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執事喫茶にいったら前世で好きだった専属執事がいて、完全にヤンデレ化している件は如何致しましょう!(前編)

※この小説はアルファポリス女性向け恋愛カテゴリーにて掲載しております。

異世界から現実世界へ転生した少女とそれを追ってきた執事の物語です。


 私、佐伯(サエキ) 杏里(アンリ)は18歳。

 あ、間違えた。昨日で19歳になった、都内の大学に通う平凡な、大学生だ。


 特段何かができるわけではなく、進路も決まっていたわけではなく。亡くなった父母が私の為に貯金してくれていたお金を学費として、都内の大学に通っているわけだから将来の事には不安がないとは言えない。


「はぁ~~、この先、どうしよう」

「杏里、またそれ?とりあえず、今日はバイトないんでしょ?今、居酒屋だっけ?」

「今日は、バイト、ない。でもね、居酒屋も変な男ばっかりでもうやだ」


 机に突っ伏した杏里を見て、親友の朋美は笑う。


「杏里は可愛いもんねえ~、なんか、ちょっとお嬢様~みたいな雰囲気もあるから男がすぐ寄ってきちゃうのは分かるけど。そういえば、最近できた彼氏、は?」

「え?……ああ、あれは……別れたの」


 朋美はその返事に目を見開いて杏里の顔を覗き込んだ。 


「えぇ?!早くない?なんで?」

「それは……向こうが身体目当てだった……から?」


「はぁ~ん、さては杏里さん……処女ですなあ?」

「ちょっ!」


 講義室で堂々と『私、処女なんです!』なんて言う馬鹿はいないでしょう!

 杏里はバクバクと鼓動を打つ心臓を抑えて、俯いた。


「だ、だって……」


 ”だって、想い人がいて、彼の事が忘れられないから……”なんて言えない。

 杏里はその代わりとなる無難な理由を探した。


「だって……まだ、踏ん切りがつかないから……」

「な~る~ほ~ど?では、この朋美さんが、19歳の誕生日祝いに素敵な場所に連れて行ってあげよう!今日、ね!」


「へ?」

「ほら、立つ、行くよ」


「え?しかも今から?!!」

「思い立ったがナントヤラってね!」


 朋美に腕を引っ張られ、杏里は渋々大学を出た。


「ねえ、講義サボって……とか不良すぎない?」

「ねえ、やめて。不良、とか、いつの時代なの?」


 ケラケラと笑いながら、朋美は杏里の腕に自分の腕を絡めた。

 そして朋美は「とりあえず、食べないと戦はできないしさ、策略練るのも大切ですよねえ~」と騒ぎながらカフェに足を運ぶ。


 テラス席に座り、人目も気にせず化粧を直し始めた朋美の鏡を覗き込み、杏里はずっと気になっていた事を口にする。


「で、朋ちゃん……。何処にいくの?怖いんだけど」

「大丈夫ってば。そんな怪しい所じゃないから。そうだな~、朋美さん的にはね、杏里が処女を捨てられない理由は、こう、なんていうか、委ねられないからじゃないかって思うの」


 ”処女”、”処女”、と何度も連呼しないで欲しい。

 本当に、こんな大都会の中心で!恥ずかしいっ!!

 赤面して顔を抑えた私の前で、朋美は言葉を続けた。


「だから、杏里には、大人な包み込んでくれるような優しい男性が良いと思うんだよねえ」


 大人で、私の事をよく理解してくれて、全てを包み込んでくれるような、優しい……男性……。


「まあ、でも……それはそうかも、」


 杏里は大都会の空を見上げた。

 昔はこんな小さな空の下に生きていたわけではなかったのに。

 この世界は高層ビルが立ち並び、夜もビルの明かりで星は見えず、空と呼べる空すらない。


 昔は……いや、前世では、見上げれば夜は満点の星空が広がり、昼には遮るものすらない青が広がっていたのに。

 ああ、本当に。色々、変わってしまった筈なのに、私の気持ちはまだあそこにある……から。


 杏里はその、過去に、想いを馳せた。



「アンリエッタお嬢様、本日はダンスの練習がございます」

「セバスチャン、貴方も見に来るの?嫌なのだけど?もう子供じゃないし、一人でも大丈夫よ」


「いえ、旦那様からは伯爵令嬢であるアンリエッタ様がどこにお嫁に行っても大丈夫なように、と仰せつかっておりますので……しっかりと!見させて頂きます!」


 げぇ、と16歳になりデビュタントを果たしたばかりのサエキル伯爵家次女のアンリエッタはその男を見た。


 彼は執事のセバスチャン。いや、言い換えよう。

 超、教育熱心な執事のセバスチャン!


 同じく超絶教育熱心な父が、次女であるアンリエッタがお嫁に行ける様に、と専属で雇った執事だ。

 歳は26で婚約者はナシ。お付き合いしている彼女もナシって言ってた。

 あ、一応、念のために聞いたら、婚姻歴もナシって!


