山羊魔人《バフォメット》
おしゃれなヤギさんと遊ぶよ。
「早まったのかもしれないな」
幼女は後悔の言葉を漏らした。
「さくらももこ、どこでもドア、コレはおそらく……」
そこまで言ったところで、幼女は目を閉じ頭を振る、すべてはもう遅いのだ。
足もとにはかつてウォーズマンだったものが横たわっている。黒い身体は赤に染まり、頭部は行方不明になっている。
彼はもう動かない、言葉を話すこともない。
幼女は「すまない」と小さく呟き、彼の身体を優しく抱き起こした。そしておもむろに、その辺にあった石ころを首の上にのっけてみた。
「コーホー……」
「い、生き返った!」
そう驚く声も、その前の「コーホー」も、どちらも可愛らしい幼女ボイス。つまりこれは、幼女による一人芝居、空しいだけのお人形遊び。
「話くらい、聞いてやれば良かったかな」
後悔の源にあるのは孤独と人恋しさ、それに幼女も気づいている。案外、元の自分は寂しがり屋だったのだろうか、なんてことを考えつつ、人形に「朝だよー」と囁いてみるが、やはり彼は動かない。
「これを作ったのは、きっとアニメとかが好きな人だ」
所謂オタク、引きこもり。
幼女の頭のなかにメガネで小太りのシャイな男性の姿が思い浮かぶ。
「おそらくこれは、外部と接触するためのコミュニケーションツール、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース」
恋人も友人もなく、家族からも見放された男。
彼が暗い自室でせっせと組み上げた、ウォーズマン型のお喋り人形。あの姿にした理由は、強い超人の姿を真似ることで気弱な自分を隠そうとしたのだろう。
あの人形は彼が長い時間をかけて作り上げた己の分身、腹話術氏にとっての「チャーリー・マッカーシー人形」。
妄想は今、翼を広げ、羽ばたこうとしていた。
「謎は全て解けた」
孤独な彼は、あれを使って誰かとコミュニケーションを取ろうとしたのだ。そして森のなかでお喋りできそうな女子を見つけて、浮かれ気分で話しかけてきたのだ。
浮かれていたからあんな酷いモノマネを――
幼女はそう考え、そして同時に矛盾に気づく。
「確かに女子、しかし私は幼女、しかも全裸の……」
その気づきは光となって、闇の中に隠された真相を暴き出した。
「これは……声かけ事案!」
真実に気づき、打ちのめされた幼女は地面にガクリと膝をついた。
引きこもりから立ち直ろうとする、ピュアな小太りなど存在しなかったのだ。そこにいたのは、裸の幼女にイタズラしようとするただの変態だったのだ。ならば彼の死は必然、「事案・即・斬」それは、社会が定めた鉄の掟なのだから。
「なんてな」
ひとしきり妄想遊びを愉しんだあとで幼女は思う。あれはおそらく識別だったのだろうと。
「つまり、私の他にもいるのだな」
そして幼女は歩き出す。鍋がわりにしていた亀の甲羅を背負い、カッパのような格好で、外の世界に思いを馳せながら。
「……サツイノハドウヲカンジル」
幼女がカッパ化する少し前、森の一角がリング、あるいは裁判所へと変質していた狂気の時間、その修羅の領域に一匹の魔物が足を踏み入れようとしていた。
彼の名は山羊魔人――人の身体に山羊の顔、門歯でお肉を噛み千切り、臼歯でお肉をすりつぶす、草食面してお肉が好きな、草食界の異端児、山羊の修羅こと山羊魔人である。
そして山羊魔人は今、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロ見回している。
彼の目指す方向からは、木々の折れる音や岩か何かが砕ける音、そして屈強なボディ同士がぶつかり合うような、何だかちょっとドキドキする音が聞こえてきている。
「マジコワイ……」
山羊魔人は、凶悪な魔物同士の争いを想像して身を竦める。
「カレラハ、サワルモノミナキズツケル」
争い、殺し、喰らう。彼以外の魔物は皆、尖ったナイフのような生き方をしていた。
