第11話 異界の街 《ソドム》 前編
街につくよ
樹海を抜け一晩の野営ののち、幼女一行はシリングタウンに向けて出発した。
よりキチガイ成分が多い方のチンピラ――ジェンソンに抱っこされた幼女は寝ぼけ眼をコシコシ擦り、遠ざかってゆく生まれ故郷を少し切なげに眺めている。
「女神に見放された、はぐれ者たちの楽園か……」
果てなく広がる樹々の海。覆い被さる瘴気の傘が降り注ぐ日差しを遮っていた。あの禍々しい黒雲の下には闇に生まれし呪い子たちが蠢いている。平穏を嫌い闘争のなかにしか喜びを見出せない歪な怪物たち。そんな彼らの性質を女神は厭忌し、邪悪なものだと蔑んだ。
器の小さい神様だこと。
狭量な女神を幼女は嘲笑う。
平和を愛せと女神は言うが、他者を愛せと女神は言うが、それが出来ない者もあるのだ。
生まれ持った性質を変えることなど出来はしない。殺し喰らうが魔のさだめ、それが魔の在り方だ。自ら神を名乗った者が、種の多様性さえ認められないなんて、不寛容にもほどがある。
つまらん女だな。
この世界に生まれ落ち、過ごした時間はごく僅か、そんな幼女は当然ながら世界の多くを知りはしない。しかし幼女は女神のことを「つまらん女」と断言する。それはもちろん根拠のない言いがかり、などではない。
世界のことは知らずとも、幼女は女神を知っているのだ。
『ハルートチャン、先ほど女神の名を呼んでいたようですが、お祈りでもしていたのですか』
そう問いかけるジェンソンの瞳には怪しい光が宿っている。その狂気の根幹にあるのは、おそらく信仰なのだろう。
「……あれも、お前たちにとっては良い神様なんだろうな」
狂人の腕のなか、幼女は女神のことを思う。
女神ファルティナ――彼女は確かに、神と呼ばれるに相応しい力を持っている。そして人間を心から愛してもいる。しかし問題は、その愛が人間にしか向けられていないということだ。
クソッタレの偏愛主義者め。
人間を愛し、人間を庇護する、人間のための女神。今、この世界にある唯一の神は、人間以外を愛さない。
ならば、人ならざる者たちはいったい何に祈ればいいのか。
視界の彼方には、女神の名を持つ聖山が見える。瘴気の雲の上、その頂きだけが眩い光に包まれていた。
「くたばれ女神。くたばれ愛と平和」
その光に向かって、幼女は小さな中指を立てた。
心地良い野風が、手直しを終えたコートをフワリとはためかせる。
色は暗めのネイビー、大きめのフードに、生地は厚手のメルトン生地、フロントにはトグル。
ダッフルコートである。
彼女がオギャアした御山も、ベイビー時代を過ごした森も、今はもう遠い彼方。来たるべき異世界文明との邂逅を目前にして、ゴキゲンな幼女は鼻歌なんかを口ずさんでいる。
『ハルートチャン、もしやそれは賛美歌でしょうか?』
そう尋ねるのはジェンソン、言わずと知れたキチガイである。
「これ? ペガ○ス幻想だよ、ペ○サス幻想」
そう答えるのはハルートちゃん、これまたイカれた幼女である。
『なるほど、そういった名前の賛美歌なのですね。オフェンシブな曲調がハルートチャンらしくて素敵です』
「これ歌うとさ、小宇宙がめっちゃ燃えるんだよね」
『コスモ……またしても神聖な響き。ではその賛美歌、私も一緒に歌わせていただきましょう』
そして、イカれた二人の合唱が始まった。そのノリに取り残されたもう一人の男は、「セイッセイヤってなんだよ」とうんざりした様子でため息をついている。
『……もうすぐ街が見えてくるはずだ。入る前に打ち合わせをしたいから、いったんソレをやめてくれ』
「オウイェー……」
『まず、街に着い――』
「セイッセイヤッ!(チュプシーー)」
『やめろ!』
幼女と弟子は怒られた。
『なんだよセイッセイヤって! 誰だよセイッセイヤッて!』
「……ペガサス座の聖闘士ですけど」
ほっぺを膨らまし不貞腐れ気味に答える幼女。たとえどんなに叱られようとも、「ごめんなさい」なんて言ったりしない。謝るくらいなら相手を殺める、それが幼女の生き方だ。
『頼むから真面目に聞いてくれ。俺の……俺とミカの人生がかかってるんだ。勝手なのはわかってるけど、もう少し、こう、真剣に、せめて変な歌とかは歌わないでさ……」
さっきまでプンスカ怒っていたアランは、今は落ち込み、何やらブツブツ呟いている。
躁うつ病かな?
