一時帰国して喜劇を見る
お供と共に三年振りに故郷の地、ベイリー王国の王城に足を踏み入れ、真っ先に向かったのは王の執務室。
自分事、菊理の記憶を取り戻したローレン・デアリング(十八歳)として、先触れも出してある。一ヶ月前に送った手紙にも今日訪れると書いた。
王が逃げ出していなければいいが。ま、王妃と一緒でも良いと書いたのだし、本日面会の了承の手紙も貰っている。
怒りを隠さずに歩く自分を見てすれ違った人間がぎょっとしているが気にならない。教皇が自分に付けた護衛に至っては悟り切った顔だ。
回復魔法が使えるだけで『聖女候補』に祭り上げられ、三年前、他国のファリス王国立神学校に強制的に留学させられた。正式な聖女になるには、神学校卒業後に大神殿で数年間も、聖女補佐として仕事をこなさなければならない。聖女になる気は無いけどね。
この三年間。国にいなかったのに、何故か悪評が立ち、留学先にまで届いた。
火種の大本は第二王子とその側近に、父の再婚相手の女の連れ子。黒幕は父親だと当たりを付けている。
――事前に起きたら火消ししろと言ったのだが、守られていない。
寧ろ王家が煽っている節が有る。火消しをしないのならば国から去る。ついでに別の大陸に行くと留学前に散々脅迫したのだが、どうやら無視されたようだ。
留学先の校長も教皇も激怒していた。火消しをしろと言った内容の手紙も預かって来た。
暫し歩いて、遂に到着した。
扉の前の護衛騎士の顔が引き攣っているが気にならん。
面会了承の手紙を見せ扉を開けさせ、一言言ってから入室する。お供も倣って入った。
さして広くない室内には王と王妃を始めとした、宰相や大臣、閣僚などの重鎮が揃っていた。執務机の前にまで歩み寄る。
「ひ、久し振りだな。聖女候補よ。今日は、どう言った、りゆーで、来たの、だ?」
顔を引き攣らせ、しかし代表なので仕方がなく、言葉をつっかえさせながら王が尋ねて来た。髭を撫でながらの発言だったので、無性にあの髭を切り落としたくなった。目を眇めて少し間を置くと、王の背筋が伸び、髭から手が離れた。
「……お久し振りです。本日は三年前の約束が履行されていない件についての言い訳を拝聴する為に参りました。ああ。教皇様からも此度の一件について問い合わせる内容の手紙を預かってまいりましたので、言い訳が終わったあとで、お読みになり、教皇様にご回答をお送りください。一ヶ月以内に回答が無い場合『国ごと纏めての破門も吝かでもない』と検討するそうです」
「う、うむ。忘れずに回答を送ると誓おう」
教皇の名が出て来るとは思っていなかったらしい。室内にいる自分とお供以外の顔色が悪くなった。無視するが。
侍従長に手紙を預け、本題に入る。
「さて、陛下。私がお送りしました手紙の件ですが――」
「済まんかったー!!」
自分が言い終わるよりも先に、王は椅子を蹴倒して立ち上がり、額を執務机に叩き付ける勢いて頭を下げた。ゴツン、と盛大な音がした。
「ボビーには、何度も説明した! だがあの馬鹿息子、周囲の阿呆共に『身分差で結ばれない悲劇の主人公のようですね』と言う社交辞令を真に受けて、嫌がるのだ! 同情される事で得られる優越感が捨てられないらしい!」
王の横に立っている王妃も済まなそうな顔をして頭を下げ、室内にいた他の全員も頭を下げた。
「デアリング公爵にも何度も話した。だがあの馬鹿公爵『確かに姿は見ませんが、儂の大事な妻と可愛いベサニーが泣いて訴えるのです。間違いありません』と言って、否定するのだ! 儂が下した『王命』で、お主が国外にいると何度言っても信じようと、せんのじゃぁああああっ!」
額を執務机に付けたまま、王は悔しさから半泣きになって机をバンバン叩く。机の軋み音が随分と酷い……毎日机に八つ当たりをしているのか、これ?
