初めての想い
「ごめんなさい、本当に悪かったわ」
マージョリーはテーブルに両手をつき、額を擦り付けてキョウに謝罪した。
「儂からも謝る、マージは子供達の事となると、見境がつかなくなるんじゃ。子供思いの優しさに免じて、許してやってくれ」
ディオの親爺が、マージョリーをフォローする。
「キョウ殿、本当に済まない。私がもっと正確に情報を掴んでから報告していれば、こんな事には、本当に申し訳ない」
ハスタァも頭を下げる。
「だから、もう良いって、気にしてないから」
キョウは面倒臭そうに答える、そこに店の給仕係が、新たに料理の皿を運んできた。
「お待たせしました」
給仕係は、料理の盛られた皿を、それぞれマージョリー、ディオの親爺、ハスタァの前に置くと、三人は複雑な表情でその皿を見つめる。
「ごゆっくりどうぞ」
「ああ、ありがとう」
会釈をして去る給仕係を、キョウは笑顔で礼を言って見送った。
マージョリー勢い良く立ち上がり、左手をテーブルに叩きつけ、右拳を握りしめ、真っ赤な顔でキョウを睨みつける。
「気にして無いなら、これは一体何の罰ゲームよ!」
マージョリーは、たった今目の前に置かれた料理を指差し、キョウに食って掛かる。
「どういたしまして。冷めないうちに、たんとお食べ」
キョウは飄々と答える。
「あんたねぇ……」
三人の前に運ばれたのは、アビィと同じキッズランチプレートだった。
「この歳になって、こんな物食べられる訳無いでしょう!」
料理に立てられた旗を指差し、マージョリーはキョウに迫った。
「儂もこの歳になって、こういう物を奢られても……」
「私も栄光ある白騎士教団の戦闘僧伽として、このような食べ物を口にするのは……」
ディオの親爺とハスタァも、顔を見合わせてため息をつく。
キョウは呆れた表情で、躊躇う三人を見つめると、給仕係を呼び、もう一枚キッズランチプレートをオーダーした。そして猛烈な勢いで、自分の食べかけの料理を胃の府に送り込みながら、さっき迄のアビィとのやり取り、笑う門には福来たる、を懇切丁寧に訥々と説明する。
そうしているうちに空いた皿が下げられ、キョウの前にキッズランチプレートが静かに置かれた。
「そんなに嫌なら、この俺が手本を見せてやる!」
三人は、料理に立てられた旗の向こう側に『漢』を見た。
キョウは、キッズランチプレートにかぶりつく、そしてアビィに優しく微笑みかける。
「美味しいよ、お兄ちゃん嬉しいな」
アビィは嬉しそうにキョウを見上げた。
「さぁ、君ももっとおあがり」
キョウが促すと、アビィは食事を再開した。
二人が「美味しいね」と笑い合い、食事をする様子を見て、まずディオの親爺がフォークを手に取った。
「うむ、そういう事ならば、儂も食べるのはやぶさかでは無いぞ」
ひとくち口にして、アビィに微笑みかける。
「うむ、旨いぞ、お爺ちゃんも嬉しいな」
アビィは目を輝かせる。
「いたいけな子供の夢を叶えるのは、白騎士教団戦闘僧伽の重要な務め、私も喜んでいただこうではないか」
意を決して料理を口にするハスタァを、嬉しそうにアビィは仰ぐ。
そして、四人の視線がマージョリーに注がれた。
「なっ…何よ、食べるわよ! アビィの為だもん、皿までだって食べてやるわよ!」
真っ赤な顔で、猛烈にかっ込むマージョリーに、アビィは大輪のひまわりの笑顔を浮かべた。テーブルが明るい雰囲気に包まれ、皆の心が和む。
「ほらね」
「うん」
キョウはアビィに優しい視線を送った、アビィは嬉しそうにキョウを見上げる。
マージョリーはアビィを見つめ、本当にこの子が無事で良かったと安堵した。そして、改めて礼を言おうとキョウに視線を移すと、マージョリーの視線に気がついたキョウは彼女の瞳を覗き込む。キョウと目が合った瞬間、マージョリーの心を今まで知らなかった感覚が鷲掴みにした。
甘くて苦しい、名状しがたい痛みが、心地よく胸を貫いた。顔が熱い、さっきとは違う理由で顔が真っ赤に染まって行くのを自覚する。
何、これ? 私……、変。
湧き上がる未知の感情に翻弄され、マージョリーの胸の鼓動が激しく高鳴る。
そんな彼女の内心など知る由もなく、キョウとアビィは屈託の無い視線をマージョリーに向けていた。キョウの視線を意識すると、未知の感情で心がはち切れそうになる。マージョリーは、努めてアビィだけ見ようと試みる。
「マージおねえちゃん、おいしい?」
二人の視線が、マージョリーの顔をじっと覗き込む。
マージョリーは戸惑う、ダメ、このままだと私、爆発しちゃう。
「おっ、美味しいわよ! もっちろ~ん! あは、あはははは」
マージョリーは左手でキョウの顔を強引に背けて視線を逸らし、アビィの顔だけを見つめて答えた。
