●158 side ヴァネッサ
トイレを済ませたあたしは、ふと思いついた。
今の状態であたしがミラに注意をしても、まるで聞いてもらえない。
それならあたしの注意に耳を傾けてもらえるくらい、ミラと仲良くなるのも手かもしれない。
「もしかしたら今は内職をしていないかもしれないわ。それなら外で一緒に遊ぼうって誘ってもいいわよね?」
ミラは朝から内職を続けている。
それなら早めに内職が終わっている可能性だって十分にあるはずだ。
トイレにも廊下にも、舎内には誰もいない。
自由時間も内職を続けるミラ以外の全員が、外で遊んでいるからだ。
「誰だって自由時間には外に出たいわよね。授業中はずっと座っているんだもの」
学び舎の中には内向的な子もいるけれど、そういう子だって外の空気は吸いたいはずだ。
それに内職を続けるミラと教室に二人きりなのは、ちょっと気まずいのだろう。
「ミラの内職は終わってるかな?」
小声で呟きながら、教室の扉をあける。
すると、そこにいたのは……。
「それ、ギャビンの荷物よね」
ギャビンのリュックサックからパンを取り出すミラだった。
「……あーあ。なんでいるんだよ。みんなは外にいる時間でしょ?」
すでに見られたためか、ミラはパンを隠すでもなく堂々と自身の鞄の中に入れた。
「そんなことはどうでもいいのよ。それより泥棒よね、それ」
「パン一個だけだよー」
「パン一個だって泥棒は泥棒じゃない」
ミラと会話をしていると倫理観がおかしくなりそうだ。
他人の物を盗んではいけない。たとえパン一個だとしても。
そのはずなのに、ミラには反省している様子は微塵も無い。
「いいんだよ。ギャビンはいつもパンを二個持って来てるから。一個は食べられるよー」
「ミラが盗まなかったら二個食べられるじゃない」
「ダイエットになっていいでしょ」
「あのねえ。悪いことをしてるんだから、もっと申し訳なさそうにしたらどうなの」
「貧乏な家の子からは盗んでないよ。ギャビンは冒険者として稼いでるからいいの」
一応、ミラにはミラなりの基準があるようだった……到底、納得できるものではないけれど。
「盗んでいいかどうかはミラが決めることじゃないわ。というか、泥棒は駄目に決まってるじゃない!」
あたしはミラの鞄を睨みつけながらそう言った。
ミラはしばらく無言だったけれど、あたしに諦める様子が無いことを察すると、大きな溜息を吐いた。
「……はあ。分かったよ。返せばいいんでしょ、返せばー」
ふてくされながら、ミラはパンを鞄から出してギャビンのリュックサックの中へと戻した。
ミラに関してまだ詳しくは知らないけれど、分かったことがある。
パンを盗むことといい、常に内職をしていることといい、ミラはお金に困っている。
家が貧乏なことは前に一度否定されたけれど……と考えたところで、ハッキリと否定はされていなかったことに気付いた。
そのときのミラの言い方であたしは否定のように受け取ったけれど、ミラは「家が貧乏ではない」とは言っていない。
「もしかしてミラの家って、貧乏なの?」
直球で聞いた。
回りくどく聞くと、ミラには上手く逃げられてしまうような気がしたからだ。
「だったら何? 貧乏人って私を見下すつもり?」
「そんなつもりはないわよ」
またミラはハッキリとは家の事情を明言しなかった。
でも状況から考えて、ミラがお金に困っていることは間違いないはずだ。
困っている人のことは助けてあげたい。
けれど、たかが子どものあたしに出来ることなんてほとんど無い。
この状況であたしがミラにしてあげられることは……。
「あたしのお昼ごはんで良かったら、あげる」
あたしは自分のリュックサックを漁り、昼食として持ってきていたサンドイッチを手に取ると、ミラに差し出した。
「はい、どうぞ」
「はあ?」
「あたしの家、夕食はおかわり自由なの。だからお昼を抜いても平気なのよ」
今のあたしに出来ることは、ミラに自分の昼食をあげることくらい。
それだけでも、ミラを助けたい、というあたしの気持ちは伝わるはずだ。
「……馬鹿にしないでくれる?」
「え?」
しかしミラから返ってきたのは、酷く冷たい言葉だった。
いつもの気の抜けた調子とは違う、突き放すような冷めた口調は、明らかにあたしを拒絶していた。
「年下の女の子に施しを受けるくらいなら、餓死した方がマシだよ」