「チガウイキカタモアルノニ……」
横長の瞳孔に憂いを滲ませ、山羊魔人は殺伐とした世界を嘆く。
ほとんどの魔物が戦いや殺戮に喜びを見出すなか、彼は一人、まったく別の価値観を手に入れていた。
きっかけはそう、散歩中に拾った赤い布きれ。
その日彼は、いつものように散歩をして、いつものようにウンコを漏らした。
草食でありながら肉を食う、身体構造に反抗するその行為は、彼に日常的な下痢をもたらしていた。
せめて反芻だけでもすれば――彼の胃腸を案ずる者たちは、そんな言葉を口にした。しかし、一度もどしたモノを食う、そのやり方を彼はどうにも受け入れられなかったのだ。
わざわざ戻すくらいなら、よく噛んで食べればいい。そんな思いも彼にはあった。犬歯はないけど、山羊には立派な臼歯がある、かたいお肉もこいつでちゃんとすり潰せるのだから。
何にせよ、その日も彼はウンコを漏らした。いつも以上の軟便だったと記憶している。お尻を拭くための葉っぱが多く必要だった。
だからそれは、きっと運命だったのだと思う。
お肉が好きだったこと、ウンコを漏らしたこと、いつもの葉っぱが足らなくなって、屈んだままで高速移動を試みたこと。
小さな奇跡が積み重なって、彼はその日それと出会った。
鮮烈な赤、お母さんの体毛よりも柔らかい。
布――それは、人間が生み出した奇跡。
彼は本能の赴くままにそれを掴んだ。
まずはお尻を拭いてみる、思わず「ヴェェェ……」と声が漏れた。そして今度はおもむろにそれを首に巻きつけてみた。
ヤギに電流走る――!
あの衝撃と臭いを、彼は生涯忘れないだろう。
「コレガ、オシャレ……」
彼は知ったのだ。世界にはこんなに素敵なものがあるということを。
「ユコウ、スベテハオシャレノタメダ」
山羊魔人は怖れの感情を押さえ込み、目的地目指して歩き始める。
彼にはたとえ命の危険を冒してでも為さねばならないことがあった。
あの美しい泉で、今日のコーディネートを確認する。オシャレ道を行く者として、それをサボタージュすることは許されないのだ。
「……シズカ二ナッタ」
泉の近くまで来たところで音はおさまり、辺りは静けさを取り戻した。山羊魔人は安堵し、山羊面に笑みを浮かべる。
「ヨシ、イソゴウ。フフ、タノシミダナ」
浮かれる彼は、今日のファッションに大きな自信があった。
まず大きさの合っていないピチピチのコート、これはかろうじて乳首のみを隠している
左右で色の違う靴下は、流行りの「ネガティブ履き」を意識したものだ。
顔がうっ血するほど締め付けているネックレスもオシャレに対する意識の高さを表していてグッド。
そして忘れてはいけないのがパンツ、これは今回あえて履かないことにした。
もちろん履き忘れたわけでもオシャレを怠けた訳でもない。むき出しの下半身で、オスのワイルドさをアピールしようという狙いなのだ。
「フフ、アイツラ、キットオドロクゾ」
山羊魔人は最近知り合ったオシャレフレンズ、四色猿たちの驚く顔を想像してほくそ笑む。
「モウ、マチキレナイヨ!」
一刻も早くオシャレな姿を確認したい。山羊魔人は興奮状態に陥り、泉に向かって全速力で走りだした。
その時である。
ギリシャ文字のシータのような瞳が地面に転がる赤い物体を捉えた。
「アレハ、ヨン・ショクザル」
それは、ペ・ヨンジュンでも、チョー・ヨンピルでもなかった。そこには、ヨン・ショクザルが転がっていた。赤一色にその身を染めて。
「イッタイダレガ……」
想像が、さっきまでの音と重なった。
あれはヨン・ショクザルを殺す音だったのか。山羊魔人はそう考え、今自分が危険な場所にいることに気付く。
「ニ、ニゲナイト」
ファッションチェックに未練を残しつつも、山羊魔人はその場を離れようとした。そんな彼の背後から死神の囁きのような冷たい声が響いた。
「ダッフル山羊……」
ざわ……
ヤギに電流走る――!
