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「ヴァネッサさんは元気な人でしたね」
「悪い奴ではなかったのう。あとヒナトマトは気に入った」
翌日、俺と魔王リディアは町を出発した。
いつものように次の目的地まで徒歩で移動中だ。
「そうですね。ヴァネッサさんのおかげで美味しい料理も食べられて、宿屋で宿泊ができました。彼女も早く旅ができるといいですね」
「それはどうじゃろうな」
ヴァネッサは旅に出たがっていたのに、魔王リディアはヴァネッサが旅に出るとは限らないと言いたげだった。
「リディアさんが渡した袋の中には、剣も防具もありました。いらないアイテムを売ったら旅の資金も貯まるはずです。旅に出ようと思えばすぐにでも出られると思いますよ」
「旅に出ようと思えば、な」
何だか含みのある言葉だ。
「ヴァネッサさん本人が旅に出たいと言っていたじゃないですか」
魔王リディアの言葉の意味が分からずに尋ねる。
すると魔王リディアは、眉を下げて笑った。
「ぬるま湯は気持ちの良いものじゃ。最初は仕方なく浸かっていたとしても、いつの間にか抜け出せなくなる。旅の資金がないから資金が貯まるまでと思って町で暮らしていたはずが、暮らしているうちに町での小さな幸せを見つけてしまう。そうやって小さな幸せに満足して、旅に出る前に一生を終える人間のなんと多いことか」
「ヴァネッサさんもそうだということですか?」
「さあな。ただあの剣と防具を売れば、町での暮らしには不自由しないじゃろう。しかしあれらを装備して旅に出るなら、資金は潤沢とは言えまい。ヴァネッサが平穏な暮らしを選ぶか、貧乏な旅に出るかは、五分五分だと思っておる」
しかもヴァネッサはお世辞にも強いとは言えない。
性能の良い装備を持ったところで、劇的に強くはならないだろう。
その状態での一人旅となると、死ぬ可能性も高い。
「これまでは旅の資金が無いという言いわけをして、旅に出ないことが可能じゃった。しかし旅の資金を手に入れた今、旅に出なければ、それはヴァネッサ自身が冒険者ではなかったということじゃ」
ここで旅に出ることが出来なければ、ヴァネッサは自分に幻滅することになる。
しかし旅に出れば、死と隣り合わせ。
「優しいと見せかけて、厳しいですね。リディアさんは」
「何を言っておる。妾ほど優しい魔物は他におらぬぞ」
「これがきっかけになって、ヴァネッサさんの旅が始まると良いですね」
「そうじゃな」
* * *
俺たちが町を離れてからどのくらいが経っただろう。
歩いているうちに、前方に小さな村が見えてきた。
俺たちは村に宿泊施設があるかを確認するために、村へと足を踏み入れた。
村の異常は、すぐに分かった。
「これは……酷い……」
村の家々の壁には、赤黒いものがこびりついている。
地面もところどころ色が変色している。
「魔物に襲われたんじゃろうな。至るところに爪の痕がある」
魔王リディアが壁を観察してそう言った。
壁に飛び散る赤黒い色に目を奪われてしまったが、よく見ると壁には何本もの引っかき傷が付いていた。
「ここで戦闘もしくは虐殺があったことは確かじゃが、死体は見当たらないのう」
「……すべて魔物に食べられてしまったのでしょうか」
「だとしても、骨の一つも無いのはおかしいじゃろう」
死体が無い理由として考えられるのは、魔物に襲われたものの運良く誰も死ななかったか、生き残りの誰かが墓を作って死体を埋めたか。
もしくは死者はこの村の人間ではなく外から来た兵士だったため、兵士の地元に運ばれたか。
「ヘイリーさんとアドルファスさんを見て忘れかけていましたが、人間と魔物って本来こういう関係ですよね」
「……そうじゃな。魔物に滅ぼされた人間の村は多い」
「逆に冒険者たちによって魔物狩りもされてますよね」
「ああ。魔物が返り討ちにすることも多いがな」
そうやって、人間と魔物は長年に渡って戦い続けている。
この世界の覇権をめぐって。
大勢の死者を出しながら。




