届け、鞠川三尉の想い
鞠川綾音三等空尉は、朝から体調が優れなかった。
頭が重く、身体がダルい。
最初は風邪かなと思い、薬を飲んだが一向によくなる兆しが無い。それどころか、むしろ悪くなっていく感じである。
その上それが原因なのか、具合が悪くなっていくにつれ、何か良からぬ胸騒ぎがして、勤務に集中出来ない。
いけないいけない、自分は航空管制官として、パイロット達の命を預かっている。こんな事ではダメ、ちゃんと集中しなきゃ。
そう自分を叱咤しても、集中力が持続しない。彼女は先輩の女性士官、舘一真峰二尉に相談した。
「綾ちゃん、頑張り屋さんだから、自覚しないうちに体調崩してるかも知れないわね。とりあえず隊長に報告して、医務室行ってらっしゃい」
「でも、他の方に迷惑が……」
煮え切らない鞠川三尉の態度に、舘一二尉が語気を強める。
「ダメよ! 頑張るのも良いけど、出来ない時は出来ないと、はっきり発言するのも任務の一つよ! ミスをしたり、倒れてからじゃ遅いの。我々管制官は、パイロット達の命を預かっているのと同時に、国防の最前線にいる防人なの、絶対にミスは許されない配置についているのよ、ちゃんと自覚なさい。また遭難者捜索訓練の時みたいなミスをしたいの? それに、あなたの妄想の一尉なら、こんな時何て言う? 」
「医務室に行って来なさい……」
「でしょう! 分かったらとっとと行く」
「はい、鞠川三尉、隊長の許可を取り、医務室に行きます」
敬礼した鞠川三尉は、答礼を受けてから回れ右をして、舘一二尉のアドバイスに従って医務室に向かうべく、上司の隊長の許可を取りに向かった。
舘一二尉は、XFー3遭難事件以前、相沢一尉に御執心で、事ある毎にアプローチしていたと聞く。
実際、あの事件当日から三日間、彼女は事件を自分の管制ミスと決めつけ、涙を流して激しく罵りの言葉を自分にぶつけ続けていた。
しかし、今ではすっかり相沢一尉の記憶が消え失せ、先進技術検証機事件も遭難者捜索訓練事故と記憶がすり替わっている。そして自分とも打ち解け、良き先輩士官となっいた。
その事実は鞠川三尉には嬉しくもあるが、とても寂しく感じられていた。
その後、鞠川三尉は医務室にて医官から、本日の勤務続行は不可能との診断を受け、その旨を上司に報告した後、早退の許可を得て官舎の個室に戻った。
そして、着替えもそこそこに、ベッドに倒れ込み、気を失うかの如く深い眠りに落ちていった。
ナイアルラートが不気味な人面鳥を倒したのとほぼ同時に、キョウのアザトースが最後の一機を粉砕した。
ナイアルラートに駆け寄ったアビィは、可愛らしい笑顔でハイタッチを交わした後、ナイアルラートを抱っこして頬擦りをする。
キョウ達三人は笑顔でその様子を確認した後、アーミティッジ枢機卿とウォーランに厳しい顔で向き直る。
「さて、落とし前をつけて貰うぜ、さそり道人」
手駒の野盗達が全て倒され、恐慌をきたすウォーランとは対照的に、アーミティッジ枢機卿はキョウの言葉に、全く怯む様子は無かった。
むしろ、開き直りとも思える余裕の態度で言葉を返す。
「落とし前? 何の事でしょう? それより自分達の心配をしたらどうですか、ネオンナイト」
「何だと!」
キョウは表情を曇らせた。
アーミティッジ枢機卿は、芝居ががった大袈裟な動作で両手を広げて高く掲げ、天を仰いで言葉を続ける。
「おお、救世の聖女、二人のマリアはお怒りだ! マリア病克服は白騎士教団の悲願、マリアの導く道、それを邪魔する貴様達を許さぬと告げられた」
ナイアルラートが異変に気がついた、自分を抱くアビィが急にガタガタ震だした。
「にゃるにゃる!?」
ナイアルラートが覗き込むと、アビィの顔は真っ青になっている。
「にゃるちゃん、にゃるちゃん、くるしい……」
そう力なく呟くと、アビィはばったり倒れてしまった。
アビィを救おうと、ナイアルラートは必死に声を張り上げて助けを呼ぶ。
「にゃる、がしゃんな~! にゃる、がしゃんな~!」
その声に応えて、ディオの親爺が駆けつける、アンナをはじめとする孤児達も、ディオの親爺の後を追う様に駆けつけ、皆、心配そうにアビィの顔を覗き込む。
「これは酷い熱だ!」
アビィの額に手を置いて、ディオの親爺が呻く様に声を絞り出す。
アンナが冷たく冷やしたタオルをアビィの額に置いて、キョウに教わった治癒魔法を試みる。
その姿を認めたアーミティッジは、嘲笑いながら罵りの言葉を吐く。
「無駄だ無駄だ、道を阻む貴様達に、二人のマリアは怒りの呪いを下された、治癒魔法なんぞするだけ無駄だ!」
アビィの元に、遅れて駆けつけたマグダラがアーミティッジを睨み、叫ぶ。
「馬鹿な事言わないで、マリア達が呪いを下すですって!」