 でも、モテないってわけじゃないのよね。


 伯爵家のメイド達は彼に夢中でいつも私に彼の事を聞いてくるの。

 「暗く青みがかったような黒い髪に、切れ長で青い瞳は大人の色香漂って妖艶だわ!お付き合いされている方や婚約者はいるのでしょうか?」って。

 自分で聞けばいいのにね。

 

 彼はとても真面目で凄く厳しいけれど、私の好きな食べ物や好きなドレスだって全部覚えていてくれる優しい所もあるの。

 頭も良くて、運動神経も抜群。本当であれば、王城のお姫様なんかに仕える執事家系の人なんですって。

 そりゃあモテる筈よね。


 きっと彼にとったら、私の執事をする事なんて、子守りみたいなものなんでしょうね。

 でも、彼は嫌な顔一つせずに勉強や習い事に疲れてずっとイヤイヤ期していた私をいつも気にかけてくれて、星空を見せてくれたり、馬に乗せてくれたり……。


 私の専属として雇い入れた、といっても、彼は元々姉の執事で、姉が結婚したのを機に伯爵家を出る予定だった所を再契約してもらったのだ。


 だから、私は彼をずっと昔から知っていた。

 10歳以上歳の離れた彼に取っては、12歳の私なんて庭で走り回るお転婆娘という認識でしかなかった筈だけど。4年も彼は嫌な顔一つせずに……。


 それから、2年が経ち、18歳になったアンリエッタは寝台の横で不安そうに自分を見つめるセバスチャンを見た。


「大丈夫よ、ただの高熱だわ?」

「いえ、でももう6日間も続いております」


 部屋の中を右往左往するセバスの顔はいつも以上に真剣で、アンリエッタは力なく笑った。


「本当にセバスは心配性ね」

「当たりまえです!お嬢様に何かあれば私は……一応伯爵様と奥様にも連絡は入れているのですが、帰路の途中で遅れが生じているようでして……」

「いいの、お父様も、お母様も、お兄様も……お姉さまの出産に立ち会っているのだから仕方ないわ。それに私がいなくなっても大丈夫」


 その時、家にいる筈の皆は、少し離れた所に住む姉の初めての出産の為に丁度家を空けていた。


 だから、誰もいない、セバスと私だけ。

 そんな時に私が遠のく意識の中で言えた事は一つだけだった。

 だって、ずっと言わないで心に留めてきたんだもの。


 でも、もうなんとなくどこか別の場所に呼ばれている気がしたの。

 とても、瞼が重くて身体を動かすことすらできなくて……。

 

 死ぬ、ってこういう事、なんでしょうね?


「セバス……今までありがとう、ごめんね」

「アンリエッタお嬢様!変な事を仰らないで下さい!!これからも、おります!このセバスチャンが、アンリエッタ様がこの家をお離れになるまでっ!お嬢様は……私の……生きる糧なのにっ!」


 悲痛な表情を浮かべるセバスチャンに、アンリエッタは力なく首を横に振る。


「ううん、いいの。ここ最近はいきなり身体が弱くなったから……お嫁にも行けないのかもって分かっていたし……セバスチャンも、お姉さまの家に行きたかったわよね?ごめんなさい」


「ッ、そんな事ありません!私は……最初は頼まれたから、でしたが……ついこの間、自分の意思で貴女様の執事にして欲しいと旦那様に頼んだのです!

ずっと、ずっと、貴女の執事でおります!私は貴女の好きな紅茶も、お菓子も、色も、全て分かりますからッ……、お嬢様は結婚などしなくても……私が……「ふふ……優しいわよね、本当に。ねえ、セバスチャン、私はね幸せだったのよ」