「デアリング嬢。息子を馬鹿に育ててしまい、本っ当に、申し訳ないわ。思い込みと妄想癖が強いから毎日注意したのだけど」
顔を上げた王妃が目元にハンカチを当てて言う。宰相以下重鎮も『お労しい』と涙ぐんでいる。王に至っては『チキショォッ!』とマジ泣きしている。
話題の王子がどの程度馬鹿なのか知っている。王妃がどれ程苦労したのかも知っている。演技じゃないのも判る。
魔法を使って確認したが、嘘を吐いている人間は一人もいない。では、王家が煽っているのはどう言う事か。少し考えて『もしかして』と尋ねる。
「お尋ねしますが、もしかして王家が煽っているように見えるのは」
「左様。其方の想像通り、泳がせている最中だ」
苦い顔をした宰相が答えた。他にも宰相と同じ顔をした重鎮が幾人かいる。宰相と同じ顔をした人の息子が第二王子の側近だったね。
「此度の騒動解決に向けて、協力を得たい。だが、確認せねばならぬ事もある」
宰相の問いかけに、漸く復活した王も顔を上げ聞き入る。
「ローレン・デアリング公爵令嬢。其方はデアリング公爵家をどう思っておる?」
「『どう』と言うのは意味にかもよりますが、長年放置でしたので『潰れようが』どうとも思いません」
少し考えたが、はっきりと答えると、宰相は引き気味に『そうか』と納得した。回答は合っていたらしい。
「解決するに当たって急だが、本日の夜会で動きが有る」
宰相が言うに、『第二王子は明日の夜会で自分との婚約破棄宣言をし、別の女との婚約を宣言する計画を立てている』そうだ。別の女は父の連れ子だな。
センセーショナルな一手のつもりだろうが、貴族のマナー、常識、慣習をダース単位で無視しているのでアウトだ。
そもそも、前提条件がおかしいので婚約破棄は不可能。そこに気づいていないから、第二王子と連れ子に側近一同は馬鹿なんだろう。父と再婚相手も。
「私は家がどうなろうと興味は有りませんが、今日の夜会で皆様の息子が原因で家に累を及ぼす事になりますが、覚悟は出来ているのでしょうか?」
ストレートに『お前らの息子を切り捨てる事になるけど、悔いはないな?』と尋ねると、全員が肯定した。家庭内での話し合いは済んでいるのか。
最後に王と王妃を見ると、覚悟の決まった顔をしていた。
「話し合いは何度もした。『あの大馬鹿もの』が皆の息子だけではなく、無関係なデアリング公爵家までも巻き込んだのだ。覚悟も用意も出来ておる」
「解りました」
王が言う『大馬鹿もの』が誰かは知っている。
情報の裏付けを取ろうとして、ファリス王国が先に動いてしまったので、まぁ、大体の事は知っている。留学先から離れる絶好の機会だと思っていたが、先手を取られた。
細かい打ち合わせをして、夜会の支度に取り掛かっていると、気づけば日が沈んでいた。
ドレスは城に置いて在ったものを借りた。アクセサリーは重いので一つだけ身に着けた。
「夜会、どうなるのかねぇ」
「ルーカス。見世物じゃないんだぞ。面白がるな」
「いや、どう考えても見世物でしょこれ」
ケタケタ嗤うファリス王国から唯一連れて来たお供のルーカスを窘めるが、本人は態度を改めない。
こいつの本来の身分を考えても、ちょっと問題が有る。有るんだけど、ファリス王国は大国。力関係の都合上、問題は握り潰されるだろう。
ため息を吐きながら、ルーカス共々盛装して夜会会場に足を踏み入れる。この国の夜会に参加するのは三年振りだ。自分がいる事に気付いた参加者がこちらを見ながら笑っている。この三年間の捏造を信じている奴らと当たりを付ける。
笑っている奴、顔を覚えたからあとで覚えていろよ。
そんな事を思っていたら、ルーカスに名前を教えて欲しいと言われた。全員知らないので魔法で調べて教える。
自分をエスコートするルーカスはこの国では余り顔が知られていない。ファリス王国では顔と身分が良いから女が群がるんだけどね。
会場奥の壇上にいる国王夫妻の許に行き挨拶をする。
