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日々雑感  作者: 晶輪寺零
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太極拳論 其の一

太極拳論--王宗岳が書いたといわれる、太極拳の教本です。一部には、王宗岳ではなく、近代になってから武式太極拳開祖武禹襄が作ったものだという説も有りますが、ここでは歴史の考証は意味有りませんからパスします。


これについても、自分の師匠近藤孝洋を始め、人によって解釈が異なります。何せ、向こうでは一人一太極といわれるくらい、それぞれ独自の解釈があるそうで、これが正しい、なんて答えを見出すのは困難でしょう。


この太極拳、という名称は易経にある太極、すなわち陰陽の理が基本になっております。易経といえば、量子論の父、ニールス・ボーアも傾倒した、古代中国の英知の結晶です。陰と陽、二極の対立によって成り立つ宇宙の理は物事の根本的原理とも言えます。自分は、水口清一氏のセミナーでチョコっと齧りました。水口先生によると、陽ではなく陰に物事の真理が隠されている、との事、師の近藤も似たような事を申しておりました。

さて、易経は陰陽二元論の原点ですが、自分はその先の解釈を別の書に求めました。陰は老子、陽は太極拳論です。というか、先に太極拳論があって、その理解を深める為に易経にも手を出したんですが、何というか、そう簡単に手に負えるような代物ではありませんね。陰が老子だったら、陽は孔子じゃないか、という意見も有るかも知れませんが、自分の感覚では、あれは陰陽ではなく、全陽な感じです。一時、論語の心得で持ってインド哲学を実践しようなどと考えていましたが、途中で挫折しました。そもそも易経に足を踏み入れたのだって、太極拳論がきっかけだし。老荘思想の陰、その陰を具体化するに当たってマーフィーの法則など、西洋のいわゆる潜在意識の研究、更に陽はウパニシャッドを参考にしています。ネットにも色々インド哲学はサイトで紹介されてますが、自分はその中でも主にイーシャー・ウパニシャッドを参考にしてます。ここに書かれたブラフマンが、いわゆる太極と同じ、この世の根源として説明されております。

まあ、色々説明すれば長くはなりますが、易経から得た自分なりの解釈は、東洋思想=陽、西洋思想=陰、ということです。勿論、これは自分なりの解釈であって、東洋思想にも陰から陽まであるし、西洋にだって両方の考えが有りますが、とりあえず手持ちの資料から出した結論です。こういうのは一旦やりだすと終わりが無くて、一神教と多神教の違いだとか、果てしなく話題が膨らんでしまうのですが、今回は太極拳論を中心に語って行きたいと存じますので。

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