 セバスチャンの言う事を遮っても、時間のない私には伝えなくてはならない事があったから。


「……っ」

「……あなたに、……あえて……ごめん、……な、さい……でも、」


 セバスに会えてよかった。

 でも、ごめんなさい。いつからだろう……執事としてではなく。

 そう、ずっと……気付いた時にはもう、


「ずっと、好きだった……」


 ハッと顔をあげたセバスチャンの顔が見えて、その切れ長の青い瞳が潤んでいたから。

 だから私も涙が出て。


 死ぬ間際にこんな事をいうなんて……ズルいわよね……。

 でもやっと……やっと伝えられたこの気持ちに安心して、私は意識を手放した。


 その日、アンリエッタは18歳というあまりにも短い生涯を終えた。

 そして、アンリエッタはその何かに導かれるように、転生したのだ。



「アンリ、アンリ?お~~い、杏里い?」


 ハッとして顔をあげれば、カフェの名物、山盛りポテトを頬張っている朋美が手をヒラヒラと振っていて、杏里はほっと胸を撫でおろした。


 久しぶりに想い出したあのもう今はなき日々に、胸が締め付けられて、杏里はもう氷も溶けてしまったカフェラテを飲み干した。


「で、杏里も何か現実に戻って来たしさ、そろそろ、行こっか?」


 朋美に連れられ、大都会の真ん中を横切り、着いた先は地下へと通じる細い階段だった。


「ね……良いとはいったけど……どこ?ここ……なんか怪しいんですけど」

『え!?今までの話、聞いて無かったの!?』と朋美は杏里に向かって溜め息をつきながら指で髪をクルクルと動かした。


「私たち、お嬢様になるのよ!」

「はい?」

「だーかーら、お嬢様になって、執事に甘やかしてもらうの!」

「……いや、それはいいや」


 杏里がくるりと回れ右したのを見て、朋美はその腕を掴んだ。


「いやああ、お願い。取りあえず、ここ降りたら着くんだから~!!付き合って!」


 杏里の目の前には周りに薔薇の花が散りばめられた重厚なドア。


「ここはね、”C’est la cla(セ ラ クラス)sse”っていうイケオジ執事喫茶!!」


「待って、やっぱり遠慮しとく。うん、やめる」


「ねえ、さっき奇跡的に予約取れちゃったし!お願い!100分制だしぃ!一時間で杏里が嫌なら帰ってもいいからぁ!ホント憧れなのよ、一生のお願いいぃ」


『なんで私の誕生日だったからお祝いで!』とか言いながらこうなるのかな~?と杏里は朋美を見た。まあ、そこが朋美らしくて良いんだけど。


「っもう、分かったよ。朋ちゃんが執事とかそういうのが好きなのは分かっているから……憧れだし、行ってみたかったんだもんね?じゃあ……「おかえりなさいませ、朋美お嬢様」


「あら、久しぶりね、木島?」


 杏里が言葉を言い終わらずに既にインターホンを押していた朋美。

 そして今まさに目の前で繰り広げられているその光景に、杏里はあんぐりと口をあけた。


「えええっ、ちょっとまてーーーーい!執事喫茶、初めてじゃないんかぁぁい!!憧れなのぉ~キラキラぁ、みたいな言い方しておいて……何その、超慣れたやり取り!!!」


「ちょっと、杏里、全部言葉に出てるし。しかも杏里、関西弁じゃないでしょ?そのエセ関西弁みたいのはちょっと……」


 ”頂けないわ~”といいながら腕を組む朋美と、扉を開けて微笑みながら直立したドアマンの男性の視線を感じ、杏里は慌てて口を両手で塞ぐと赤面して咄嗟にカーテシーを取った。


