学術特区の道化と風紀
学術特区のカリキュラムで、『能力育成』というものがある。
言葉の通り能力者たちの能力を促進、発達させる事を主としているわけではなく、能力者達の能力の選別、抑制を主として行われているそのカリキュラムこそが、学術特区の最大目的。
町一つを消し炭に出来る思春期の少年に、行動を操る恋する乙女。
そんな危険な能力者達を、ときに監視し、ときに管理する事こそ、この学術特区の設立の理由。
社会を傾けうる最悪な可能性を排除する事こそ、存在意義。
そんな抑圧を、15才の彼らが望んでいるはずも無く………
そのあたりも、学術特区に不良が増える原因、なのだが。
彼等にも居場所が必要なわけで。
居場所を得るにはそれなりの苦労をしなければならないのも道理なわけで。
そんなわけで、早くに明かりを落とす学術特区のコンビニの前で、取り残されたように光を放つ自販機の前で格闘している少年が一人。
「クソッ!」
バコン!と、怒りに任せて自販機を蹴り飛ばしたところで、このイライラが解消されるわけでもなし。
しかしそこで思いとどまるほどの自制心は俺にはなかったから仕方無い。
若干痛む足先にさらにイライラを募らせながら、頼まれていた通り自販機に千円札を流しこむ。
千円札は差し込まれた勢いそのままに吐き出されてきた。
「っっああぁ~、クッソ!!」
自販機なんて人格のない物にまで嫌われた。
しかし、ここでこのストレスを持ち帰ってストレッサー張本人にぶつけるだけの勇気は俺にはないので千円札の向きを変えてもう一度トライする小心者な俺。
これが俺の限界で、そんな限界を知っている俺は他の馬鹿な不良とは違う。
いつか俺の能力『過剰痛覚』で他の奴らを出し抜いてやる。
とか考えている間にすでに千円札は自販機に拒否されてその端を晒していた。
「………………………」
こうなってくると俺じゃなくて自販機の方が悪いと言う気がしてくる。
いや、確実にこれは自販機のせいだろう。
いっそ能力を使って壊せたらいいのだろうがあいにく俺の能力は自販機には傷一つつけられない。
諦めてもう他の自販機を探そうとしたとき、
「あ、そりゃあ旧札だから悪いのよ」
奇妙なイントネーションで声をかけられた方を振り向くと、これまた奇妙な外見の奴が目に入った。
今にも泣き出しそうな道化師のメイクを目元に施し、笑いを必至でこらえているような不器用な笑顔を貼り付けたそいつは、午前三時の暗闇の中でも異様な存在感を放っていた。
音もなくこちらに歩み寄り、奇術師のような手際でふところから千円札を取り出し、そのままするりと自販機に入れる。
「で?」
「は?」
「どれを頼みたいか言わなけりゃあ押せんよな」
どうやらそいつは自分が飲みたいんじゃなくて、俺を助けてくれようとしているみたいだ。
普段ならお節介と切り捨てるところだが、あいにく今は時間がない。
とりあえず頼まれていた炭酸各種の名前を言うと、自販機の上を這い回るような手つきでボタンを押していく。
━いちいちの所作が気味の悪い奴だ。
そんな失礼な感想を持っている間に自販機が缶を吐き出す音が続き、そして止まった。
「金はいらんから持ってきい」
数本の缶を捧げ持つようにこちらに渡す奴はやはり気持ち悪い。
だが、まあ悪い奴ではないようだし………………
「クフ、今、わずかに俺の事を『信用』したよな?全く、後少しで千円が無駄になるところよ」
俺の思考をさえぎるように、突然道化が口を開いた。
先ほどとはまるで違う声質。
しかしそれは、
何重にも被っていた猫を脱ぎ捨てたかのように溌剌とした調子で、けれど粘つくような絡みつくような、生理的に不愉快な、人間ではなく別の生物の呻き声を聞いているような、根源的不快感をあおるような、一言で言えば、酷く耳障りな声だった。
