うちのメイドすんごい怒ってる。
「あのぉ。できれば落ち着いて?」
「こんのぉ! ほんずけなしが!」
気がせいて事を急ぎすぎた。
拙速に事を運びすぎたのだ。
事後承諾とはいかなかった。
こうして責められっぱなし。
「さー貿易だぁ? そったらことしてなんになるってさ!」
この貿易がもたらす利益。
まさに問題はそこだった。
内陸に位置する玉瑛国、海の幸は貴重品。
提示された交換比率は破格と言って良い。
「交換比率の設定、輸送方法の確立、保管場所の確保っ!」
「はい」
「なんもかんも一緒くたに、ぜ~んぶ丸投げだったべや!」
「はい、しました。ごめんなさい」
「こったら借金の山ぁこさえて!」
問題は、据え置き型の大型物質転送装置。
転送装置自体は一般的に利用されている。
運賃を払えば良いと思っていたが、周辺に既存の装置が一台も無い。
ド田舎ということを失念していて、インフラ整備から必要になった。
金貸しに断られると思って、打診だけ、のつもりが。
爵位持ちで、手狭でも領地がある。
それなりの信用が得られるらしい。
全額自腹で購入、漁協の倉庫に設置し終えたが……
はたして能無し領主に返済能力があるのか無いのか。
人生最大の負債を抱えて、それを聞きたいのはコッチのほうだった。
チラリ
それでも、玉瑛との交易。
あまりにも魅力的すぎた。
チラリ
「……旦那様?」
「あっ、はい!」
チラリ
「さっきからチラチラあっちゃ見て……」
「いえ、なにも! お話を伺いましょう」
「届いた荷物そったら気になるってか?」
「あっ!」
部屋の隅、玉瑛から最初に届いた木箱。
エリスさんは中身をひとつ取り出した。
「こりゃたまげた!」
「な? そうだろ?」
「たいしたもんだな」
握りこぶし大の、見事な瑛國産水晶だ。
金色の針状結晶を内包している。
「魔術師が欲しがるのは透明度の高いもので。違う鉱物が入っていると、装飾品に加工されて流通するらしい。価値はガクンと下がるけど見た目は良いものだから、試験的に贈りましょう……そう言ってたけど」
唯一の反対派・エリスさんが認めるほどの、美しい原石。
交易に対する、先方の本気度が伝わってくるようだった。
陽光に透かして「綺麗なもんだ」と飽かずに眺めている。
「それ、エリスさんにあげるよ」
「なんもさ! とんっでもねぇはなしだ」
「手続きはエリスさんの仕事だったから」
「したっけさぁ……」
少し机を整理して、ポンと隅に置いた。
「ここでいいっしょ!」
「そこぉ?! う~ん」
「ちょぴっと雑だべか」
「棚のひとつも、あったほうが良いかな」
「んだべなぁ、書類も増えてきたもんな」
今のところ、部屋には机しかない。
当面ここが水晶の置き場所だろう。
そして・・・
「こっちゃ~なんだべな?」
交渉へ出向いて、目にしたのが、2つ目の荷物。
あまりにも魅力的すぎた、一瞬で、心奪われた。
なんとしても輸入しなくてはならなかったのだ。
上等な紙に包まれていた荷物を、パラリ、パラリと広げていったエリスさんは、ひととおり中身を確認して、細い眉がヒクヒクと二度動いた。
顔色を窺っていると、地響きにも似た声が這い寄ってきた。
「 旦 那 様 ~ ぁ ?」
「それこそが、本命でした」
「なんそれ。ほんずけねぇ」
氷柱のように突き刺さる、鋭利で、冷たい視線。
……と。
「大工のおっちゃん、書き机さなる戸棚作ってたべや」
「え?」
「重要書類しまうからさ、じょっぴんかっておかねば」
「じょっぴん? じょっぴんを買ってきたらいいの?」
「んだ」
「今?」
「んだ」
書斎の扉を顎でしゃくって、『行け』と催促された。