「御目汚し、失礼致しました……ッ、あ……」


「へ?杏里、完璧な役作り!流石、お嬢様風女子!」

「これはこれは、朋美お嬢様からお話はよく伺っております、杏里お嬢様。本日は本邸でごゆっくりとおくつろぎくださいませ」


「は……い」


 また前世の癖でやってしまった……と項垂れた杏里を気にする様子もなく、朋美は肩で風を切るように店内に足を進める。


 部屋の中心に入れれば、赤いカーペットに、美しい絵画が並び、杏里の頭の中には久しぶりに前世の伯爵邸の事が想い出された。

 前世の記憶は未だに色濃く残っている。

 だから、さっきみたいに急に、前世で身体に染み着いた癖がでてしまうわけだ。


「ああゆうのは出ないようにしないと……」


「本日のお席はこちらでございます。直ぐに本日の専属執事がお茶菓子とお紅茶のメニューを持って参りますので、お待ち下さいませ」


「は~い、木島、今日は彼、なのよね?」

「はい、朋美お嬢様のご指名通りに準備、整ってございます」

「そう、ならいいわ」


 ふんふーん、と鼻歌交じりに手を振った朋美に、杏里はジトっとした視線を向けた。


「何回目なの、朋美お嬢様?」

「あらいやね、杏里お嬢様、たった数回よ?」

「一般的な数回は二桁の事を言わなくてよ?」


 朋美はその言葉に照れたように笑う。


「へへっ。だって、一人推しがいるの~、めっちゃタイプで、本気になりそうなほど好きなんだもん~」

「へえ……」

「でも凄く人気なの。予約なんて取れないんだから、今日はたまたま!!」


 杏里は周りを見渡した。

 働いている執事は皆執事服を着ていて、朋美の言った通り”イケオジ”しかいない。

 雰囲気も落ち着いていて、大人な雰囲気がまたセクシーな印象を与えていた。

 客は本当に貴族風のドレスを着ている客もいるし、普通のOLのような人も自分と同じ大学生っぽい人もいる。


 執事とお嬢様って需要あるんだな~、と杏里が漠然と考えていると、目の前に影ができて朋美の嬉しそうな声が響いた。


「はァッ!麗しすぎる、眼福だわ!ハーフってホントズルいわよねえ」

「おかえりなさいませ、朋美お嬢様。お久しぶりにございます。それと……」


 杏里は綺麗に腰を折っていた状態から顔をあげたその執事を見て……。

 そして時が止まって、同時に身体の全ての器官が一瞬動きを止めた……ように感じた。


「……セバス……チャン……ッ、ゴホゴホッ」

「あれ?杏里に名前見せたっけ?そう、彼が今日の専属執事よ、杏里お嬢様っ」


 高身長、深い青みがかった黒髪の短髪をかきあげて、あの時と同じ、青い切れ長の瞳が細められて。

 もうその時には朋美の嬉しそうな声も周りの雑音も何も聞こえなくなった。


「セバスチャンにございます、()()()お嬢様……。ようやく本邸にお越しくださったのですね……本当に、お待ちしておりました……」


「ちょ、っと……トイレ……に」

「え、大丈夫?杏里、顔が真っ青よ?」

「だ、大丈夫だから……先、楽しんでて」


 息ができない……何も考えられない。

 あの濃く青みがかった黒い髪に、青い瞳……ここでは浮世離れしたようなイケメンだけど、異国の血が混ざったハーフなら納得よね。それに、セバスチャンって名前も……。


「っは……」


 トイレに辿りつく直前で過呼吸のようになって、人目のつかない角に凭れ掛かり、倒れる寸での所で後ろから来た執事に抱き止められた。


「お嬢様、大丈夫ですか?今横になれる広めのソファに……「入江執事、彼女は私の客だ。ここはいいから、私の他の客を一瞬フォローしてくれないか?」


『少し怒った声もセバスなのね……』と思いながら、入江と呼ばれた男が頷いてフロアに戻っていくのを見送って、彼はお姫様抱っこをしてソファに腰掛ける。


「過呼吸なのでしょう。ゆっくりと息を吐けばよろしいかと思います、こちら、袋を口に当てて」


 深く息を吐けば視界が鮮明になり、杏里はほっと胸をなでおろした。

 いや、彼の膝の上にいるという安心感もあるのかもしれないけど……


 と、そこまで考えて、杏里は彼の顔を見ずに頭を下げた。


「ご、ご迷惑おかけしました。も、もう大丈夫です、ので!」


 彼の膝からおりようとして、がっちりホールドされ、全く動かない自分の身体を見る。


「あ、あの……「やっと見つけた……。やっと、です……。なのに……貴女様はまた私から逃げるのですか?ッもう、離せるわけがないでしょう……アンリエッタお嬢様……」


 杏里は顔を上げた。

 やっぱり、セバスチャンだった。

 認めたくなかったけど、やっぱり、彼だった。


 私がずっと好きで、憧れていた専属執事の彼が……執事喫茶にいた。

 笑っちゃうようなアリエナイ展開だけど、でも……。


「セバ、ス……」


 杏里が口を開きかけた時、ソファの後ろから先程の男性が顔を覗かせた。


「セバス様、もうそろそろ……」


 チッ、と舌打ちをした彼は席を立つと男を見た。

 青く美しい瞳が濁り、切れ長の目が細められて、その威圧感に杏里は息を呑む。

 だが、そんな彼女を見て、セバスは表情を少し緩めて口を開く。


「入江、彼女を席に、頼みますよ」

「はい、心得ております、執事長。行きましょう、お嬢様」


 未だフラフラとした杏里を気遣ってか、入江が腕を差し出し、そこに手を置いた彼女を見てセバスは拳を強く握りしめた。



「お嬢様、本日もお美しくそのドレスもとてもお似合いでございます」


 セバスはにっこりと優しく見えるような笑顔を作った。

 別に、こんな事本心から言いたくて言っているわけではない。


 全てはアンリエッタ様に再会する為。

 自分の生き甲斐であった、アンリエッタお嬢様に会う為だけに……。


 セバスは少し離れたソファ席に座って友人と紅茶をのむ彼女を見た。


 前世。

 流行り病でアンリエッタが亡くなり、セバスは生きる希望を無くした。

 いつからその気持ちを抱いていたかは分からない。

 でも、デビュタントを果たし、身体が弱くなり18歳になっても結婚が決まらなかった彼女を見て安心していた自分に気付いた。


 でも、自分は執事。

 お嬢様と執事という関係以上でも以下でもない。

 それは、あってはいけない。


 だから、セバスはその気持ちに蓋をしていたのだ。

 でも、あの日、忘れたくても忘れられないあの……雨の降る夜。


 アンリエッタはそのあまりに短い生涯を終える直前に、自分に向かって「ずっと好きだった」と言った。

 そう言って……言い放って、息を引き取ったのだ。


「お嬢様……そんな、言い方をして私の前からいなくなっておいて……今、漸く再会した私が手放すとでも……?」


「え?セバス、大丈夫?どうしたの?」

「あ、いえ、申し訳ございません。少しぼうっとしておりました」

「えぇ?!でも今のもヤンデレっぽくていいよねえ?!」