壇上近くには、打ち合わせ時にもいた重鎮達が揃っていた。彼らにも軽く挨拶。その際、ルーカスは自分を見て笑っていた奴の名前を口にした。重鎮達の顔が曇って行くけど、ルーカスは楽しそうに笑っている。虐めっ子のような笑顔だ。
断りを入れ一礼してからルーカスを引き離す。遊び足りなさそうなルーカスを見た目も美しい料理が乗ったテーブルに連れて行き、白ワインが注がれたワイングラスを一つ手に取り押し付ける。
「口寂しいなら飲んでなさい」
「ん~? 口寂しくはないけど」
「黙ってなさい」
軽くため息を零し、自分もソフトドリンクが注がれたグラスを一つ手に取る。一応成人しているので公の場で酒を飲んでも問題はない。
酒はそこそこ強いが、アルコール独特の苦みがどうも好きになれない。なので、公の場では余程の事がない限り酒は飲まない。家でもほぼ飲まないが。
手にしたのは葡萄のジュース。一口飲んでみると、幾つかの品種を混ぜているのかスッキリとした甘みだ。
「ちょっと甘いけど、このワイン美味しい。産地どこだろう?」
隣のルーカスは飲んだワインの産地を気にしていた。ワインを飲み干し、次は料理に手を伸ばしている。
グラスを干したあとに、自分も料理に手を伸ばす。
この世界の料理は美味しい。お世辞抜きで美味しい。フレンチとイタリアンが混ざったような料理が多く、見た目も美しい。平民の食事は少し質素だが、食堂などで提供される料理は美味しい。
食事に関して文句はない。何と素晴らしい事か。日本人の性が出た瞬間だった。
ルーカスと共に料理に舌鼓を打っていると、
「悪女ローレン・デアリング! 出て来い!」
頭の出来を疑う怒声が会場一杯に響いた。
壇上の国王夫妻を見れば、揃って頭を抱えている。声の主を探して見つけると、義妹を腕に引っ提げた王子がいた。数人の取り巻き令息もいる。
「出て来ないとは……。我が婚約者だと言うのに、情けない女だな!」
続いて出てきた言葉に、会場の参加者が首を傾げた。
首を傾げたその顔に出ている疑問は主に二種類だ。『第二王子と婚約していたっけ?』、もしくは『第二王子に婚約者っていたっけ?』の二種類が大多数。婚約していないからその疑問は正しい。少数派は『馬鹿やっているな』だった。
「本当に、あの夫婦は矯正をしたのか? どう見ても、やっていないだろ」
「多分、教育担当に丸投げしたんでしょ。それで、たまに直接会って、矯正されたか『結果だけ』を見ていたんだと思う」
こそこそとルーカスと話し合う。
この間も『出て来い』と馬鹿な王子は叫んでいる。
……目の前にいるのに。
参加者達は、王子が何時まで経っても目の前にいる婚約者と称している自分に気づかない様子を見て、小さく失笑を零している。その失笑はあちこちで起き、聞こえた王子は顔を真っ赤にしている。
「臆病者め! どこにいる、顔を出せ!」
目の前にいるよ。
会場にいる参加者の思いは一つになった。
声を嗄らして叫ぶ王子を皆で眺める。壇上の国王夫妻は諦めが付いたのか、虚ろな目で宙を見ている。
夜会の余興に相応しい見世物は、馬鹿が肩で息をするまで続いた。
「ぜぇ、どこだ、ぜぇ、どこにいる……」
馬鹿は苛立った様子で会場を見回す。本当に顔を知らないようだ。腕に引っ付いているやたらと派手で似合っていないドレス格好の義妹も自分に気づかない。
「なぁ、婚約者の顔を知らないって、本当に婚約しているのかよ」
「そもそも婚約すらしていないからね。直接会った事すらないし」
「あー、昼の園遊会とかで遠目に顔を見るのは、直接会ったに当て嵌まらないもんな」
「その通り。会った事が無いから、顔を知らないのは当然なのよね」
自分とルーカスの会話を聞いて、会場の参加者達が王子と義妹を残念な子を見るような目で見た。これから『糾弾する人間の顔を知らない』と言う、致命的なミスを犯しているのに、馬鹿二人は気にしていない。取り巻き令息達も同レベルなのか気づいていない。
