柔術、柔拳、内家拳
中国拳法には、外家拳と内家拳がある事は、それほど詳しくない方でも一応ご存知だとは思います。
外家拳は要するに外剛内柔、外見は勇ましく筋骨を鍛えても、内側には柔を含む。
内家拳は内剛外柔です。如何に内家拳といったところで、武術である以上は剛の要素が無ければ使い物にならない。
こう考えるとですね、結局拳法とは剛ではないかと言う気が致します。
柔だけなら導引法や易筋経と同じです。そこに剛があるから武術であり、拳法な訳です。
最も古い内家拳とも言える陳家太極拳(解釈その他の相違から異論はあるとしても、ここは歴史の考証が目的ではないのでこのまま話を進めることとします)にしたって、陳家溝で実際に練習していた、陳氏拳法の内容は北派少林拳だったと言われています。いわゆる陳家太極拳老架式と呼ばれる套頭拳、一路二路砲捶は、元々北派少林拳の套路だったそうですが。この陳家溝に下男として入り込んだのが楊家太極拳の始祖、楊露禅ですが、彼もまた、二郎拳とか巧力拳とかいう外家拳の使い手だったそうで、更に八卦掌の創始者薫海川も羅漢拳だったと言います。
楊露禅も清朝の武官でしたが、貴族には楽な後の簡化太極拳みたいなのを教え、直接の門弟には外家拳を指導していた、何て話もございます。
つまり、若い頃は荒々しい武術に身を削って修行した武術家が、年いっても拳法を続けられるようにしたのが柔拳とか、内家拳と呼ばれるものではないかと思います。これは老人用であると同時に基本から実戦などを経たベテランを対象として居るので、初心者がこれだけまねても何の意味も無い、精々健康体操くらいが関の山、と言うことです。
小学校の四則計算や少数分数、一次方程式などを覚えていないのにいきなり微分積分や高等数学の問題を出され、記号だけ暗記しても役に立たないのと同じです。
少林寺拳法では、突きや蹴りを剛法、投げや逆技を柔法と呼びます。
これは単に柔術を基準に考えた区別であって、柔の打撃や剛の組み技だって有ってもおかしくない。
日本では素手の武術と言うと組み技主体の柔術ですが、それは何故でしょう?
簡単です。素手対素手などという事を想定していない、刀に対する無手勝流として発達したのが柔術です。刀を相手に手足を伸ばして突きや蹴りなどやってたんではアッサリ斬られてしまいます。江戸時代の武術は護身用の実用技術でした。素手による格闘技等と言うお遊びではなかったんです。寧ろ相撲がそうだった。余談ですが、江戸時代の相撲は今とはまるで違って、寝技などもあったそうです。薩摩相撲の伝書には、相手の背中に馬乗りになって膝で羽根折り固めに極める、ルチャ・リブレのストレッチ技を髣髴とさせるような高等技術も描かれています。昔のお相撲さんは身軽で、ペリーなんかが書き残している日本の記述には、相撲取りが米俵を抱えてお手玉をしたり、トンボを切って宙返りを見せたなどと書かれていますが、もしかしたら本当に、江戸時代の相撲ってルチャ・リブレみたいな空中殺法が乱れ飛んでいたのかもしれませんね。