雑草--農耕民族的思考法
雑草と言う名の草は無い、全てに名前があるのだ。
昭和天皇陛下の口を通じて世に広まった、南方熊楠先生のお言葉です。
この言葉は、まさしく狩猟民族の本能とも言うべき発言です。
雑草、と言う表現は、矢張り農耕民族の発想です。自然に生えている植物を雑草と呼び、自分に都合の良い植物だけを育てる、農耕民族の感覚が窺えます。同じように、住処を奪われて致し方無く家畜に手を出す熊や狼を憎悪する、農耕と同じ発想の牧畜文化の自己中心振りが窺えると言うものです。同じ牧畜でも、遊牧の民は狼を神の使い、自らの先祖と祭っています。モンゴルの遊牧民は、狼は家畜の伝染病を防いでくれると言うので寧ろ歓迎します。事実は、病気で弱った個体は体力が無く、狼にとっては捕まえやすい獲物だからですが、結果的に双方の利益となる為、狼による狩を容認しているのです。話が脱線しますが、狼の狩は持久型で、獲物を追い回して脱落した者を仕留めます。病気になったら体力は全体的に衰えますが、その中でも最もはっきり現れるのが持久力です。そのため、狼は結果として病気の家畜を間引くのです。自然の摂理って、合理的ですよね。
いわゆるジェノサイドなども、農耕民族のやり口です。雑草をむしるように相手を根絶やしにする事に抵抗を感じない、人為的な行為を自然より尊いとする、だから自然に生息する異人種を人為的に皆殺しにする。少なくとも我々狩猟民族からすれば、身勝手と映る行動です。自分は別に現代文明を根底から批判する、極端な自然主義者ではありませんが、農耕民族による自然破壊はもはや尋常ならざる所にまで来ているとも、感じておるわけです。
前に日本人は戦争に向いていないと書きましたが、こういう点でも戦争に不向きです。
自分中心に物事を考え、敵を根絶やしにする事をいとわない、こういう覚悟も無いのに世界を舞台に戦うなど、お笑い種です。
一時話題になった右脳、左脳という分け方で言えば、自然の声に耳を傾ける狩猟民族は受動的な右脳型、能動的な意識を万能とする農耕民族の意図的な思考は完全に左脳です。