そして、馬鹿二人は自分達の会話が聞こえたのか、キッと、睨んで来た。涙目で顔を真っ赤にしているので迫力は無い。恥を上塗りしまくっている子供が喚いている感が有る。礼儀作法がなっていない事に、こちらを指差した。王城の儀礼官を務めているもの達が、王子の行動を咎めるように視線を送った。当人は気づいていない。
「誰だ貴様ら! 余に対して無礼だぞ!」
「あら? 私の顔を知らないと仰るのですか?」
「貴様のような女は知らん!」
王子がはっきりと、自分を『知らない』と答えた。隣の義妹も取り巻き令息達も頷いている。
ここに至って漸く、この三年間で流れていた噂が『でっち上げの冤罪だった』事に気づいた貴族達の顔色が変わった。色々と手遅れだけど。
「これから糾弾する人間の顔を知らないってさ、『冤罪をかけて理不尽に処罰する』って宣言しているようなものだけど、王子がこれで、この国は大丈夫なのか?」
「王太子では無いのがせめてもの救いね。第二王子で、誕生直後は病弱だったから、陛下も甘やかし倒していたって聞くから、性格矯正はもう無理でしょうね」
「そもそも、性格矯正していないだろこれ!? 見た儘を報告しろって言われているのに、三流喜劇を報告しろとか、どんな嫌がらせだよ」
「三流の悲劇じゃないだけマシじゃないの? 見た儘を聞いたら抱腹絶倒ものだし、あの爺様だったら『そんな馬鹿がやらかしたんじゃしょうがないね。息子が馬鹿だと辛いなぁ』って、直接陛下を労りに来るんじゃない?」
「あの爺様だったら、確かに来そうで怖いな。来て早々『息子が馬鹿だと苦労するよね。早々に真面目な方に席を譲って、馬鹿息子と一緒に隠居したら?』ぐらいは言いそうだな」
「それは絶対に暈して言うでしょ」
ルーカスと言いたい放題言いまくってから、壇上の国王夫妻を見上げた。揃って口から靄っぽいのが漏れていた。周りが慌てて介抱している。
「き、貴様ら……。誰だか知らぬが、侮辱もたいがいにしろ!」
「殿下に対して無礼にも程が有るわ! 誰なのよ! 名乗りなさい!」
そう叫んだ直後、会場の参加者全員が白けた視線を二人に送った。この期に及んでまだ分からないらしい。
「……本当に、誰だか、分からないのね?」
「知らぬ!」「知らないわよ!」
駄目押しとなる一声を二人は揃って叫んだ。ルーカスと顔を見合わせ、同時にため息を零し、一礼してから名乗った。
「殿下は初めまして、そこの記憶力の無い義妹は久し振り? 三年振りだった筈だけど、今日会うのが初めてだったかしら?」
「え? ――ッ!?」
自分の言葉に義妹は漸く、自分が誰だか解った模様。義妹が声にならない悲鳴を上げたが、無視して名乗った。
「私が、デアリング公爵家長女、ローレン・デアリングでございます。王命で、三年前からファリス王国に留学に出向いておりましたが、本日とあるやんごとなきお方の代理で一時帰国いたしました」
「き、きさ、貴様が……」
「ええ。婚約した事も無い、会った事も無い無能で馬鹿な男に、存在しない冤罪で婚約破棄を突き付けられそうになっていた女ですわ」
「……」
王子は絶句した。隣の義妹も取り巻き令息達も絶句している。目の前にいて気づかないと言う、馬鹿をやらかした事に今になって気づいたんだろうね。
「で、でも、あんたのせいで、ママがっ」
何かを思い出して復活した義妹が、演技で涙目になって何かを言い募ろうとしている。そんな事よりも『ママ』って単語が存在する事に驚いた。英語なのに何であるんだろう? 疑問を脇に置いて義妹の文句をバッサリと切り捨てる。
「平民の愛人としてデアリング公爵と再婚したあの女? あの女は、私が母から受け継いだ宝飾品を無断で持ち出して、貴族籍の身分を持たない平民のまま、他人の持ち物を無断で質屋に売り飛ばそうとして『窃盗罪』で逮捕されたけど。私も手紙で知ったから、詳細は知らない」
「はぁ!? 平民!?」
義妹は真実を知らなかったのか、一瞬で素の顔に戻り、ギョッとした。
