君子は豹変す
以前にダーラナーは潜在意識に集中する事ではないかと書きましたが--間違ってる可能性が有ります。
ヨーガには、潜在意識という概念は無いんです。嘘、と御思いに為るかも知れませんが、事実なんです。阿頼耶識とか潜在意識だろうって、それが違うんですね。潜在意識について成瀬雅春先生にお伺いしたことがあるんです。そしたら、潜在していると思うから潜在意識である、との御答えでした。あら意外、そう、ヨーガとは、全てを健在に引きずり出す作業であって、潜在意識とは西洋の心理学用語なのですね。大体、ハタヨーガでもクンダリーニヨーガでも、ハッキリ意識する事が大切であって、潜在意識の訓練というのは、自分が習った範囲ではやらなかったです。
ですから、ダーラナーも潜在意識ではありえない。意識を集中する、凝念と故・佐保田鶴治先生は訳されました。では、何に意識を集中するのか--ヴィヴェーカナンダ師の著書によりますと、体の一部だそうです。人種民族、個人差も御座いますが、日本人は大体丹田に集中するのが無難なのではないかと。そういえば、自分が最初に習ったヨガの道場でもホワイトボードに”陽我”とか”溶我”などと書かれていました。因みに、ヨガの先生は意外と語呂合わせが好きで、小山先生も「余暇でヨガをやり、余技でヨギになる」なんて話てました。
しかし、前に書いた事とまるで反対や無いか、思われるかもしれませんが--まあ、言い訳させて頂けば、実践していけば常に以前とは矛盾が生じる、或いは間違いを発見していく、こういう事は日常茶飯です。我が師近藤孝洋もしょっちゅう言う事が変わってました。太極拳論の『双重即滞』などという言葉を取り上げて本に書いてますが、自分が習っとき似はその後に書かれた『双重之病』というのを教えられてましたし、肥田式強健術の佐々木了雲先生も、自分は言う事が次々変わるから弟子が飽きれて辞めて行く、と言っておられました。火の呼吸の小山先生も、以前は集中するように教えていたのが、最近は放心するように、と変わって来たと言ってました。斯様に、実技を常に追及する人はいつまでも同じところに留まっては居りません。いつまでも同じことを教えている人は、月謝だけ目当ての、体裁だけ繕った手合いだと、自分は思ってます。
こういう時に都合のいい言葉を、孔子様は残しておられます。
「君子は豹変す」