乱高下する彼の精神状態に幼女はかすかな不安を覚える。隣では狂人が、「メタボ! コスモ!」と叫びながら、跪いたり、立ち上がったり、奇妙な動きを繰り返している。
「コイツまでああなったら……」
不吉な未来が脳裏をよぎる。キチガイ二人を幼児が介護、老老介護も真っ青の、まさにこの世の地獄である。
仕方ない、少し話を聞いてやるか。
ジェンソンは真正……というか、もうどうしようもないので放置するしかないが、アランはまだ何とかなりそうだ。
二人の精神状態を素早く分析した幼女カウンセラーは、ジェンソンの寛解を早々に諦め、アランだけでも救済せねばと、カウンセリングを開始する。
「なあ、悩みがあるなら言ってみろよ。どうせあれだろ? 仕事がないとかだろ? 『中卒だから仕事貰われへんのや』とか言って、尖りながら震える文字で手紙書いたりしてんだろ?」
『ハルート、やっと真面目に話を聞く気になってくれ――』
「ふぁいとっ!」
『……よし、早速段取りを――』
「ふぁいとっ!」
『あああああ! うるさい! もう! なんで話聞かないんだよ!』
ありゃ、悪化してもうた。
そういえば、うつ病の人に「ふぁいと」は禁句と聞いたことがある。それにカウンセリングの基本はクライアントの話を聞くことだ。己のミスに気づいた幼女カウンセラーは、話を聞く用意があることを示すため、耳に手を当て「聞きますよ」のポーズをとった。
「高齢者問題はぁ……グズッ……我が県のみッハッハッハアアアアァン! 我が県のみッハァー! グズッ……我が県のみならずゥー……世の中を……うっ……ガエダイ!」
そしてポーズのついでに、野々村議員のモノマネも披露してみる。
『え……なに?』
「……いや、べつに、何でもないから。それより話したいことあるんなら話せば?」
『えーと、その、さっきはすまないな、怒鳴ったりして。ちょっと余裕がなくなってたみたいでさ。自分のことだけならともかく、ミカのことが心配で……ああ、ミカって言うのは――』
黙り込んだ幼女が神妙な顔をしているのは、野々村議員のモノマネがちょっぴり恥ずかしかったからだ。その様子を真剣さと勘違いしたのか、アランは調子づいた様子でヘラヘラペラペラ喋りだした。
あ、躁状態になった。
饒舌になったアランはフレンドリーなALT(外国語指導助手)みたいでひどくウザい。早口で喋る彼のにやけ面を見るたびに、幼女の不快指数は天井知らずにあがってゆく。
「それで俺とミカが初めて会ったのは……」
話長いな、このおしゃべり大便野郎。
アランが最初の一言、「えーと」を繰り出した瞬間から、幼女のストレスは溜まりつづけている。カウンセラーとしての責任、あるいは義務感、そんなものを頼りにここまで頑張ってきたが、もはや我慢の限界である。
うん、もう、無理。
ストレスがオーバーフローを起こし、頭がムッーとなった幼女は、ここで傾聴スキル――「無難な相槌」を発動する。
このスキルは、SPを1.3㌨P消費することで使用出来るASで、つまらない話を聞き流しつつも相手を嫌な気分にさせない、というとてもつまらない効果を持っている。スキル発動中は三つの単純相槌――「なるほど!」、「そうなんですね!」、「初めて聞きました!」を繰り返すことしか出来なくなり、その効果は30分くらい持続する。なお発動した時点で、忘れんぼペナルティ(会話中の記憶を8割消失)が発生することもある。
『ちょっと前置きが長くなったな。じゃあ気を取り直して段取りを話すぞ。まず、シリングタウンに着いたらジェンソン、お前がナイジェルをおびきだしてくれ』
『ああ、わかった。それでハルートチャンにナイジェルを断罪してもらうんだな』
「なるほど!」
『まあ大雑把に言うとそうだな。しかしジェンソン、ナイジェルを告発すればお前もただではすまない……それでもいいのか?』
『構わない。たとえ死罪になったとしても、俺は信仰の力で生まれ変わる。ハルートチャンの忠実なる信徒、下僕ベイビーとしてな』
『……下僕ベイビーか、そんなのが生まれたら、親はどんな気持ちだろうな』
