プラティヤハーラと六根清浄
プラティヤハーラ--アシュタンガの第五段階、佐保田鶴治先生が”制感”と訳しておいでになりました。感覚を制御すると言う事ですね。元々、直訳すれば向けて集めるという意味だとヴィヴェーカナンダ師が書いてました。あるヨーガの本には”集中”ではなく”集注”だと書いておりましたが、プラティヤハーラはまさに集注、そして次のダーラナーが集中という事になりますか。サンスクリット語の意味は兎も角、一応プラティヤハーラといえば感覚を制御する、という風に考えて間違いは無いかと思われます。
そこで--今回引用するのは『般若心経』です。般若というと能で使う、鬼の面を思い出す人がいるかもしれませんが、あれは般若坊と呼ばれる面彫りの名人が作ったからそう呼ばれただけです。本来の意味は、宇宙の英知を現すパンニャーとかいう梵語だそうで。このインドから伝わった短い経典は、ロケット工学の糸川博士によると、最新宇宙理論の真理が書かれているなどと評価されておりますが、矢張り古代インドの英知を結集した書物です。
今回引用する次の一文--『無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界』般若心経の一節にある言葉です。目も耳も鼻も舌も皮膚感覚も、そして意識も全て、要するに感覚は無い、と言う事になります。まさにプラティヤハーラそのものです。全ては心の造った幻、インドではマーヤーと言います。日本でマヤカシ、という言葉がありますがが、語源はマーヤーではないでしょうか?
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、これら五識に意識を加えた六識、山岳修行などでおなじみの「六根清浄」の六根です。荘子にも似たような話があって、混沌にご馳走になった御礼に目鼻や耳など五官を作ってあげたら、混沌は死んでしまった、という寓話があります。斯様に感覚を制御することの重要性は東洋において古代から繰り返し語られておりまして、プラティヤハーラが如何に重要な心得か、と言う事は人類の真理と申し上げて御過言では無いのではないでしょうか?