倒けつ転びつ廊下に出て振り返ると、水晶を眺めながら「フン!」と鼻から短い溜め息をつく姿が見えた。しばらく近寄らないほうが良さそうだ……外套を羽織って、外へ出る。
坂を下ると、すぐに見えてきた。
大工と呼ばれているが、家一軒から家具まで拵える。
簡単な木造船の修理までするほど、腕の立つ親方だ。
住んでいる古城、故郷の軍隊が踏み荒らしたのだが。
その修理を相談したときも、快く引き受けてくれた。
「どうもーぉ、すいませーぇん!」
「あんれまぁ、男爵閣下でねぇの」
「あ、親方。じょっぴんください」
「は?」
「え?」
テーブルに「ほらよ」と置かれたお茶を啜った。
木の香りが漂う作業場は、不思議と心が休まる。
親方は立ったまま「で?」と詳しく聞こうとしたが、こちらも説明らしい説明は聞いた覚えがない。「書類用のじょっぴんを買ってこい、とかなんとか」と曖昧な説明しかできなかった。
「あぁエリスさんだべ」と尋ねられたので、頷いた。
ぱさり、ひとつの封書を手渡された。
「あの、転送装置さ。なに送るもんか調べとけってさ」
「魚や水晶ですけど?」
「渡せばわかるっしょ」
「ありがとうござい……あれ? これは、別件かな?」
謎の家具、じょっぴん。「机か、戸棚?」と口籠る。
そんな様子を見て取って、心当たりがあったようだ。
「そりゃあ、ビューローだべな?」
「この家具が、じょっぴんですか」
「あぁ違う違う。じょっぴんはさ、かーぎ!」
「鍵?」
親方は、我が意を得たり、と大きく頷いた。
「書類かたすのに丁度良いってエリスさん言ってたべや。重要書類もあるもんな、鍵がいるんだべ? 鍵屋に頼んでさぁ、できたら持ってっからさ!」
さらさらと請求書に書かれた数字は、少なすぎるように思えた。
貴族の執務室に置くなら宣伝になる、だから割安にしたという。
礼を言って、帰路についた。
猫の額ほどの城下町を、ぶらぶら歩く。
何度か声をかけられ、魚や野菜を持たされて荷物が増えていく。
坂を上りきる頃、頭上から声が降ってきた。
「なしたのー? そったら荷物持ってさぁ!」
見上げると、窓辺に揺れる切りすぎた金髪。
「これ? ……エリスさんに渡してくれって」
慌ただしく駆け降りてくる気配。
そのうち玄関扉が開け放たれた。
「ライティングビューロー、どしたの」
「2、3日中に届けてくれるらしいよ」
「お使いもできねっけ、どーもなんね」
上等な生地で仕立てられたワンピース。その下に寒さ対策に多層のペチコート。それらを包み込む、かわいらしいエプロン。大きな碧いリボンをあしらっていて、どこか気品が漂っている。
見れば見るほど完璧な衣装。
「それね、玉瑛の女性使用人は、瑛國風クラシカルメイド服で給仕するらしくて。参考に1着仕立てて送ってもらったんだけど……」
「このスカート長くてさ、歩きにくいったらないっけさ」
「すごく似合うよ」
「ジロジロ見んな」
このところ挨拶回りで留守がちだった。
屋敷の修繕が一段落、大工の親方も御無沙汰していた。
この間、エリスさんが買い出しついでに顔つなぎをしながら大衆酒場を切り盛りしていたので、領主としての体面を保てていたらしい。
実質的にはエリスさんが辣腕を振るって運営していた。
「ごめんね」
「なしたの」
「外地域と交流せずに、完全自給自足っていうのも難しいから。地理的距離のある玉瑛国なら影響も少ないし、情報漏洩も許容範囲だと思ったんだ。でも、今度から真っ先にエリスさんに相談するよ」
「んだな! 決めんのは旦那様で、あだしがやんだから」
少しだけ不満気な表情。
そして、僅かに笑みを浮かべて呟いた。
「はんかくさい旦那様で、わやだもんな。ゆるくないわ」
「え……今、なんて?」
イラスト:©こすもすさんど様