『歓喜するに違いない』
「そうなんですね!」
『ハルート……こんなことに巻き込んで、本当にすまないと思っている。この恩は一生かかっても必ず返す。だから、今だけでいい、俺に力を貸してくれ』
「初めて聞きました!」
ここでスキルの効果が……というか、幼女は色々どうでもよくなってきた。
「……正直に言うとだな、私はお前たちが何を喋っているのかまったくさっぱりわからない。だが、これだけは言っておこう。私はお前たちのような頭のおかしい人間と街なかで行動をともにするつもりはない。特にジェンソン、貴様は明らかに異常だ。『メタボ、メタボ』と叫んだかと思えば、急に祈りだしたりして、不安定にもほどがあるぞ。このキチガイめ」
『なあジェンソン。これ、ハルートはオッケーってことでいいんだよな』
『ああ、ハルートチャンは『メタボ』と仰られた。それはつまり、任せておけということだ』
『そうか、ありがとうハルート。恩にきるよ』
「とにかく、街に着いたら話しかけるなよ。お前らは存在自体が恥なんだから」
意思の疎通も出来ないままに、彼らは再び歩き始める。ヒゲのバッドガイを倒すため、ハルートチャンへの信仰を示すため、そして異世界タウンを観光するために。
「ヒュー! 異世界ヒュー!」
ファンタジックな光景に、幼女は浮かれた歓声をあげた。
街の入り口では衛兵に身分を問われ、人形の振りをする羽目になった。最初はずいぶんと怪しまれたが、呼吸を止め、体温を下げ、心臓を止めることで何とかクリア出来た。死体と間違えられなかったのは、「わたしハルートちゃん、わたしハルートちゃん」と幼女が狂ったように喋りつづけたからだ。
「ほえー、ハウステンボスみたい」
幅の広い滑らな石畳の道を、荷馬車が軽快に走る。レンガ造りの町並みは整然としていて、フィリピンのトンド地区みたいなところを想像していた幼女は、そのお洒落な雰囲気に、ちょっぴり度肝を抜かれている。
「意外、意外、洒落た街じゃん」
街の入り口からつづく通りには、品の良いお店や景気良さげな屋台なんかが並んでいる。道行く人々は老若男女様々だが、ケモ耳や耳長といった、異世界定番種族はいないようだ。
『どうだハルート、なかなか良い街だろう』
「…………つーん」
アランのドヤ顔から、彼が故郷自慢をしているだろうことは容易く想像できた。しかし幼女は返事をしない。彼女にとって今彼は、偶々近くを歩いているだけの名前も知らない赤の他人なのだ。
「いやあ、一人旅は気楽でいいなあ」
このわざとらしい呟きも、世間体を気にするがゆえの小芝居のひとつ。幼女の言葉を解する者が街のなかにいるとは思わないが、醸し出す雰囲気というのは伝わるものだ。親しみ、友情、腐れ縁、目には見えない人同士のつながりを他者は敏感に察知する。うかつに返事でもしようものなら、「似てない親子ね、それとも年の離れた兄妹かしら?」と知らないうちに身内認定されかねない。
そうなったら終いだ。
彼らはこの街で、何かよからぬことを為そうとしてる。素知らぬ顔をしているが、幼女はそれに気づいている。言葉が通じないため詳細は掴めていないが、アランの思いつめた表情からするに、詐欺や空き巣というような軽いものではないのだろう。
テロかあるいは殺人か、何にせよ血が流れる。
だからこそさっきは人形の振りをしたのだ。一言ジェンソンあたりを「パパ!」と呼べば済む話だったのに。
「お尋ね者の身内になどなってたまるか……」
幼女は小声で呟き、コートのポッケから小さめの石を取り出した。そして彼方に見える鐘塔らしき建物に狙いを定める。
私の為に、鐘よ鳴れ!
親指に弾きだされた石ころが、風を切り裂き一直線に飛ぶ。突然鳴り響いた鐘の音に、群衆は意識を向けさせられる。
「バイバイ、チンピラーズ」
その隙に幼女はコートのフードを被り、素早くわき道へと入った。
「達者でな……」
囁く言葉は街の喧騒にかき消される。そして異界の街に、浮かれた幼女が解き放たれた。
別れがあれば出会いもあるよ