「窃盗罪で逮捕された時に『私は公爵様と結婚したの。だから私は公爵夫人なの。公爵夫人だから前妻の宝飾品を売り飛ばしても罪にならないのよ』って、寝言を吐いて、質屋を困らせたのよね~。貴族籍に入っていない女の戯言としては、及第点以下ね」
「待ちなさい! あたしは公爵家の――」
「平民が貴族と婚姻して正式に貴族籍に入るには、幾つかの条件を合格しないと『国から』許可が下りない。その条件には『家人と家のものの無断売却禁止』も含まれる。義妹の場合は、母親がやらかしたから、最低でもあと十年は平民のままね」
「そんなっ!?」
「更に追加で、公爵令嬢の義理の姉を冤罪で陥れようとしたから、一生貴族籍には入れない。それに、公爵家の金を使いまくっていたでしょ? 使った金は借金として扱われるのは確定ね。借金返済が終わるまで、強制労働所行きは免れないわよ。公爵家の権力を使っても逃げるのは無理ね」
「何で、何でなの!?」
「建国時から存在する法律に、今ここで文句を言ってどうするのよ。変えるには議会満場一致の賛成が無ければ無理だし、過去何度か議題に上がっても全て、満場一致の反対で否決されている。議題に出した王族は全員、オツムに問題が有ったのか王族籍を剥奪されているわね」
予想可能な最悪の未来を想像したのか、義妹はその場にへたり込んだ。腕の荷物が無くなって、王子が復活した。
「ベサニーは貴様の家族で、妹だろう! 助けようとは思わないのか!」
「父の再婚相手の連れ子です。ついでに言うとたった今、家族を陥れようとした性悪女ですが? どうせ他の貴族令嬢から受けた嫌がらせを私のせいと勘違いしただけでしょう。陥れようとしたので許しません。父から大事にされていない私を見てケタケタ笑っていた女なので、家族の情は皆無です」
「で、では、デアリング家と余の婚約話は!?」
「それは、父が実行したら没落への道まっしぐらな計画の事ですか? 内容が『嫡子の私を追い出して、殿下を義妹の婿に迎え入れる』と言うものだったので、陛下が即行で却下しました」
「な、何だとぅっ!?」
明らかにした事実を知り、王子は仰天してからその場に座り込んだ。情報量が多すぎて混乱している模様。
父公爵が立てた計画は『お前は家を潰す気か!?』と国王が一喝して却下した。それも人目の在るところで。
取り巻き令息達は、呆然と突っ立っているだけ。状況が理解出来ず、何のフォローも出来ないとか、どんだけ役立たずなんだよ。
「言いたくないがこの王子、馬鹿にも程が無いか?」
「言いたくないなら言うんじゃない。あとは陛下の沙汰次第ね。……復活してくれるといいんだけど」
「……そうだな」
壇上に再度視線を向けると、二人の姿は無かった。どこかに運び込まれたな。
代わりに王太子が大慌てでやって来た。会場に残っていた宰相から詳細を聞き、血相を変えて各所に指示を飛ばし、ルーカスを見て白目を剥いた。どうやら、ルーカスの正体を知っていた模様。
「不憫だな」
「思っても言わないの」
「はいはい。喉が渇いたから、何か飲むか」
「そうね」
再起動しない馬鹿どもに背を向けて、飲み物が置いて在るテーブルに向かって歩き出したところで、背後から『待て』と鋭い制止の声が響いた。振り返ると、再起動した取り巻き令息の一人が、行儀悪くルーカスを指差し叫んだ。
「デアリング嬢の隣の男! 貴様、何者だ!」
その叫びを聞いて残りの馬鹿一同も再起動した。全員で『そうだそうだ』と児童のように賛同している。恥ずかしくないのか。
「今更過ぎない?」
「名乗っていないのは確かだし、一応名乗れば」
「……そうだな」
提案したら、ルーカスは少し考えて、悪戯小僧のような笑みを浮かべて同意した。
「んじゃ、改めて。俺の名はルーカス。ルーカス・ヴィ・ファリス、だ」
一礼してからルーカスが名乗ると、会場にいた全員が動きを止めた。ぎこちない動きで、ルーカスに視線を向ける。
ルーカスを指差していた馬鹿は、血の気の失せた顔で口をパクパクと動かした。大急ぎでやって来た令息の父が、息子の頭を掴み、膝裏に蹴りを入れて床に座らせ、自身の額を床に擦り付け、息子の額を床に叩き付けるように土下座し、謝罪の言葉を叫ぶ。