 キャアキャアと騒ぐ女性客を見て、セバスは深く腰を折った。


「申し訳ございません、お嬢様方。一旦、失礼させて頂きます」


 にっこりと笑ったセバスは振り向きざまに顔を歪めた。


「10年だ……10年もこんなくだらないママゴトをして。……でも、その甲斐が合ったというものだろうか。やっと見つけたんだ……今回は絶対に離さない」


 そのまま厨房からティーセットを取ると杏里の座っていたソファに近づき、それを差し出した。


「本日のティーセットでございます」

「セバス、ありがとう」


 朋美という女性は常連。完璧になりきっている彼女の隣でぎこちなく笑った杏里にセバスは釘付けになる。

 やはり今世の彼女も美しい。可憐で花の綻ぶような笑顔を見せる彼女は、今も昔もやはり、変わらない……私のお嬢様……。


「セバスさん……ありがとうございます」

「アンリお嬢様、私の事はいつも通りセバス、と」


 その言葉に杏里の肩がビクリと震え、セバスは内心笑った。

 不安な事があったりするといつも彼女は肩が震える癖がある。

 それも私だから、分かる事だ。


「いつも通り、ってセバス、杏里は初めてだよ?」

「えぇ、はい。いつも通り私は此処ではセバスと呼ばれているので、という意味でございました。分かりにくくて申し訳ございません」


 ふふっと笑ったセバスを見て、その朋美という女性の顔が赤く染まり彼女は席を立った。


「ちょっと、私、トイレ行ってくる~!セバスは聞き上手だからおススメよ!色々っ!」

「えっ、朋ちゃん……」


 二人になってしまう……!と慌てた杏里がカップをソーサーに置いた時ガシャンと音がなった。

 セバスはパタパタと走っていった朋美を見送って、顔を俯けて座っている杏里の耳元に口を近づける。


「……アンリお嬢様、紅茶のカップの音は最小限に、と何度お教えしたらよろしいのですか?それとも、忘れてしまわれたので?」


 同時に聞こえた低いテノールの声に、杏里は再びピクリと肩を震わせた。


「え……と、いえ、忘れてなど……」


「椅子に座るときの姿勢は脇を締めて……そうです。思い出しましたか?とても、美しいですね」


 セバスは杏里の細い身体にそっと触れた。ああ、アンリエッタお嬢様が……此処にいる。

 長年待ちわびた、その喜びを嚙みしめながらも優雅に紅茶をカップに注いだ。


「この紅茶はお嬢様の好きだった紅茶に味が最も近いダージリンの中でもオレンジペコーというものを使用し、私が特別に淹れたものです」

「そ、そうなの……ありがとう……美味しいわ」


 確かに美味しい、それに懐かしいような。

 それをそっと口に含み、杏里は瞳を閉じた。


 これが前世での、”もう今は一人にして”というサインだったから。

 だからセバスももう何も言わなかった



「あれ、セバスは?」

「え、えっと……忙しそうに消えていったけど……多分?」

「ええ!?多分?どういう事?もう少し話たかったのにな~。どうだった二人きりで話してみて。イケメンでしょう?私の最推しなのっ!杏里も好きになっても良いけど、セバスは誰にも心を開かないってネットでも有名なんだって~。ファンクラブもあるのに」


 杏里は紅茶をじっと見つめた。


「そう……」


 自分の好きな紅茶も未だに覚えていてくれているなんて。

 でも、絶対に駄目。彼が何故ここにいるかは分からないけど、彼への想いは断ち切ったんだから、だから……。


「お嬢様方、そろそろ出発のお時間です」


 ドアマンだった男がやってきて、朋美は訝し気な表情をした。


「前島?セバスは?」

「セバス執事長は……体調不良と仰ってまして」

「あら、それは大変ね……大丈夫かしら?」


 朋美は心配そうな顔をする。

 その横で杏里は首を傾げた。


 そんな体調不良そうな印象はなかったし、あの人、もし本当にセバスチャンなら、そんなヤワな男ではないと思うけど……。


「いってらっしゃいませお嬢様方。ご帰邸をお待ちしております」


 朋美と執事喫茶を出て、杏里はホッと胸を撫でおろす。


「はあ~、楽しかった!この現実離れの体験を味わえるってのが最高よね」

「まあ……そうなんでしょうね」


 「あれ?杏里まだ口調がお嬢様だけどハマったかしら?オホホホホ~」と能天気に階段を駆け上っていった朋美を見て、杏里は溜め息をついた。


「で、どう?イケオジとなら処女を捧げる気になったんじゃない?」

「っ、ちょっと!朋美、こんな人通りの多い所で言わないでって!」


 ごめんごめん、と悪気もないように言った朋美と駅まで歩いて、手を振って別れる。


「っじゃ、明日ね、杏里。誕生日プレゼントはまた彼氏ができてからにするわぁ~」


 ヒラヒラと手を振って、嵐の様に去っていった朋美を見送って、杏里は帰路につく。

 お金もないから、大学の隣に建てられたアパートに一人暮らしなのだ。

 なんとなく家に帰る気にならなくて、アパートの傍の公園のブランコに腰を下ろした瞬間。


「アンリエッタお嬢様」


 後ろから声が聞こえて、杏里は驚いて立ち上がった。


「ひぃ!!セ、セバス!?ちょっと、なんで此処に!!びっくりさせないで」


 心臓が飛び出るかと思った……。と杏里はバクバクと鳴る胸を抑える。


「申し訳ございません、ですが、尾行させて頂きました」

「ちょ、ちょっと待って、セバス。そんな自信たっぷりに言わないで?此処でそれは犯罪よ?わかる?この世界で私が警察に言ったら貴方は捕まるの」


 身体を若干のけ反らせながら、多少の冗談を含めそうセバスに突っ込みをいれた瞬間。

 彼の顔に闇が見えて、杏里はその感情の抜け落ちたような表情に息を呑む。


「……そんな事、もう良いのです。貴女は私がどんな気持ちでいたか知らないでしょう。一人、あんな風に気持ちを告白されて残された者の気持ちが……」

「……セバス……ごめんなさい」


 杏里は顔を俯けた。確かに死ぬ間際に「好き」なんて言われたら、自分だったらその先ずっと思い出してしまうだろう。

 それに好きでもなかった人からそんな事を言われたら迷惑だっただろう。と思って。


「私は謝って欲しいわけじゃない!私は……私は、禁じられた魔術に手を出し、命を犠牲にして此処まで来たのですから」

 だから、この世界の警察に捕まるなんて、痛くも痒くもない。とセバスは自嘲気味に笑った。


 そしてその言葉に杏里は顔をあげる。


「なん……ですって……?禁忌の魔術……に」


 世を渡る類の禁忌の魔術に手を出したなんて前の世界で知れたら、極刑は免れないだろう。

 だって、それはあまりに強力で、世界の運命を変える可能性すらあるのだから。


「私は、貴方を失った哀しみに耐えきれず。貴女の亡きがらを抱えて魔女と面会した。そこで私の命と引き換えに、貴女が生き返れば良いと思ったのです。ですが、貴女の魂はもう他の場所に行ってしまっていた。