「一つ忠告。この数多の能力が群雄割拠する学術特区で、」
「油断はしちゃあいかんよな」
「でないと簡単に能力に、」
「喰い殺されてしまうんよ」
なんだか声が揺らいでいる。
いや、揺らいでいるのは俺か。
脳が小刻みに振動しているのか。
世界の輪郭さえ定かでなくなり……
「脳内染色、配色信頼」
聞き覚えのないフレーズに顔を上げると、道化師メイクの奇妙な人影がこちらを覗きこんでいた。
「おい、平気よな?」
全く心配していないような楽しそうな声色。
笑いをかみ殺しているような口元。
しかしそれでいてどこか人を信用させる雰囲気が漂っていた。
「ああ、ちょっと金を貸してくれんかい。親知らずを抜くのに3億円かかるんよ」
まだ手が思うように動かせないが、それでもポケットから有り金全部を取り出すと、そいつの差し出した手に押し付けた。
到底足りないことはわかっていたが、少しでも親知らずを抜く足しになってくれればと思う。
しかし、親知らずを抜くのにそれほどお金がかかったとは知らなかった。
粘つくような手つきで懐にその金をしまったそいつは、張り裂けるような笑顔をしたかと思うと、間髪入れずにこんな事を聞いてきた。
「それじゃあ、今度は君の組しているグループの、拠点に案内してもらおうかね?」
仕方なく立ち上がると、ふらつく頭で拠点への道順を思い出す。
俺達の拠点に何の用があるのかは知らないが、こいつにも何か思うところがあるのだろう。
いや、そうに違いない………………
ふらふらと歩くその少年と、ゆらゆら移動するその道化師メイクの二人は、傍から見ればひどく中のよさそうな友達同士に見えた。
時刻はさかのぼり、昼。
とあるファミリーレストランの片隅での会話。
「で?俺はいったい何のため、どんな理由で呼ばれたんよ柏原」
「…………学長、説明しなかったんですか。まあいでしょう、あ、僕はこのグラタントーストセットで」
「俺はモズク一つ。いや、説明はされたんよ、ただその内容が支離滅裂だっただけの事」
「…………なるほど、大体想像はつきますが。まあ、簡単に言うとこういうことです、能力育成カリキュラムに抵抗している不良たちのグループ。水面下でにらみ合っていただけの彼らに石を投げ込み、そのバランスを崩そうとしている№0がいる、ということですよ」
「ふ………………ん、具体的には?」
「最近彼らの行動が大胆というか、えらく活動的になってきているのを知っているでしょう?」
「まあ、俺も幾回か絡まれたからなぁ。全く風紀委員にしっかりとしてもらいたいよぅ」
「あなたはそのメイクを落とせば問題は解決すると思いますが、まあその一番の要因となっているのが、№0がグループに入る。という事なんですよ。一人でそれこそ戦車並みの軍事的意味を持つ№0がグループに加入する事によって、これまでのパワーバランスに亀裂が走り、それこそなし崩し的に現在の拮抗状態が崩壊してしまう危険性があるんです」
「ふ…………ん、でもそれだけで手前はともかく俺まで動かすかねぇ」
「それが、№0が入るグループというのが一つではないんです」
「学術特区にそんなに№0がはいったんか?初耳よな」
「それならまだいいんですが、現在私達風紀委員が確認している主なグループが、大小含め38、そして№0の能力者が入ると噂されているグループが23、そして、現在学術特区にいる№0は、僕も含めてたったの5人です。それがハッタリだとしてもどれも信憑性のある情報ばかりでしてね。23でもずいぶん厳選した数なんですよ。そして、その状況を作り出したのが転入して来た夏宮 翠葉という女子生徒ではないかと言うのが上の考えです。だから、その確証を掴むために僕達が動かされたんですよ」