「愚息の度重なる無礼、申し訳ございません、ルーカス王弟殿下!!」
令息の父が叫んだ通り、ルーカスは大国ファリス王国の国王の親子並みに年の離れた弟(現在二十一歳)だ。
ファリス王国では、王位継承権は男子にしか与えられない。その為、結婚適齢期の王女が三人いるにも拘らず、ルーカスが王位継承権一位なのだ。外交関係や国内政治で色々と実績を出しているので、実質王太子も同然の扱いを受けている。本人は嫌がっているし、早く四人目を作ってと急かすも、四人目は生まれなかった。
そんな大国の王太子扱いの王族に向かってやらかした。家が今後どんな扱いを受けるのか、想像もしたくないだろうね。
「名乗っていなかったし、代理で来たから、今回は良いぜ」
「か、寛大なお言葉、……身に沁みます」
「代理って、報告以外に何を頼まれていたのよ?」
令息の父を無視してルーカスに尋ねる。
「教皇の爺様に、『異端認定判断の代理人』を頼まれてたんだ。委任状も有るぜ」
予想外の暴露に、会場の空気が凍った。痛い沈黙が下りる。
「委任状が有るの?」
「おう。これな」
「……うわぁ、この筆跡、本物だ」
「俺の目の前で書いて渡して来たからな。本物だぜ」
気安く渡された委任状は本物だった。
教皇からの委任状の権力は強い。渡された人物が大国の王族で、王太子扱いされている人物なので強さは増す。
「手紙の返信の有無に拘らず、これは駄目だと俺が判断したら、『国ごと破門宣言しても良い』って、爺様に言われている」
「陛下が聞いたら倒れるわね」
国王夫妻どころか、これを聞いた多くの貴族が寝込むだろう。現に、さらっと告げられた言葉を聞き、会場にいた貴族の何割かが卒倒した。
混乱し始めた会場に、更なる混乱を齎しては収拾が付かなくなる。
適当に捕まえた給仕に、休憩室に飲み物と料理を運ぶように頼み、ルーカスを連れて会場を出た。
移動した休憩室で、テーブル一杯に運び込まれた飲食物をルーカスと二人で飲み食いする。
美味しいワインがもう一度飲めて産地も知れて、ルーカスはホクホク顔だ。
ある程度食べ進めてからルーカスに今後を尋ねる。
「爺様になんて報告するつもりなの?」
「見たまま言うさ。第二王子と国王夫妻はアレっぽいけど、王太子はギリギリ及第点だから、破門宣言は要らないな」
「酷評、と言うか順当な評価ね。――ちなみにその王太子はここに来ると思う?」
フォークを持つ手を止めて、自分はルーカスを見た。ルーカスはワイングラスを傾けて、赤ワインを一口味わってから答える。
「来るだろうよ。俺が『今回は良いぜ』と言ったのは、『父親が頭を下げた馬鹿』にのみだからな」
「それを理解している奴が何人いるか、謎ね」
「王太子が来なかったら、今後外交からこの国は爪弾きを受けるだろうな。王太子以外に誰が来るかで、評価は変わる」
ルーカスは残りのワインを飲みながら、ちらりとドアへ視線を向けた。ドアの向こうの廊下は、未だに静かなままだ。
今夜の一件で本当に爪弾きを受けるかは不明だ。
「話が変わるけどさ、聖女候補を降りるって本当か?」
「そうだけど」
「最有力候補のお前が降りたら、超揉めるぞ」
「揉めている理由が権力争い、と言うか、ルーカスの嫁決めで揉めているだけでしょ。残りの候補が三人で、ファリスでは妃を三人まで娶っていい法律なんだから、纏めて嫁にすれば解決でしょ?」
強引だが、綺麗に纏まる解決方法を口にすれば、ルーカスは大いに慌てた。適当にエールを送る。
「ちょ、俺を見捨てる気か!?」
「頑張れや」
ファリス王国では『聖女を妃にした方が良い』と言う考えが根付いている。必ず聖女でなければならないと言う訳では無いが、王族の身の安全を考えて『治療出来る人間を傍に置きたい』と言う事らしい。今の王妃は聖女では無いが、医療に関して博識と言える程度に知識を保有しているから、その辺は状況によるのかもしれない。
けれどもルーカスは、気安い奴が良いと主張している。
