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「ヴァネッサさん?」
「正直、前半の話にはついていけてないけれど。後半の件に関しては口を挟ませて」
話に混ざるのは構わないが、何も知らないはずのヴァネッサは、俺とクシューとの会話に対して何を言うつもりなのだろう。
「えっと、何か気になる点でもありましたか?」
「あったわ。リディアが打算的にショーンに近づいたことに対する、ショーンの反応よ」
戸惑う俺にヴァネッサは、自分が何に意見したいのかを明瞭に告げた。
「ショーンはリディアに騙されたってショックを受けているみたいだけど、それって何かおかしくない? ショーンは別にリディアに金品を騙し取られたわけじゃないわよね? ただ解説を交えながら、一緒に世界を見て回っただけなんでしょ?」
「はい」
「それのどこにショックを受ける要素があるのよ」
どこにって、リディアは俺の正体を知っているからこそ近づいてきて、俺の能力のことを知っていたのにあえて黙っていて、そのまま一緒に旅をして…………あれ。
俺は、特にリディアから不利益を被るようなことをされた経験がない。
真実を教えてもらえなかったのはその通りだが、それは俺がリディアと旅をしなかったとしても、同じことだ。
「狙いがあって近づいたという、最初の出会い方は良くなかったのかもしれないけど、初対面が最悪なことなんていくらでもあるわよ。大事なのは、その後どう行動するかでしょ。旅の中で、ショーンはリディアに酷いことをされたの?」
「酷いことは……されてません」
痴女のような振る舞いをされたことはあるが、俺が嫌がったらやめてくれた。
武闘大会に参加させられたこともあるが、あれだってリディアが勝手に参加登録をしたわけではない。最終的に参加を決めたのは俺だ。
俺が潜入した盗賊団のアジトにも、リディアは助けに来てくれた。
「ショーンくんと私の出会いも、決して良いものではなかったと思います。あのときの私は、村人の死体と生活をしていましたから。多くの人の価値観では、死体を動かすのは良くないことなんでしょう?」
リディアとの旅を思い出す俺に、ドロシーが告げた。
その通り、初めてドロシーに出会ったときの印象は、決して良いものではなかった。
俺にはあの頃のドロシーは、狂っているようにすら見えていた。
少なくとも、こうして一緒に旅をする仲になるとは思いもしなかった。
「それでも、ショーンくんは私と親しくしてくれています。第一印象最悪だとしても、仲良くすることは出来るんです」
ドロシーが俺の手を握って、そう言った。
その様子を見ていたクシューが、片眉を上げる。
「なーんかさ、誰も彼もショーンにだけ優しくねえ? 俺、ショーンと同じ顔なんだけど。同じような扱いをしてくれてもいいじゃん」
クシューは自分の顔を指差しながら笑顔を作っている。
すると笑顔のクシューに、リディアが舌を出してあかんべえをした。
「嫌じゃ。ショーンと同じ顔だろうと、お前は性格が捻じ曲がっておる。優しくするなんてお断りなのじゃ」
「リディアの意地悪ー! そういうところも好きだけど!」
クシューはスイスイと空中を移動し、リディアの周りを飛び回った。
リディアは飛び回るクシューに対して、虫を追い払うように手でシッシッとしている
「さっきから気になってたんだけど、あの人はショーンとリディアの知り合いなの?」
「ショーンくんの知り合いというのは彼の顔を見れば分かりますが、リディアちゃんも知り合いなんですよね? どんなお知り合いなんですか?」
リディアと戯れるショーンを指差して、ヴァネッサとドロシーが質問した。
俺とリディアはクシューと昔馴染みのように会話をしているのに、二人にはクシューが誰なのかを紹介していない。
気になって当然だ。
「ショーンとは同じ主から生み出された同胞、リディアとは現魔王と前魔王または秘書官の関係だぜ」
「…………え?」
俺が答えるよりも早く、クシューが自己紹介をした。
その単語だけは避けようと思っていた、地雷ワードを使って。
「今、なんて言いました?」
「だーかーらー、俺は魔王だった頃のリディアと戦ったことがあるんだよ。そんで俺が勝ったから、俺が新しい魔王になって、リディアは魔王の座を降りて俺の秘書官をやってたんだよ」
「嫌々じゃがな。秘書官になれば、クシューの寝首をかけると思って務めておった」
リディアが相変わらず周りを飛び続けるクシューをにらんだ。
「俺を殺すのは無理だって分かってるくせに、諦めきれないところが可愛いんだよなあ。俺は相手の魔力を吸い取って主に送ることが出来るし、そもそも未来を掴めるから負けることはないのにさ」
実際にはそんなことは起こっていないが、俺にはドロシーの髪が逆立っているように見えた。
現在の魔王は、ドロシーの村を襲うように指示した張本人でもある。
ドロシーにとって、クシューは村人たちの仇だ。
「……あいつが、現魔王……!」
それからのドロシーの行動は素早かった。
勢いよくクシューに飛びかかり、そしてクシューの後ろからは、いつの間にか出現させていたキツネのモンスターを飛びかからせていた。
「このーーーーーっ!!」
しかしクシューはひらりと身を躱すと、何でもないことのようにドロシーを嘲笑う。
「俺の話、聞いてた? 未来を掴めるんだから、俺が負けることはあり得ないんだってば」
なおもドロシーがキツネのモンスターと毒蜂を使ってクシューを攻撃するが、どの攻撃も危なげなくクシューに躱された。
「分かんねえかなー。いくらやったって、お前じゃ俺には傷一つ付けられねえよ。お前が必死に攻撃してる最中でも、俺なら優雅なティータイムを過ごせる。それほどまでに、俺とお前の間には力の差があるんだよ」
クシューの言葉は、事実だろう。
リディアですら倒すことの出来るクシューを相手に、ドロシーでは手も足も出ない。
自分でもそのことを察したのか、ドロシーは泣きながら、クシューへの攻撃を止めた。
「ドロシー!」
真下を向いて、地面に涙で水玉模様を作るドロシーに、ヴァネッサが駆け寄る。
「ショーンの仲間っぽいから今回は殺さないでやったけど、次はねえから。俺に殺気を持って近づいた瞬間に、お前の首を落とす」
無傷のクシューは、ドロシーを見下ろしながら述べた。
自分なら簡単にドロシーを殺すことが出来ると、それだけの能力差があると、ハッキリと告げることで、ドロシーの心を折るつもりなのだろう。
効果はてきめんだった。
耐えきれなくなったドロシーは、泣きながらこの場を去ってしまった。
どこに向かうでもなく、研究施設の敷地を出て、森の中を走って行った。
「待って、ドロシー!」
いつもヴァネッサの言葉に従うドロシーは、しかし今回は従うことはなかった。
振り向くことさえせずに、どんどん姿が小さくなる。
「……ごめん。あたしも行くわ。ドロシーを一人には出来ないもの」
そう言い残したヴァネッサも、ドロシーを追って森の中へと消えて行った。
残されたのは、俺とクシューとリディアの三人だけだ。




