武術とスポーツ〈戦争論〉
武術に競争は存在しない、という事を前回述べました。
武術と言うか、日本人は競争を好みません。なればこそ、”武の国”なのです。競争は嫌いですが、競技は好きです。遊戯のように技能を競い合うのは好きですが、争いは好まない。武術と言うのは、殺すためのものです。これで争いあったりしたら、どうしようもありません。収拾のつかない凄惨な有様となり、戦争以上の悲劇となります。
そういえば、日本人は戦争に向いていない、と言うタイトルの本もありました。何故向いていないかと言うと、争いだからです。現在、自衛隊員は演習世界最強なる称号を頂いております。要するに、競技になると強いのですが、競争となると別です。戦争は競争です。競技ではありません。
我が国の戦国時代などの資料を目にした外国の軍事研究家はその見事な戦術に感心するそうです。しかし、それは戦術単位の話。戦略単位となると話は変わってきます。
こういうジョークがあります。
世界最強の軍隊を作ろうと思ったら、アメリカの将軍にドイツの将校、日本兵をそろえれば無敵の軍隊になる。逆に最弱の軍隊は、中国の将軍、日本の将校、イタリア兵で決まり。或いは日本兵を日本の下士官、グルカ兵とする意見もございますが、要するに日本の強さは下士官か兵士による戦術レベル、現場の仕事と言うわけです。戦略単位では最弱と言うことです。
日本人は戦闘には向いていても、戦争には向いていないのです。
たとえば、兵糧攻め一つとっても日本の戦国時代の兵糧攻めと大陸の異民族戦争のそれを比べるとその程度は全く違います。日本では、兵糧攻めは自軍の損害を最小限にとどめると同時に、相手を殺さないための、戦闘回避の手段として用いられます。対するに、同じ戦闘回避でも異民族戦争での兵糧攻めは完全に相手を飢え死にさせるための手段であります。敵が死んじまえば戦闘はせずに済みます。秀吉が兵糧攻めを得意としたことは有名ですが、恐らく大陸でのそれと比べると問題にならないほど甘っちょろい封鎖ではなかったのでしょうか?
日露戦争のとき、旅順要塞攻撃前に降伏勧告をやって相手を余計に怒らせたという逸話もあります。日本では、城攻めの前に降伏を促すと言うのは戦国時代から続く極当たり前の、一種儀礼的な習慣なのですが異民族戦争では負けはすなわち命取り、一族皆殺しも覚悟するような事態です。日本のように、負けても首謀者とその血縁だけが腹を切れば済むと言うような、馴れ合いの戦争ごっこではありません。第一、言葉も違うような異民族同士で一々相手と儀礼的なやり取りなどする筈もありません。まさに日本の常識は世界の非常識です。これ、ジャングルのジョーシキw
孫子の兵法などを読んでも判るとおり、戦争はただやたらと強ければ勝てると言うものではない。これは寧ろ武術に通じるものがあるのですが、相手が強かったら勝負を避ける。力で勝負せず、外交なんかで痛めつける、これが中国流です。まさに、弱者の戦略です。戦闘能力では弱くとも、こういった広遠な兵法で最後には戦勝国の列に名を連ねる、したたかな外交手腕のテキストですよね。こういうところも武術的です。武術とは、弱者が作ったもの、とは良く聴く言葉です。
それに対して、アメリカ流の兵法は完全に力押しです。勝つ為には位一も二も無く力と言う考えの元に徹底的な軍事力の強化を持って勝利の方程式としております。その為なら、人種民族を選びません。第二次大戦で日本軍相手に大苦戦した米軍は、なんとそれまで有名無実であった人種差別撤廃を実行に移すっことで軍事力の強化を図りました。すなわち、黒人兵の参戦です。元々アメリカと言う国自体がよそ様の土地を強奪して作った、いわば余所者国家であるだけに、その点は抵抗が少なかったのでしょう。今では、完全な外国人にまで米国籍と引き換えに入隊させると言う、予備外人部隊とも言うべきシステムを採用しております。
どちらも日本人にはできません。
アメリカはスポーツでも、同じ方法を採っています。
スポーツすら競争です。否、スポーツこそ簡潔にカリカチュアライズされた競争そのものです。
特にオリンピックなど、完全な競争です。参加することに意義がある、と近代オリンピックの精神を説いたクーベルダン男爵の高邁な思想など今やどこ吹く風といった状態。
あまりに競争が激しくなったので、薬物使用を禁止するといった事態に陥りました。あれも度が過ぎるから問題なだけで、本来はそこまでヒステリーになる事はないと思うのですが、競争となると歯止めが利かなくなるので、結局全体的にドーピングを禁止せざるを得なくなったのです。
前々から思っていたのですが、オリンピックで順位を付けるのを廃止したらどうでしょうか?
競争は、ある程度のところまで走って最後は全員手をつないでゴールイン、一時日本の学校で運動会のときにこれをやり、物議をかもしましたが、今のような状態ではこれくらいしか異常なまでの過当競争に終止符を打つ手段は無いと思われます。
その代わり、オリンピック以外の、記録と順位を重視する大会では薬物使用だろうがなんだろうがお構いなし、徹底的に勝負と競争に己をたたきつけると言う風に区別するのです。