「クフ、だからわざわざ俺をあの監獄から引っ張り出してきたわけかい……まあ、この時期に自国の能力者の管理もままならんとは思われたくないわな。まあお互い頑張ろうや」
「…………よく言いますね。あなたのせいでこの国の能力者に対する規制科目が50ほど増えたと言うのに」
「クフ、若気のいたりよ。それじゃ、この店の勘定分の働きは期待してくれよ」
「…………ま、いいでしょう。モズク一つくらいおごりますよ」
「それで、ここがグループ『パイレーツ』の拠点ですか…………」
窓ガラスもいくつか砕けているような廃ビルを見上げながら呟くと、その呟きを聞いていたかのように物影から染み出すように晴沢が姿を現した。
「早かったねぇ、柏原」
「ここからすぐ近くの事務所の方へ挨拶していたところでしたから」
事務所と言ってもなまじ情報収集能力を持った情報屋気取りがたむろしている街角に過ぎない。
しかしそれでも精神感応やら透視能力の能力者というのは覗き、ストーカーなどの小犯罪を日常的にやっているので、それを見逃してやっている僕には基本忠実で役に立つ。
その最終手段に頼ってなお、このふざけた道化師メイクの脳内染色にスピードで劣ると言うのは現職風紀委員としてこたえる物があった。
しかし、まあ常軌を逸した狂人に、
スタートラインから違うような超人に、
手段を選ばない外道に負けたくらいで僕の自尊心は修復可能。
一度目をつぶって、開いて、頭のチャンネルを切り替える。
「それで、情報元は確かなんでしょうね?」
「ああ、俺の友達が言うんだから違いねぇなぁ」
そういって、晴沢が物陰から引っ張り出してきたのは虚ろな目をした少年だった。
しっかり調教されていやがるようで眼球の焦点は晴沢から離れない。
これを友達と称する晴沢には相変わらず吐き気がする。
「なあ、日塚。ここで間違いないよのぉ」
「ああ、晴沢君。間違いないよ。ここが僕達のグループ『エナメルボーイズ』のアジトだよ」
「そうですか、じゃあ間違いはないでしょう」
事実を確認して、哀れな日塚君とやらの記憶を削除する。
自業自得にはあまりに罰が大きいが、それでもこの道化を信用したのが運のつき。
自分を少しでも『信用』した人間達をことごとく服従させ、自分に敵対した人間をことごとく『恐怖』で塗りつぶし、自分と軽蔑する人間をことごとく『憎悪』で人格破壊し、自分を止めようとした人間をことごとく『混乱』で精神病にし、自分を関係のない人間をことごとく『無気力』で自殺させた大量殺人者。
法整備が間に合わなかったというだけの理由で二百人以上を殺してなお、無罪となった殺人鬼。
この国の能力者管理上最大の汚点。
晴沢貴志とは、そう言う存在だった。
そう言う存在を引きずり出さねばならないほどに、今の状況は最悪と言う事なのだろう。
「で?どうするよ柏原。援軍要請?現状維持?それとも平和に話し合い?」
軽い口調で尋ねる彼を、欠片も『信用』しないように、微塵も『油断』を見せないように、言葉を選んでこう言った。
「当然、正面突破です。期待してますよ殺人鬼」
「クックック、元をつけるの忘れてるよな」
互いに互いを信用しない軽口の応酬の後、どちらともなく歩き出す。
晴沢は味方ではないが、学術特区の敵の敵ならば利用するのみと覚悟して。
能力名 脳内染色№00001
能力者 晴沢 貴志
精神感応能力の中で最強最悪とよばれた能力。
行動ではなく感情を操る能力で、人間の中に潜む『無気力』や『信頼』で感情を満たす事で自殺させたり、服従させたりできる。
能力名 過剰痛覚№01375
能力者 日塚 鷹由
相手の五感の触覚に働きかける能力。
感覚を過剰にして、ほんの衣擦れなどで激痛を引き起こす。
が、もともと稀少な能力なので、№が四桁ではあまり効果がない。