ハスタァが悲痛に訴える。
「アーミティッジ枢機卿、もうお止め下さい! 何故我等の帰依するマリアを貶めるのですか!?」
アーミティッジは冷たい目で見下ろすと、その目付きに相応しい冷たい口調でハスタァを突き放す。
「ふん、闇の端女に同調する背教者め、白騎士こそ正義、白騎士の言葉こそ真実、そして私こそが白騎士の代弁者、その私がマリアの呪いと言えば、それはマリアの呪いなのだ! ほっほっほっほ……」
嘲笑の高笑いをするアーミティッジを、ハスタァは歯軋りして睨みつけた。
しかし、アーミティッジはハスタァの想いなど歯牙にもかけず、勝ち誇って言葉を続ける。
「その娘を助けたいか、サードマリアを僭称する愚か者よ」
マージョリーは奥歯を噛み締め、アーミティッジを睨みつける。
「そうか、助けたいか、そうだろうそうだろう。ならば、その手でネオンナイトを殺すのだ!」
その場の一同は、息をのんだ。
「ネオンナイトを殺し、白騎士への忠誠を誓い、きゃつの血でその娘を洗い清めれば、マリアの怒りも解け、助かるやも知れん。ほっほっほっほ……」
高笑いするアーミティッジの話を、震えながら聞いていたマージョリーに、その場の一同が注目する。
「罠じゃ、マージ、耳を貸してはいかん」
「マージョリー殿、悔しいが親爺さんの言う通りです、ここは……」
キョウ殿に任せるべきだ。
と、続けようとしたハスタァの言葉を遮り、マージョリーが声を絞り出す。
「キョウ……」
困り果てた表情と、悔しさの滲む苦悩の表情をごちゃ混ぜにし、マージョリーは救いを求めてキョウを見る、そして、苦しむアビィに目を向けた。
「アビィ……」
マージョリーは目を閉じて俯いた、そして、再び頭を上げてキョウを見つめた。
マージョリーの目には、先ほどの様にキョウに救いを求める表情は消えていた。
彼女の頭の中で、ある計算が成り立っていた。
どちらに転んでも、絶対に損にはならないだろう、彼女なりに考えた計算。
それは、とても悲しい計算式であった。
「……キョウ、私と戦って」
悲壮な想いを込めて、静かにマージョリーが言った。
「馬鹿な、気は確かか? マージ」
「マージョリー殿!」
「マージ様、止めて下さい! キョウ様がきっと…………」
ディオの親爺が、ハスタァが、アリシアが必死にマージョリーを止めるが、彼女の決意は固かった。
「お願い」
マージョリーは、覚悟を決めた眼差しをキョウに向けた。
他の一同も、全てが祈る様な目でキョウを見つめている。
「マスター……」
マグダラも不安気にキョウを見つめた。
キョウは全員の目を見回し、最後にマージョリーの目を見て答えた。
「分かった、マージ、受けて立とう」
キョウの答えを聞いて、安堵の笑みを浮かべたマージョリーが言った。
「ありがとう、キョウ」
しかし、この戦いには反対だったマグダラが、翻意を願う為にキョウの傍らに現れた。
「マスター、私は反対です、アーミティッジの思うつぼです、意味が……」
有りません。と続けようとしたマグダラの言葉を、キョウが遮る。
「意味なら有るよ」
キョウはマグダラに、顎でマージョリーを示す。
「見てごらん、マージは今僕に、助けてくれって泣いているんだ、女の子一人助けられないで、何がネオンナイトだ」
「マスター……」
「今、この時の為にバルザイのシミターを手に入れたんだ、僕を信じろ、マグダラ」
そう言って自分を見つめるキョウの目に、マグダラは見覚えが有った。そう、キョウが初めてアザトースで、ハスタァと戦った時、自責の念に囚われていたマグダラを解放した、あの身も心も包み込む様な優しい目だ。この目に見つめられたら、マグダラに嫌も応もない。
私はこの目を信じて今までマスターを導き、そして従って来たのだ、ならば……
「イエス、マイロード。ご存分に、マスター」
全幅の信頼をキョウに寄せ、マグダラはその場を離れた。
再び眼前に現れたマグダラに、アリシアが不安気に尋ねる。
「お姉様、キョウ様をお止めするんじゃ……」
「ええ、そのつもりだったけど、止めました」
マグダラの答えに驚いて、アリシアは質問を重ねる。
「何故? お姉様もお二人が戦う事に、反対ではないのですか!?」
「ええ、ですがマスターは私に自分を信じろと仰いました。だから私はマスターを、ネオンナイトを信じます」
マグダラは迷いなく、凛とした表情で答え、アザトースを頼もしげに見つめた。
一方そのアザトースのコクピットでは、イブン・ガジが感心した様にも、また冷やかす様にも聞こえる口調でキョウに話しかけていた。
「キョウよ、あの洞窟でも言った事じゃが、お主に望めば本当に、世界すら救って貰えそうじゃな」
「ああ、救ってやるさ。あの涙を止める為に必要なら、世界だろうと何だろうと救ってやる」
