秘伝晶輪寺拳法入門 その6 〜点と線〜
打撃の本質はスピードである、という力学的な視点からのアプローチを今までこのエッセイで書き連ねてきましたが、そのスピードは最小限で充分、という事を今回はテーマにしたいと思います。
最小限のスピードとはどういう事か、というと、前にも書きましたとおり打撃のヒットポイントにだけ必要だと言うことです。
要するに、線ではなく点で捕らえていただきたいと言う事なのですね。
自分の師匠が『月間秘伝』と言う雑誌に、発勁についてコラムを書いておりました。
そのコラムには、発勁とはともかくスピードである、マッハの速度をイメージするように、音速とは一万分の一秒の間に33mm動く速度だ、とか書いておりました。
自分は直に習ったので、師が何を説明したいのかも判りますが、全くの門外漢の方にどれだけ伝わるか、心配です。
自分が習ったときは、まあ、実技を理解させるために色々な言葉を用いて説明していました。
「言葉って難しいなあ」
師匠のこの言葉が、印象に残っています。
発勁の、スピードに関する事では、紙一枚を突き貫くようになんていわれました。勿論、紙を一枚破れ、と言う意味じゃない。その、紙一枚分の空間を通過する時、瞬間的な最大加速を心がけろ、と言う意味です。
斯様に、突きの威力は速度にあり、という事を叩き込まれました。
中国拳法関係の書物には、発勁の時、相手の背中に打点を取るようにイメージする旨書かれたりする事もあります。その、読みかじった知識を師匠に聞いてみたことがあります。
「背中にポイント取ったら抜けてしまうやろ」
これが答えでした。
当時はそんなもんか、と思って深くは考えませんでしたが、その意味をもう少し具体的に説明すると、こうなります。
スピードを運動の実体を心得るなら、そのスピードがもっとも速くなるべき場所は、当然相手の体の内部、と言うことになります。つまり、相手の体に接触して、更に内臓のある部分まで進んでいくときに最大速度に達するべきだ、と言う事です。勿論、本当に内臓に突き刺さったりはしないのですが、少なくとも筋肉に接触してその時点で加速終了、と言うのでは打撃としては全く意味が無い。否、ぶつかるまではそれほど速くなくても不都合はありません。速度が必要なのは、コンタクト以後、という事を了承していただきたい。
英語圏ではフォロースルー、なんて言葉を用いておりますが、それは大変な誤りです。フォローではなく、当ってからが本命なのです。少なくとも、東洋の古武術、中国拳法から日本武道、古流柔術の当身に至るまで、当身は相手に当ってからが本番だと考えております。標的に当るまでに加速を終了し、当った後は押し込んでフォロー、なんて雑い考えでは、内部を破壊する打撃なんて夢のまた夢です。打撃の本質は、命中してから如何に速度を上げるか、と言うことにかかっております。
ですから、相手の背中に打点をイメージしたら最大速度に達するのが背中になり、肝心の内臓の位置する空間が助走距離になってしまうのです。
できるだけ任意の場所、目標の位置空間だけに速度を集中する、標的を二次元的にではなく三次元的に捕らえて最小で最高のスピードをヒットポイントに集約してほしい、という事です。
当るまでの空間でいくらマッハの速度を出しても、当ってから減速したのでは無意味だ、とは師の先輩が出した本に書いていた言葉ですが、実際、テレビ放送用にいくら目に見える速度を撒き散らしたところで、それだけでは何の意味も無い。まあ、お客さんを喜ばす、ショーマンシップを心がけるのなら必要でしょうが。
これが、スピードは線ではなく点として捕らえてほしいという意味です。
以前に紹介した急鍛法ですが、読み返してみたらまたしても補足しておくべきかと思える部分がございましたので付け加えておきます。
ええ、ダンベルを手に持って呼吸をためて発勁したら、最後は突きを出した姿勢のまま腕を突き出すということです。決して引き戻したりしない。
ダンベルを握って発勁終了したら、突きを出した形のまま残心の構えで静止し、呼吸が自然に排出されるのを実感する。
伸ばす筋肉と曲げる筋肉を両方とも鍛える、なんて書き方をしたら、なんだか引き戻すように捕らえられるのではないかと危惧し、付け加えました。