 だから、魔女と契約を交わし、私の命と引き換えに貴女を追って転生したのです」


「そ、そんな……何故……」


「そんなのッ!好きな女性が目の前からいなくなったから、に決まっているでしょう!私はお嬢様である貴女に恋してはいけないと分かっていながら、貴女に恋をしていた……。そんな女性を目の前で失い、自分の気持ちを告げる事も出来ず、相手に告白までされて、追いかけない男だと思われては困る!」


 セバスが大声を出し、杏里の身体が跳ねる。

 それを見たセバスは拳を握りしめた。そして大きく深呼吸をすると、腰を折る。


「申し訳ありません……貴女を見ているとどうにかなりそうだ……。私もこんな中途半端な状態で貴女に近づいた事自体が間違っていたのかもしれません。しっかりと準備を整える必要があるようだ。

今日は一旦、失礼致します」

「セ……」


 杏里は彼を引き止めようとして、そしてそれをやめた。

 宙に浮いた手を握りしめて、想いを押し殺すように帰宅する。


 そしてベッドの上に横になって枕に顔を押し付けた。


「ッ、なんで……なんで、こんな所まで追ってくるの?彼、あんなに変わっちゃって……それも私の所為、よね?もう……諦められたと思っていたのに……でも、まだこんなに彼が好きなんて……」


 でも、もう会わない方がいい。だってきっと、お互いにとってよくないもの。

 なのに……どうして、もう一度会いたいなんて……思うの……。


 そんな思いと共に、杏里は濡れた枕を抱きしめながら瞳をとじた。



「はぁ~~、この先、どうしよう」


 杏里はもう癖になってしまったその言葉を零した。


「またぁそんな弱音吐いて!」

といつもなら肩を叩いてくれる存在(朋美)はいない。


 何故なら彼女は今日ずっと机に伏せったまま窓の外を見ているからだ。


「朋美、大丈夫?ほっぺ、ぐちゃって跡つくよ?」


 杏里は完全に魂の抜けた朋美を覗き込んだ。


「う~ん……、振られたのぉ……結構くるなぁ……」

「誰に?」

「セバス様……」


 杏里は動揺して持っていたペンを落とした。

 あれから二ヵ月が経っていたし、最近は彼の事を考えるのはやめようと、漸く踏ん切りがついてきた筈……だったのに。

 なんで、親友が振られてホッとしているんだろう。

 むしろ、私、なんで朋美が彼と会っていた事に嫉妬しているんだろう……っ。


「そう……なんだ」

「バレンタインの日ね、告白したの。まあ、って言っても執事喫茶で、なんだけどね?」


 朋美は自嘲気味に笑った。

 そりゃあ、客と店員だもんね~、と。


「惨敗だった。彼、こう言ったのよ。『私が生涯仕えたいお嬢様は一人と決めております』って」


 とってもカッコ良かったわ~、と朋美が思い出すような表情で席を立って、杏里も彼女の隣に並び校舎をでる。


「でもスッキリしたのかもしれないな~。好きな人がいるって事だもんね。ファンクラブの会員としては応援しないといけないわ。それに、彼辞めるんだって」

「え?」


 杏里は驚いた。いや、朋美がファンクラブの会員だった事も衝撃なんだけど……そうじゃなくて、セバス、執事喫茶辞めたの?ってことに。

 そんな杏里の反応に、朋美はウンウンと頷く。


「分かるわ~!私も同じリアクションしたもんね!セバス様って、執事長って地位なの。だから、もうあそこで働いて10年くらい?なんだけど、いきなり辞めますって言ったのが二ヵ月前なんだって」