キョウは爽やかな笑みをたたえながら、あくまでも自然体のままで宣言した、そして腰に差したバルザイのシミターを鞘から抜くと、コンソール中央の、輝くトラペゾヘドロン製の黒いクリスタルに突き立てた。
シミターはクリスタルに吸い込まれる様に融合し、一体化する。
アザトースの右手に、一振りの剣が展開装備された。
ローズウッドの柄は、アザトースの手のひらにしっかりフィットする様に、スキャロップ加工が施されている。
黒く輝く鍔、そこから伸びる清らかな純白の刀身は、キョウの想いを具現化した様に一点の曇りも無い。
一度振るえば、成層圏にすら届く音速の一撃で、全ての敵を斬り裂き倒すと謳われた伝説の聖魔剣。
現在に至る全ての精霊騎士の剣技を編み出した、孤高の剣聖にして、初代ネオンナイト、ロニー・ジェイムスの剣の師匠、彼の名を冠した、精霊機甲アザトースの究極の武器、聖魔剣ブラックモアである。
アザトースとリュミエールは静かに対峙した。
「マージ、これから起こる事を恐れずに、今まで教えた事をよく思い出して対処するんだ、いいね」
「キョウ、覚悟!」
二機の精霊機甲が刃を交えた。
改めて刃を交わし、マージョリーはキョウの強さを再確認していた。
「これがキョウの最終奥義『黒い仮面舞踏会』……、流石、強い……」
虚実をおりまぜて、まるで何体にも分身しているかの様なアザトースの機動に、マージョリーは全く対応ができなかった。
まるで場違いな舞踏会に出席させられ、無様なステップを踏み続ける道化師の様に、マージョリーは自分の無力さに惨めな想いを噛み締めていた。
この想いは、キョウが生身でノーデンスのナイトゴーントを叩き伏せた時から燻っていた。
あのままアーミティッジと野盗達を駆逐出来たならば、この想いは顕在化する事もなく、愛する想い人の頼もしい力として憧憬の対象なり、また、自慢のタネへと昇華しただろう。
しかし、現実は野盗達を駆逐出来ずに土壇場まで攻め込まれ、その上アビィまでアーミティッジの奸計で苦しんでいる。
自分はキョウの足手まといでしかなく、子供達にとっても本当は邪魔な存在でしか無いのではないか? そんな想いがマージョリーの心を支配していた。
眠りについた鞠川三尉の意識は、そんなマージョリーの心の奥底で目を覚ました。
目を覚ましたというより、マージョリーの意識とリンクして、それを夢に見ていたという方が正しいのかも知れない。
いずれにしても鞠川三尉は、マージョリーに対してもどかしい想いを抱き、フラストレーションを溜めていた。
そう、マージョリーの意識にリンクしている鞠川三尉は、彼女の想いと望みを正確に理解していた。
マージョリーが、この戦いに臨むにあたり立てた計算式。それは孤児達を愛するキョウに託し、愛しいキョウの刃に討たれて死ぬ事であった。
そんな事は間違っている、誰もそんな事は望んでいない。
それは誰も幸せにしない、独りよがりのエゴだ。
それを彼女に伝える術を持たない鞠川三尉は、身悶える程のフラストレーションを抱え、二人の戦いを見つめていた。
一方のアザトースのキョウも、焦りの表情を浮かべていた。
「まだ気がつかないか!? マージ」
思わず口をついて出た愚痴に、イブン・ガジが応じる。
「無理もあるまい、儂がロニーにこれで鍛えられた時には、気がつくまで三昼夜かかったもんじゃ。それよりあのカワイコちゃん、気づかんままでよく対応しておる、底知れん素質じゃな」
「まったくだ、でもアビィの事がある、悠長に待ってはいられない。早く気づいてくれよ、マージ」
キョウは祈る様な視線で、モニターに映るリュミエールを見つめていた。
しかし、そんな鞠川三尉やキョウの必死の想いに気づく事なく、マージョリーはリュミエールのコクピットで、遺言めいた言葉を口走る。
「みんな、頼りないお姉ちゃんでゴメンね、これからはキョウがあなた達のお父さんだから、ちゃんと言う事を聞いて、良い子にするのよ」
『何言ってるのよ、馬鹿な事言わないで!』
鞠川三尉が、必死にマージョリーの過ちを糺そうと訴えかける。
「キョウ、足手まといな弟子でごめんなさい。アビィを、子供達をお願い」
『待ちなさい! 貴方は今何を口走っているのか、分かっているの!?』
アザトースに抵抗する事を止めたマージョリーは、最期の望みをそっと呟く。
「こんな私が生きてたって、みんなの邪魔になるだけ。キョウ、せめて貴方の手で……」
『どうしてそんな事考えるの!? 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!』
鞠川三尉の心の叫びが、遂にマージョリーの心に届いた。
「馬鹿よ! あんたは!」