前編 「今度は俺と組まない?」
#深夜の真剣物書き120分一本勝負 参加作品
お題「ダンジョン」、「スモーク」、「トーチ」
肉と油の焼ける香ばしいにおい。年季の入った大きな鉄鍋が、手際よく香草と燻製肉を炒める。
満席の店内はせわしない足音や食器の音、活気のある喧騒、それから笑い声に満ちている。
「へぇ、また『斜陽』の層まで下りたんだ。何か面白いことはあった?」
湯気の立つ料理を皿に盛り付けながら、厨房に立つエプロン姿の青年が目を輝かせる。頬に大きな傷を刻んだ旅装の男は、目の前に置かれた皿にスプーンを突っ込みつつ、カウンター越しに呆れ顔を向ける。足元には大きめの荷物と、使い込まれた両刃の長剣。
「面白いって、お前、冒険者の仕事を舐めてるよな」
「そんなことは。ねぇ、見慣れない動物や壁画とかはなかった?」
「そんなものがそうそうあると思うな」
「でも、君たちのパーティーが一番奥まで行ってるんだろう、今のところ」
「まぁな。ーーああでも、今晩あたり更新されるかも」
スプーンを口から引き抜いて、男が後方を指さす。鉄鍋を水に浸けていた青年がその先を辿る。
昼下がりの食堂には街じゅうから老若男女が集まり、食事を楽しみ、下らない噂話に花を咲かせている。歌うたいや商人がテーブルを回り、賑やかな音色や色鮮やかな品物が行き交う。
そんな中でただ一人、誰とも話さず仏頂面で黙々と、切り分けた肉を口に運ぶ鎧姿の男が一人。人一倍大きな体格。やたらとまっすぐ伸びた背筋。完璧なテーブルマナー。
「アイツ、あの潔癖症の一匹狼、坊んとこのパーティーに加わったってよ」
青年がぱっと顔を輝かせるのに、男は理解し難いと言わんばかりの目をして。
「ダンジョン内で動けなくなったヤツを引きずり回しただの、見殺しにしただの、歩くのが遅いヤツを置いてっただの。どんだけ腕が立つとしても、あんなやつ俺は絶対にごめんだね。近くのテーブルになっただけで息が詰まる」
良くスモークされた肉を美味そうに頬ばって、口の中に広がる香りを楽しむ。
「ああ、そういえば、途中で落としたんだが、鱗の破片のようなものを拾ったぞ」
「どんなもの?」
「このくらい分厚くて、こう、年輪みたいな模様があって、そこの地図よりは少し明るい黄色で……引き返す寸前に地面に埋まってるのを見つけたんだけど、途中で落として」
男の手が、壁に並んで貼られたおすすめのメニュー表と、手書きの地図を指さす。黄ばんだ紙にいくつもの道筋と、日付と紋章が記されている。一番下にまで伸びる長いルートの末端に真新しいインクで付け足されているのは、数日前の日付と『斜陽』の紋章ーーカウンターの橋の席で料理を食べ終えた男の家紋だ。
「ああ、落とした時、ガラスみたいな澄んだ音がしたな」
青年の、水仕事をしていた手が止まる。鳶色の瞳がゆっくりと細くなる。
「おい、なんか値打ちもんだったか?」
「……もしかしたら、蛇竜の黄鱗かな」
厨房から出てきた青年が、客席の間に置かれた洒落た本棚から、分厚い本を一冊取りだす。
「こういうのじゃなかった?」
びっしりと認められた古めかしい文章の、隙間に現れた白黒の標本画。
「お、これだよ」
「惜しいことしたね。ーー数十年前の絶滅種の上に有害種だから、破片でも金貨数十枚になる。一枚まるごとなら金貨百枚」
「まじか!!」
奇声をあげて、別のテーブルを囲んでいる仲間の元に駆け寄る男。それを眺めてくすくすと笑う常連の娘たち。
その後ろ、食べ終えた皿の中に銅貨を落として、鎧の大男がのしのしと店から出ていく。朗らかな礼と挨拶の言葉をかけて見送ったエプロン姿の青年は、ふと表情を消しーー窓の外を見つめ、ぽつりと呟く。
「うーん……神が冒険者たちを試すためにつくった、前人未踏のダンジョン、ねぇ」
***
「解散だ、解散!」
男の一人が投げやりに叫ぶ声が、分厚い岩壁に反響する。火を熾したばかりの細枝のかたまりを、ブーツの底で踏みつけた。一気に周囲が暗くなる。湿った空気。
「連携って言葉知ってっか? これ以上こんな奴といるくらいなら、俺たちだけで勝負したほうがなんぼかマシだ。集中力が下がるほうがよっぽど危ない」
