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久しぶりの走馬灯だ。
魔法使いの攻撃を受けたのでは、走馬灯も見る。
この走馬灯がただの杞憂であって、実際には生きていると良いのだが。
「ずっと何を読んでるんだよ」
「モンスター討伐依頼の契約書」
走馬灯の中の俺は、契約書を真剣に読んでいるクシューを、ぼーっと眺めている。
「ふーん。契約書なんて読んでも面白くないと思うけど」
「ショーンって真面目なくせに、変なところで抜けてるよな」
俺としては、チャラい言動の目立つクシューがじっくり契約書を読んでいることの方が意外に感じる。
「契約書を全文読む人なんて少数派だろ?」
「分かってねえな。契約書はきちんと読まないと詐欺に遭うぞ」
「詐欺師なんて、そうそういないだろ」
「それが抜けてるって言ってんだよ」
今なら分かる。
契約書をきちんと読まないと詐欺に遭う。
俺はそのことを、身をもって学んだ。
「その長い髪、邪魔だろ。切ったら?」
走馬灯の中の俺がそう言った瞬間、ぼんやりとした輪郭だったクシューの外見に長髪が追加された。
追加されたクシューの長い髪が、契約書の一部を覆い隠している。
「長い髪の方が、戦ったときにカッコイイんだぜ。こう、動きが出てさ」
クシューは長い髪をバサッと後ろにかき上げて笑った。
「そもそも戦うなよ」
「だって盗賊ってムカつくんだもん。偉そうに『有り金すべて寄越せ』とか言ってくるんだぜ? 俺よりも弱いくせに」
「大体の人間はクシューよりも弱いよ」
クシューは書類から顔を上げて、シャドーボクシングを始めた。
「だよな。人間じゃ俺の相手にはならねえよな。魔物相手だったらどうか分かんねえけど。今度、強そうな魔物に会ったら手合わせをお願いしてみようかな」
「クシューって魔物と仲良くなるのが上手いよな」
「まあな。俺自身も同じ魔物だからかな」
「それだけじゃない気がする。同じ魔物だとしても、魔物って好戦的な奴が多いから、魔物同士のトラブルも多いだろ?」
「同種族内でのトラブルは人間にも言えることだけど……社会性に関しては、魔物は人間よりも単純だ。強いものが偉い」
魔物の社会では、強いものが偉い。
自身も魔物であるクシューはそのように思っているらしい。
ケイティとレイチェルも同じようなことを言っていた。
だからアイドルになって、強者に従うしかない弱い魔物でも笑えるような世界にしたいと。
それほどまでに、魔物の世界では強さが重視されているのだろう。
「強さが全てか。正義かどうかは関係無いんだね」
走馬灯の中の俺が呟くと、クシューは空に向かって立てた人差し指を左右に振った。
「チッチッチ。正義なんて曖昧なものを指標にするのは、人間だけだぜ?」
「そうなの?」
「人間以外がそんな馬鹿な真似をすると、本気で思うのか?」
「……馬鹿な真似、かあ」
走馬灯の中の俺が、クシューの意見を肯定も否定もしない微妙な反応を返すと、クシューは説明をするような口調になった。
「他の動物たちだって魔物と同じだ。正義なんてものを指標にはしねえ。見る人によって変わる指標は、指標とは言えねえからな」
「確かに……」
「力なら、誰が見ても勝敗は変わらない。分かりやすい指標なんだよ」
「分かりやすいけど……力を持つ者が偉い世界だと、弱者は虐げられて辛いんじゃないか?」
走馬灯の中の俺の素朴な疑問に、クシューは真面目な顔で応えた。
「どんな世界であろうとも弱者は必ず生まれる。力が全ての世界でも、知能が全ての世界でも、血筋が全ての世界でも、資本が全ての世界でも、な」
弱者となる人物が変わるだけで、弱者自体は必ず生まれてしまう。
それが、この世界の常だ。
「強者とか弱者とか関係なく、全員が幸せになれたらいいのにな。人間も魔族も動物もモンスターも」
「……ああ。きっと、主の目指す未来はそれだ」
クシューは小さな声で呟いたあとで、パン、と手を叩いた。
「かなり話が逸れたが、俺が強いことを示せば、魔物たちは親切にしてくれる。気の良い奴も多いぜ」
「あはは、話がかなり逸れちゃってたな」
「俺に心酔して子分になろうとしてくる奴までいるんだぜ?」
「……前から思ってたんだけど、俺たちが一定の存在と仲良くするのは良くない気がする」
走馬灯の中の俺がそう言うと、クシューは「出た、出た」とややうんざりした顔で肩をすくめた。
「魔物も話してみるといい奴らだぜ?」
「いい奴らだとしても、あんまり一つの種族に深入りするのは良くないと思う。俺たちは傍観者なんだから。常に第三者目線を持っていないと」
「深入りしないと分からねえこともあるだろ」
「深入りすると肩入れもしちゃうだろ。主は、そんなことは望んでいないはずだ」
「そうか? 俺は、主は深入りしてほしがってると思うぜ。じゃなけきゃ俺が魔物で、ショーンが人間である必要はないだろ?」
「それは……そうかも?」
走馬灯の中の俺は、クシューに言い包められそうになっている。
「だろ? 何度も死んで記憶を飛ばす人間よりも、頑丈な魔物二体の旅の方がずっと楽なのに、主はそうしなかった。きっと何かしらの理由があるはずだぜ」
「あー……考えてみるとクシューの言う通りかもしれない。主は、クシューからは魔物に肩入れした意見を、俺からは人間に肩入れした意見を聞きたいのかも?」
「だろ? きっと主は双方の意見を聞きたいから、俺たちの種族を変えたんだ」
走馬灯の中の俺は、完全にクシューに言い包められている。
「確かに同じ種族ってだけで、俺は人間に親近感を覚えるからなあ」
「俺は魔物に親近感を覚えてるぜ。女の子に関しては、人間でも魔物でも大歓迎だけどな」
「またクシューはそういうことを言うんだから」
「いいじゃん。俺にとって、可愛いは正義だぜ。案外『可愛い』が、人間と魔物を繋ぐ架け橋になるかもな」
「……なったら、いいなあ」