「二ヵ月……前?」

「あ、そうそう。ちょうど、私達がお店に行ったときね!体調不良って言っていたでしょ?だから皆何か病気なんじゃないかって……ネット情報ね!」


 またネットかあ……、と杏里は冷ややかな笑みを浮かべる。

 前世の彼であればそんなヤワではない筈……けれど、頭の中を占めるのは、早速セバスの事だけだった。

 もし本当に病気になっていて……今度は彼が死んでしまったらどうしよう……と思えば、涙が零れそうになる。


「店の予約は二ヵ月先まで取れるからさ、だからそこまでは働くって行って、ついこの前辞めたんだって~、凄いファンが涙したって話よ」


 そう言った朋美は校門に差し掛かった所でピタリと立ち止まった。

 泣きそうになるのを堪えていた杏里はそれに気づかずに彼女の背中に追突する。


「っわあ、ごめん、大丈夫?朋美。って……朋美?どうしたの?」


 朋美は直立したまま漫画の一幕のように鞄をボトリと落とした。


「あ……あれ……、セバス様じゃない……?」

「へ?」


 杏里は彼女の指した震える指を目で追う。

 その先には黒マットの二人乗りのスポーツカーと、そこに凭れ掛かっている一人の高身長のイケメン男性。それは紛れもなくセバスチャンで。


 気付いたらしいセバスも、じっとこちらを見つめて、口を開いた。


「アンリエッタお嬢様……」


 朋美はセバスと杏里、二人を順番に見た。


 杏里とは同じ高校に通っていたから一応長い知り合い。だけど、彼女が執事喫茶に行っていた様子はなかったし彼氏は噂では大体知っている。


 だからきっとセバスとは初対面だった筈。

 なのに、二人は初めて会ったような距離感ではない。


 謂うならば、本当に執事とお嬢様のような……。


「そっか……セバス様は杏里が好きなんだね……」


 その言葉に、杏里は咄嗟に朋美の腕を掴んだ。


「違うって……私は」

「杏里、私はね、アンタよりは恋愛してると思うよ!見てみなさいッ!あの、顔!あんなイケメンにあんな顔させられるのは、恋という魔法しかないのよ!!」


 恋……。

 杏里はセバスの顔を見た。

 切れ長の青い瞳が揺れて、彼は軽く頭を下げる。


「ほら、行きなさいって!アンタも気になっているんでしょう、彼の事」

「え?私は違っ……」


 朋美の両手に頬をぎゅっと挟まれて、杏里は朋美の顔をまっすぐ見つめた。


「そんな切なくて苦しくて、どうしようもない恋する女の顔をしておいて、違う訳ないわ!しっかりしなさい!この処女女ッ!」

「っ、ちょっと朋美!」


 朋美に肩を押され、一歩踏み出した杏里は彼女を振り返る。

 少し涙に濡れた朋美が満面の笑みで笑っていて、杏里はそんな、いつも勇気をくれる彼女を抱きしめた。


「朋美、ありがとう」


 それから、彼の元まで歩いていく。

 セバスは目の前に立った私を、あの昔のような優しい瞳で見下ろして、くしゃくしゃの笑顔を作った。


「アンリエッタお嬢様……僕と来て下さいますか?」

「うん」


 杏里が頷けば、セバスが車の助手席を開け、そこに乗り込む。

 手を振ってガッツポーズをくれた朋美に手を振り返して、私は……同意の元セバスに拉致された。



「アンリエッタお嬢様、拉致、ではありませんよ」


 心の中を読まれた。と杏里は運転するセバスを横目で見た。


「心、読まないでよね」

「お嬢様の事ならなんでも分かります。馬の遠乗りへお連れした際も、”拉致ですわ!”などと言って私を困らせていたではないですか」


 杏里はその時の事を思い出して笑う。


「ッふはは!あれは面白かったわよね!周りの人たちが貴方を誘拐犯だと思ったのだっけ?」

「楽しくないですよ、私は職を失う所でした」


 ムスッとした顔でそう言ったセバスに、杏里は思い出した事を口に出す。


「そういえば、執事喫茶、辞めたの?」

「ええ。もう用はありません。私はお嬢様を探していたので……本当に苦労しました」


 着きましたよ、と連れて来られたのは都心部は都心。

 超が付くほどの高層マンションの駐車場で、杏里は背筋をピンと伸ばした。


「え”、こ、ここ?に住んでいるの?」

「ええ、そうです。ここの最上階ですね。住んでいるというか住み始めたというか。アンリエッタ様は美しい景色が好きだったでしょう?」

「いや、それはもう慣れたんだけど。っていうか……セバス……何者?」


 その答えを聞く前に、杏里は最上階で開いたエレベーターから降りるとその光景に息を呑んだ。


「っちょっと待って、もう此処、家の中なの?!」

「ええ、ワンフロア丸々使っておりますので、そうですね。二階はまだ少し散らかっておりますので見ないで頂けますと嬉しいです」


 苦笑したセバスは杏里をだだっ広いリビングに招いた。


「今お茶をお出ししますね。座っていて下さい」


 座ってと言われても、何処に!!?と杏里は部屋を見渡す。

 あまりに異次元なその空間に落ち着かず、全面窓になっている所に置かれた大きすぎるL字ソファの端に腰掛けて、杏里はキッチンに立つセバスを見た。


 全てが新品のようにピカピカだ。

 キッチンも広いし家具も一つ一つセンスがいい。無駄な物も一切ないし。

 そんな事を考えていればセバスが隣に腰掛けた。


「こんな端に座らなくても……まあ、そうですね。先程の疑問にお答えしたいのですが、どこから話せばいいか……」


 ポツリポツリとセバスが話始めた事はあの、昔の私が死んだあとの話。

 命を犠牲に転生したセバスは、魔女の禁忌の魔術によって、此方の世界の大企業の社長と秘書の両親の元に生まれた次男で、事故により危篤状態だった身体を得た。父親は異国出身でハーフであり、見た目だけでなくセバスという名前もこの世界で引き継いだ理由も魔術によるものらしかった。


「まあ、でもできれば歳を近づけてくれとは言ったのですが。あの魔女も色々と初めてだからどこまで出来るか分からないとは言っていたのです……。だから、私とアンリエッタ様も歳の差も前以上に少し開いてしまっていたのを……今まで知らなかったのです」


 苦笑したセバスを見て杏里は笑う。

 確かに、今のセバスは32歳。だから、昔より更に3歳も年上になってしまった。


「それは禁忌の魔術を行った代償なのでしょうね……。でも、そんな年の差は誤差よ!前世の貴方には何も違いないわ」

「確かに、そうですね。でも、出来ればもう貴女との少し歳の差を縮めたかった……縮まっていると思っていた……だから貴女を見つけるのに本当に時間がかかりました」


 そうして此方の世界に来たはいいが、セバスには肝心のアンリエッタとの会い方も分からなかったのだ

 魔女が告げたのは、運命ならばまた巡り合うという漠然としたアドバイスだけだったのだから。


「そんなの、もうイカガワシイ、マジナイ師ね」


 杏里がそう言って笑えば、彼も同意して笑った。


「本当に、そうですね。まあ、でも禁忌の魔術等、そうそう行うものではないでしょう。それで最終的にはこうやって貴女に会えたのですが……本当に時間が掛かってしまったな」


