ルールとは何ぞや?(ルールとモラルの章)
堀江貴文氏による、いわゆるフジテレビ乗っ取り事件が起きた際、同社の会長がインタビューで、
「ルールは守ってもらわないと」
などと発言して失笑を買いました。
ホリエモンはルールを守りました。彼が破ったのはモラルであって、ルールには従いました。
まあこの時はそれほどモラルハザードを感じたわけじゃない、、その後の彼自身の発言内容等から、ホリエモン=汚い、のイメージが出来上がったせいかもしれませんが。しかし、今回の問題は何故ホリエモンが日本人に嫌われるかということではなしに、フジテレビ会長の発言です。
このように、日本人はルールという言葉をモラルと混同しておる。
ルールには、なんの道徳性も無ければ美的感覚も無い。ルールは、やってはいけないこと、と同時にやっても良い事、の規定でもある。
ルールだけ守ってモラルを欠くと、それこそホリエモンみたいな事にもなる。もっとも、彼はルールも破っていたことがその後判明しましたが。この時も、自分の精神世界の中心で超常識理論(彼らにとっては常識らしいが)を叫ぶ、、いわゆるマスゴミ以外は誰も彼もがざまー見ろ、という反応でありました。日常の言動にモラルを欠いていると、ここぞとばかりにとっちめられる事になります。
日本人は秩序だって行動する事を生活の第一義として教え込まれています。
それは、ルール自体ではなくルールに従う、という道徳規範であります。
自分がスポーツというものをテンから受け付けない体質だったのは、運動神経に問題があった訳ではなく(そう思いたい)ルールが大嫌いだったからです。
それこそ、ルールに従えば何をやっても許されるのか、という問題です。
日常生活においてルールが必要なのは、秩序を保つための基準が必要だからです。
交通ルールなど、もしも事故が起こった際に責任の所在を明らかにして賠償等の取り決めを行う、その為にのみ存在するのであって、全く人のいない場所でなら、従う必要の無いものだと考えております。逆に、たとえ交通ルールでこちらが優先というような状態であっても、相手に譲ったりするのは大変喜ばしい光景であります。ルールでこちらが優先だからお前は退け、などというのは見苦しい限りです。それこそ当時の与謝野大臣がおっしゃったように美しくない。
日本のルールは間違いだらけ、だとか何とか言う新書がありました。詳しくは読んでないのですが、間違いの無いルールなんてございません。と言うか、何かルールを設定すれば必ずそれを悪用して口を潤そうと言う不届きな輩は存在します。ルールなんてそんなものです。ですから、運用する側のモラルが重要なのです。とはいえ、このような性善説だけで世の中やって行ける訳は無い、そして、ホリエモンのような悪いやつほどルールを巧く利用し、モラルを踏みにじろうとする。
自分は、ルールに従うときには一生懸命にはなれません。ただ、頭の上を通り過ぎるのをやり過ごすことにしています。従順に、そして無気力に。気合を入れて何かやろうとするときはルールなど無視します。ルールに引っかからないように、見つからないように、或いはルールそのものを変更するように。
だからスポーツは嫌いです。
個々の選手の中には魅力的なパフォーマンスを見せてくれる優秀なアスリートもおりますが、ゲームと言うか競技そのものには、ルールには全く興味がございません。
悪法も悪なり、これが自分のモットーです。