こいつとの付き合いは二年前に冒険者と間違えて負傷していたところを拾った頃から始まる。互いの身分を知らずに知り合い、公の場で再会して本当に困った。
再会した時のこいつは、顔と身分目当ての令嬢を威嚇して追い払う癖が付いていた。国王夫妻の間には三人も子供が生まれたが全員王女で、四人目は生まれない。王妃も四人目は体調的にキツイから無理と言ったらしい。これでは、年の離れた王弟を王太子にするしかないけど、女嫌いが進んでいるからどうしよう、って状況だった。
ルーカスにも婚約者候補が三人もいるけど、全員聖女候補で高飛車なので仲は良くない。でも揃って高位貴族の令嬢だから扱いに困る。高位貴族の令嬢は他にもいるけど、似たり寄ったりだ。
そんな状況で、他国の公爵令嬢(しかも聖女候補)と王弟が仲良くやっている。
三人いる王女の誰かに、王になる予定の婿を宛がわなくても良い未来が見えたと、国王夫妻と大臣一同を中心に勝手に盛り上がっている。婿選びで起きるいざこざを嫌っての反応だ。
他の婚約者候補はこの状況を指を咥えて見ているような女ではなく、どちらかと言うと、狩りに行く女だった。コルセットで胸が巨乳に見えるように細工して、媚薬混じりの香水を纏い目をギラつかせた――令嬢の皮を被った『飢えたケダモノ』だった。
男が女に傷物にされる直前の光景を、正直に言って見たくも無いものを見る日が来るとは思わなかったな。ルーカスが襲われる直前の現場に遭遇して『何でお前が襲われる側なんだよ!』と思わず声を上げてしまった。
嫌な事を思い出した直後、ドアがノックされた。ルーカスが応答の声を上げると、やって来たのは王太子一行だった。宰相と大臣までもがいる。気づいたルーカスの口元が愉快そうに歪む。
「倒れると騒動が収まらないから、手抜きだけはしなさい」
「解ってるって」
共に立ち上がって、やって来た一行に対応する。対応するのは主にルーカスだけどね。
自分はルーカスの軌道修正にのみ集中した。
このあと。ファリス王国に戻り、王国内の大神殿にいる教皇を訪ねた。勿論、ベイリー王国で起きた喜劇を報告する為だ。
教皇は一見すると好々爺然とした人物に見えるが、中身は政治家も真っ青な暗闘を征して教皇の地位に座った狸だ。油断は出来ない。こんな狸にベイリー王国で起きた『第二王子主演の喜劇』を報告する。最後まで聞き終えた教皇は呵々大笑した。抱腹絶倒ものだと思っていたから、この反応に困ったりはしない。
教皇の反応を見るに、ベイリー王国の異端認定と破門は免れそうだ。
一頻り笑った教皇は、秘書官を呼び出し日程の確認をさせた。
「そうかそうか。くくっ、後日、日程を組んで一度訪れるのが良さそうだな。ああ、虐めに行くのではない。労いに行く」
「止めになりそうな労いだな」
ルーカスの言葉に頷く。労いで行くと言っているが、掛ける言葉によっては、相手の魂が抜ける。教皇自ら息の根を止めに行くのはどうかと思うけど、異端認定と破門されないだけマシか。
でも、第二王子と取り巻きと実家は駄目かも。時間が有る時に、どうなったか調べよう。
ベイリー王国の喜劇から半年後。
自分は無事に神学校を卒業した。聖女候補の辞退はまだ出来ていない。これから暫くの間、ファリス王国の大神殿に勤めてどうにかするしかない。
そうそう。帰国はしなくても良い事になった。ベイリー王国でちょっとした、ゴタゴタが起きているからみたいだが、真相は不明だ。
ベイリー王家は代替わりした。王と王妃は教皇の訪問で、色々と心を折られて、隠居するそうだ。王太子と妻の王太子妃はまともな人間だから大丈夫だろう。
第二王子は全私財私物没収の上で、幽閉された。取り巻きの令息達は全員勘当され、それぞれの領地の寒村で畑を耕している。
実家は、父が隠れてやっていた賭博が追い打ちを掛けて、絵に描いたような債務過多で没落寸前になった。