「おい、何だこの仕打ちは?」
首に力を入れて、キョウは正面を向こうとするが、マージョリーは更に左手に力を入れてそれを拒む。
「こっち見ないで!」
「何でだよ」
「いいから見ないで!」
「だから何で?」
「うるさ~い、見ないでったら見ないで!」
同席する三人は、三者三様の表情で、二人のやり取りを見つめている。
ハスタァは、おろおろと戸惑い。
ディオの親爺は、何かを得心した様に微笑んで頷き。
アビィは、大好きなマージおねえちゃんが、優しいキョウおにいちゃんと仲良くなったのが嬉しかった。
キョウはアビィの表情を認めると、首の力を抜き、おどけた表情でコルナを贈った。
コルナを受けたアビィは、可愛らしい声をあげて笑った。
キョウも可笑しそうに笑う。
ディオの親爺もつられて笑いだし、戸惑っていたハスタァもが笑い出した。
突然笑い出した四人に、一瞬状況が読めずにいたマージョリーも笑い出した。
幸せな空間が、五人の囲むテーブルを包む。
ああ、こんな時間がいつまでも続けばいいな……。
マージョリーは思った。
キョウ……、と言ったっけ。
ディオの親爺さんや、ハスタァの信頼も厚い。
そして何よりも、人見知りの激しいアビィを一発でなつかせた。彼ならば、他の孤児達もすぐに打ち解けるだろう。
後事を託して孤児院を任せるには、うってつけの人物に思える。
もしも彼がそれを受け入れてくれたら、私は何の不安も無く旅立って逝ける。
そうしたら、私は残りの二年余りは、彼の隣で幸せに……
マージョリーの心に、普通の娘としての淡い想いが芽生えた頃、シュブ=ニグラス亭の扉がまたしても乱暴に開けられた。
「おい、無事に見つかったって本当か!」
駆け込んで来たノーデンスが、ハスタァの姿を認めると、五人の囲むテーブルに、ずかずかと大股で近づく。
「何で俺に知らせん! 何にせよ無事で良かったが、俺は今まで街中を……」
と、まくし立てた所で、キョウの存在に気付く。
「おのれ、貴様!」
ノーデンスの舌鋒の矛先がキョウに向いた瞬間、次の言葉を遮るべくハスタァとディオの親爺が拳を構えて立ち上がる。
しかし、二人の動きより一瞬早く、ノーデンスの口からその言葉は放たれた。
「ネオンナイト、俺と戦え!」
言い終わった瞬間、二人の拳がノーデンスの顔面を捉え、撃沈する。
「ビヤーキー隊! こいつをギルドの外に捨ててこい!」
ハスタァの命に、控えていたビヤーキー隊がわらわらと飛び出し、例の「いあ! いあ! ハスタァ」の掛け声を上げて、その指示に忠実に従った。
しかし、マージョリーにとっては、何もかも手遅れだった。
「えっ!」
ノーデンスの言葉は、マージョリーの胸の中に芽生えた淡い想いを粉砕すると同時に、大きな喪失感を彼女に与えた。それは鉛の様に冷たく、重苦しく彼女の心にのし掛かる。
「あなたが……ネオンナイト……」
孤児達の未来の為、必ず倒すと誓った男が、まさか目の前の優男だったとは。
マージョリーの落胆は、筆舌し難い程大きな物だった。
しかし、彼女は苦い薬を無理矢理飲み込む様に、それらの想いを胸の奥深くに嚥下し、覚悟を決めて優男に話しかける。
「キョウ……さん」
マージョリーはキョウの手首を掴み、あれほど合わせるのを拒んでいた目を合わせた。
「キョウでいいよ、その代わり俺もマージって呼んでいいかい?」
相変わらずの優男の屈託の無い瞳に、胸をかきむしられる思いのマージョリーだったが、必死にそれを捩じ伏せて彼女は言葉を紡ぐ。
「ええ、いいわ。キョウ、あなた、今夜何か予定はある?」
「いや、別に」
マージョリーは、掴む手に力を込める。
「この子を寝かしつけた後で、訪ねても良いかしら? 大事な話が有るの」
「構わないけど、今ここでじゃ駄目なのかい? マージ」
マージョリーは口に出して答える代わりに、強い意志を込めた目でキョウの目を見つめる。
「分かった、ここの二階の突き当たりに部屋を取っている。いつでも来ると良い」
そう言って、食事を終えたキョウは立ち上がった。
マージョリーは、キョウの手首を掴んだ手の力を僅かに緩める。
その手の中を滑り、キョウの手がするりと抜けて行くのと同時に、自分の心から何か大事な物が抜けて行く様な気がした。
僅かに触れた、キョウの掌の感触が、マージョリーの心を激しく震わせる。
ああ、何て温かい手!
「じゃ、また」
キョウは皆に軽く別れの会釈をした。一瞬合ったキョウの目が、またしてもマージョリーの心を激しく揺さぶる。
ああ、何て優しい目!
マージョリーはキョウの背中を見送りながら、無言で激しく問いかけた。
何故!? どうして貴方がネオンナイトなの!?