異様な気配を感じ後ろを振り返ると、そこには小さな白い何かが立っていた。
「ニンゲン……?」
山羊魔人は首を傾げ、その生物を見た。
人間の子供らしいそれは、服を着ていなかった。正確には裸に亀の甲羅だけを背負っていたのだ。
それを見た山羊魔人の顔に侮蔑と嘲笑が浮かぶ。
ああ、なんてダサいんだ。
「ハア、ダサイ、ダサスギル。ハダカニコウラ、ハダカニカメ。裸に亀の甲羅なんてセンスなさ過ぎ、変態じゃあるまいし……」
そしてコートと靴下だけの変態は、上から目線のファッションチェックを始める。これまでにないほどの素晴らしい発音で。
「あのねぇ、ガール。個性的なのはいいけど、人を不快にさせちゃいけないよ。独りよがりのオシャレは罪なの、わかる? それとあなた、そのファッションにちゃんと誇りを持ってる? 例えば今日、死んでしまうとして、その甲羅が最期の衣装で後悔はないの?」
亀っ娘の糞ダサファッションにダメ出ししていると、視界に白い閃光が走った。そして亀っ娘の姿が突如消失する。
「いったい……ドン――コニシッ!」
激痛とともに、山羊魔人は弾け飛んだ。
「イタイ……イタスギィ、オスギィィィ」
気がつけば、山羊魔人は亀娘に踏みつけられていた。見下ろす青い瞳からは、強い怒りと殺意が感じられる。
なぜだ――痛みと恐怖のなか山羊魔人は思った。親切にもファッションアドバイスをした自分に、このダサい子供はなぜこんなことをするのか。
「コレヲ……アゲルカラユルシ――」
靴下に手を伸ばし、そこまで言いかけたところで、山羊魔人は咄嗟に口を噤んだ。そして、笑みを浮かべて言い放つ。
オシャレ道とは、死ぬことと見つけたり、と。
「ククク……」
ダサい子供は、山羊魔人の上にのしかかり不穏な笑みを見せる。小さな身体に見合わぬ凄まじい力に山羊魔人は動くことが出来ない。
「ヤハリ、どこから見てもダサイな!」
強気な言葉とは裏腹に、山羊魔人の声は震えていた。
「私は、自分のファッションに誇りをもっている!」
叫ぶ彼の眼前に、ダサい子供の小さな拳が迫る。
「故に! 今、このオシャレスタイルで死ぬことに後悔はない!」
言い終わると同時に、山羊魔人の顔面に白いおててがめり込んだ。
視界が赤く染まり、薄れていく意識のなかで彼は思った。
たとえナウい靴下をあげたとしても、このダサい子供に価値は分かるまい。ならば、パーフェクトなオシャレスタイルのまま死ぬべきだ。
「我が……オシャレ…人生に……一片の……悔いなし……」
その言葉を最期に、山羊魔人の意識は途切れた。
「きたないぜ、ヌルリと……」
幼女は、血まみれの手をヤギの靴下で拭った。コートを脱がされ靴下を手ぬぐい代わりにされたヤギは、片方の靴下だけを履いた状態で放置されている。
「……うっ、手がクサイ!」
当然の結果に憤慨する幼女だが、せっかく手に入れた服を血で汚す訳にもいかないと、臭い靴下で念入りにおててを拭きつづけている。
「なんだったんだあれは、あまりにも変態的過ぎてつい殺しちゃったけども」
ピッチピチのコートを着たちん○丸出しのヤギ男。ウォーズマンなど比較にならない案件である。
「まあいい、それより服だ」
色は暗めのネイビー、大きめのフードに、生地は厚手のメルトン生地、フロントにはトグル。名前の由来はベルギーの地方名らしい。
「うわあ、ダッフルコートじゃん」
幼女の声は感動に満ちていた。
「フフ、悪くない」
幼女はコートを羽織るとご機嫌な様子でポーズを決める。ダボダボのコートを着て微笑む姿は何とも言えず可愛らしかった。
「よし、貴様には代わりにこれをやろう。礼はいいぞ、交換だからな!」
そう言うと幼女は、ヤギの股間に亀の甲羅を被せた。
「クク、まるで白痴だな……」
幼女が笑う。
その日、彼女は服を手に入れた。
色は暗めのネイビー、大きめのフードに、生地は厚手のメルトン生地、フロントにはトグル。
そのダッフルコートは血の匂いがした。
ヤギが死んだよ。