元々父は役職に就けなかった事を忘れる為に遊びに集中し、領地経営は代官に全て丸投げしていた。ただでさえ家計が火の車だったのに、散財癖を持った女とその娘と迎え入れた結果、債務過多による返爵を考える状況にまで来た。領地を売り払っても大した額にならない。
しかもデアリング公爵領は、自分が三年程度離れていた間に父が行った杜撰な経営のせいで、超ボロボロだった。これに農作物の病気による不作も追い打ちとなり、国からの手直しが必要な状態にまで陥っている。代官達も賄賂で誤魔化していたらしく、芋づる式で大量の犯罪者が出た。
親族でデアリング公爵位が欲しいと言う人間もいない。自分は国外にいるので、こうなっては爵位と領地を纏めて王家に預けるしか道は無い。
父と再婚相手と連れ子の義妹の三人は、流刑地の労働所で働く事になった。散財していた三人が流刑地から出られるのは借金の返済が終わるまでだろうね。流刑地は周囲を海に囲まれた孤島で、ここでの仕事は朝から晩まで海産物の仕分けと乾物製造作業の二つしかない。今頃魚介臭くなった事に気づいて悪態を吐いているだろう。
あの夜会で恥をかかされるところだった自分は、王家と第二王子の取り巻き令息の実家から多額の慰謝料を貰った。第二王子の取り巻き令息達が寒村で畑を耕しているのは、借金返済の為なんだろうね。恐らく令息達の実家が肩代わりしてくれた、自分への慰謝料分がそのまま借金となった筈。今頃嘆いていそうだな。
王家からの慰謝料も高額だったけど、第二王子の私財私物で売れそうなものを売り払って捻出したんだろうね。足りない何割かは王家の私財からだろうけど。現在、領地を王家に押し付けたも同然なので、王家からの慰謝料は領地に使ってくれと頼んだ。令息達の実家からの慰謝料が在るから不要だしね。
さて、自分はベイリー王国のゴタゴタから離れて自由気まま、とはならなかった。
遂にルーカスが正式に王太子に選ばれた。これにより始まった王太子妃選びで、何故か自分に嫌がらせが集中した。原因はルーカスだ。
この馬鹿はよりにもよって、招待された立太子式で『辞退する。頑張れ。相談にだけは乗る』とエールを送って離れようとしたら自分の腕を掴んで『待て、見捨てるな! 俺の心の平穏の為に残れ!』と叫んだのだ。
自分は祖国での立場が微妙で、貴族令嬢としての身分しか残っていない。
この状態でルーカスの婚約者になるには、聖女となって教皇の後ろ盾を得て、国王夫妻と大臣一同の協力を取り付ける必要が有る。けれども、聖女も王太子妃もやりたくないから辞退一択だ。
何度言っても、周りが受けいれてくれないんだよね。
ルーカスの婚約者が決まるまでの日々は王城内に留まらず、王都全体が荒れる大騒動となった。
加えて、令嬢に襲われる側だったあのルーカスが、自分と既成事実作りに動くとは思わず、マジで焦る修羅場も多かった。全部防いだから、どうにかなったけどね。
けどこの一件以降の、ルーカスと自分の攻防に関しては思い出したくない。主な理由は、ルーカスが引き起こした既成事実未遂がバレて、他の令嬢が暗殺者を雇って自分を殺しに来たからだ。夜会の真っ只中で、しかもフォーク一本で暗器と剣を捌く日が来るとは思わなかった。
このどちらかが折れるまでの攻防の結末を語る事だけは、控えさせて貰う。
ただし、神のみぞ知る結末は『自分にとって良いものだった』と、言える事だけは明言しておく。
Fin
ここまでお読み頂きありがとうございます。
久し振りのギャグで書き終わった作品でした。始まりがギャグで、終わりがシリアスの作品が多いので、最後までギャグのままで終わらせる事が出来て良かったです。
ルーカスとくっ付いたか、菊理が逃げ切ったかは読んで下さった方の想像に任せます。感想を受け付け状態にした時に回答はしません。そこだけはご理解を頂きたい。
最後に、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
他作品で誤字脱字報告、感想などくださった方々ありがとうございます。
※少し落ち着いたので、感想受付状態にしました。