 セバスに手を握りしめられ、杏里は恥ずかしくなって赤面する。

 そして、魔女の助言に従って自分の心の赴くままに、家族の反対を押し切って執事喫茶で働き始めたそう。


「執事喫茶しか考えられなかった。だけど、2年が過ぎ、5年が過ぎ、貴女が現れなくて本当に不安で……」


 ぎゅっと握られた手が震えていて、杏里はその手に自分のもう片方の手を重ねる。


「追ってきてくれて、見つけ出してくれて……ありがとう、セバス」


 その言葉を聞いたセバスは柔らかい笑顔を浮かべた。


「お見合いも何度もしろと急かされていたのです。本当に良かった……貴女と会えて……」

「結婚もしていないの?」


「は?するわけがないでしょう。ずっと、ずっと、貴女だけを探していたんだから」


「そ、そうなの……」


 綺麗な青色の瞳に見つめられて、杏里が顔を逸らそうとして、セバスはそっと彼女の顎に手を添えた。


「杏里……。俺と、結婚を前提に付き合ってくれないか?こんな急にという事は分かっている……だが、諦めきれなくて……といってももう離してやれないと思うんだけど……」


 杏里はその誠実な真っすぐな想いに頷く。


「セバスチャン、あんな、無責任な別れ方してごめんね。私もセバスにこの前言われて、あれは酷かったなって思った。それに、私もまだ、貴方の事が好きなの……忘れようとしたのだけど……全然忘れられないのよ……だから」


 その言葉の先は紡がれる事は無かった。

 だってセバスが私の唇を塞いでいたから。


 転生して19年の春。

 私は前世も入れた本当に長い間想いを寄せていた初恋の人と漸く想いを通じ合わせた。


 これをハッピーエンドと呼ばなくて何がハッピーエンドなのでしょう?

 と私、アンリエッタは思うのだけれど、これは”エンド”ではないのでしょうね。


 セバスチャンは一度目の人生で私を失ったことで少しヤンデレ化しているみたいだし?

 私の長年守られてきた処女もいよいよ失われるかもしれない……と言う事なのかしら?


「お嬢様、夕飯の準備が整いましたよ」


 流石私の専属執事セバスチャンというべきか……見た目も美しい料理の数々が高級皿と共に机に並べられて杏里は目を疑った。


「え?これ全部セバスが……?!スパダリじゃない?!」

「えぇ。全て私の手作りでございます。でも良かった。お嬢様の食事の準備を完璧にこなすスキルを身に着ける為に2ヵ月間XYZクッキングに通った甲斐がありましたね」


 にっこりと嬉しそうに微笑んだセバスを見て、杏里はあんぐりと口を開ける。

 この……セバスが……XYZクッキングに……。

 そんな杏里に目の前からフォークに刺さった肉が近づいてくる。


「お嬢様、食べさせてさしあげましょうか?あ~ん」

「ちょっ、と、セバスッ?!私、もう大人なんだから一人で食事くらい取れるわよ」


 私と若干ヤンデレ化してしまった執事セバスチャンの結婚を前提とした彼氏・彼女としての日々はこれからが本番。


 今後どうなるのか知りたいような、知りたくないような気もするけれど。

 朋美や友人のアドバイスとか聞きながら、ゆっくりと大人の階段、登っていけばいいわよね!


 そんな決意を決めた直後、私の顔を覗き込みながら、ウットリするような笑みを浮かべたセバスは耳元で囁いた。


「お嬢様、今日は泊まっていかれるのですよね?」


『へ?』その言葉の意味を私の脳が理解するよりも早く、彼は私を抱えて二階へと繋がる階段をのぼっていく。


「えっ?もう?そういう感じなのっ?しかも階段……のぼって」

「ええ、寝室は二階ですので……上りますよ?というか、お嬢様、私が此処まで連れてきて帰すと思っておられた……のですか?貴女の為に2ヵ月もかけて準備していたこの家に……?」


「……え、私の為?ちょ、ちょっと……待って……セバス、待って、お姫様だっこ……、待って!待ってってば、心の準備がああああ」


 そして必死の抵抗をする私を待つ気もなく、彼は妖艶な笑みで微笑んでこう言うのだ。


「アンリお嬢様、お時間でございますよ。ご準備はよろしいですか?」


 読者の皆様、ご一読いただき有難うございました。

 主に独特な視点から小説を書いております猫まんじゅうと申します。

 少しでも面白いと思って下さった方は、いいね!、ブクマ、下の☆評価欄での★評価をして頂けますと喉をゴロゴロ鳴らして喜びます。


※タイトルにもありますようにこの小説は前編です。

 この後の二人は年齢制限をつけムーンライトにて短編掲載し、そちらが後編となります。

 二人が想いを通い合わせてエンドはしておりますが、タイトルの”ヤンデレ”はほぼ後半に詰め込まれます。

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