ぶつくさ言いながら、男は重そうなバックパックを担ぎ上げ、帯剣の位置を確認して「行こうぜ」と周囲の数人に声をかけた。困惑しながらも従う男たち。
彼らが歩き去り、足音が完全に聞こえなくなったところで、たった一人残された鎧の男は、冷たい巨石に背中を預けたまま小さく息を吐いた。
その口が、またこれか、と小さく動く。
どこか遠くで獣の遠吠え。ネズミか何かが這い回る音。岩壁の向こうでちょろちょろと流れる地下水の音。
ここに居ても始まらない、と男が立ち上がったところでーー
「ひええぇぇ」と、まぬけな声が岩に反響して聞こえてきた。
鎧の男は即座に剣を抜き、重心を落とし、素早く周囲を見回した。男の右側ーーゆるやかな登り坂、つまりダンジョンの出入口側から、近づいてくる足音。
ひどく不規則な、おそらく人間のであろう足音が一つと、それよりやや重そうな四足歩行の足音が一つ。
暗闇の先、揺らめく炎が点となって現れた。
男の金属靴が、ざり、と小石を踏み締める。
「あっ助けて助けておにーさん!」明かりを持って走ってくる影が能天気にそう言った。
松明に照らし出された見覚えのある顔に、男が眉をしかめ。その後方に迫りくるーーただの中型のイノシシに向かって剣を一振り。短い唸り声を上げたイノシシは、あっさりとUターンして、蹄を鳴らして坂を登っていく。
「なんでいる」剣を収めて、男が言った。
「いやー、どうもありがとう」
男のすぐ横にへたりこんでいた人物が、息を整えながら顔を上げて、へらっと笑う。見覚えのあるその顔は、街の東の大通りの人気食堂、ランチ担当のコックの青年。いつものエプロンの代わりに身につけているのは、ひらめくたびに鈍く銀に光る軽量鉱石の防護胴衣。
「実は料理はただの趣味でさ、本業は研究者なんだよね」
左手の松明を地面に置き、服の下から分厚いメモを取り出して、さっそく何かを書きつけはじめる。
「……どうやってここまで来た」
数多くの冒険者たちが挑んできたダンジョンの、前人未到の最奥部だ。あきらかに大した装備ももっていない、痩せ型の青年を見下ろす。
「君たちの後ろを付いてきた」
尾行には気付いていたが、盗賊の類だと思って放置していた男は、ああとうなずく。
「それに、俺の逃げ足の速さは知ってるでしょ」
数日前、流れ者の冒険者が店で食い逃げしようとしたのを捕まえていたことを思い出して、男はもう一度うなずいた。
「でも、解散しちゃったみたいだね」
「あいつらに付いていけ」
「そのつもりだったんだけど。ほら、キノコまみれで足場の悪いところあったでしょ、彼ら、あそこで黒狼の大群に襲われたみたいで」
顔をしかめて黙り込む男に、青年はひらひらと手を振って。
「君のせいじゃないと思うよ。せっかくここまで来れたのに、君を置いて勝手に戻ったのは、彼らのほう」
てことで、と言い置いてメモを服の下にしまった青年は、ズボンの埃を払って立ちあがる。
「今度は俺と組まない?」
場に似合わないひどく明るい声が、周囲の石にわんわんと反響した。
顔をしかめて黙り込む男に、青年は慌てて杖を見せて、
「いくつかなら魔法もーー」
言いかけたところで、男が素早く振り返って剣を抜いた。「さっさと逃げろ」
青年は耳を澄ませて周囲を見回すがすぐに首をかしげる。
「3分持ちこたえて」
問答無用とばかりに男の手が青年の襟首を乱暴に掴む。
「待って待って、裏メニュー解禁でどう」
ぴくりと男の肩が動いたのを見て、青年がふふと笑う。
「塩バター生姜焼き」と男が早口に言う。
「はいはい、焦がし玉ねぎをたっぷり乗っけてあげよう」
明るく笑った青年が、「3分ね」と念押ししてから、少し離れたところにあった岩陰に飛び込んだ。
直後、音もなく忍び寄った黒い双頭獣の大きな牙と、男の剣ががつんとぶつかりあった。
眼光鋭く睨み合う獣と男。至近距離で唸る獣。男の頬をつうと汗がつたう。
と、その頭上に小さく、ひゅう、と異質な風が吹く。
青ざめた男が、後方に向けて叫ぶ。「逃げろ、もう一匹ーー」
ーー獣たちが来た方角から、カツン、と人工物のような音がした。