表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/145

5-4

 クラウスからもらった小箱がない。


 茶会の翌日。カミラは自分の部屋に置いておいたはずの白い小箱がないことに気が付いた。

 もらいものだからそれなりに大事に、しかし一応は男からの贈り物ということで、若干後ろ暗さもあり、棚の雑多なものの中に紛れ込ませていたはずだった。

「カミラ様、どういたしました?」

 白塗りの飾り棚を見つめるカミラに、水を換えに来たニコルが問いかけた。彼女はベッドの横の水差しを取り換えると、首をかしげてカミラを見やる。

「ニコル、ここにあった白い箱、知らない? このくらいの」

 カミラはニコルに振り返ると、親指と人差し指で、小さな長方形を示した。花やら人形やら手紙やらの中に、さりげなく置かれたそれを、ニコルも見たことがあるはずだ。

 だが、ニコルは心当たりがないというように首を振った。

「そういえば、なくなっていますね。ちょっと前に掃除をしに来たときは、置いてあった覚えがあるんですが」

「そう。……どこかに置き忘れたのかしらね」

 いつもは部屋に置いている箱だが、まれに厨房に持って行くこともあった。砂糖漬けの参考にしようと思ったのだ。実際には、あまりに精巧すぎて、カミラの実力では到底参考にもならなかったのだが。

「まあいいわ。厨房に行こうと思っていたところだもの。ついでに少し探してみるわ」

 これからしばらく、カミラはギュンターの菓子の弟子である。クラウスに対抗心を燃やしてか、カミラの態度に腹を立ててか、ギュンターは妙にやる気だった。しかしカミラとしても望むところ。暴走気味の二人は、時折こうして妙に波長が合うことがあった。

 美味しい菓子が作れるようになれば、アロイスにも食べさせてやろう。カミラは自分の料理を汚すことを許さない。シロップやら蜂蜜やらにひたされてたまるものか。

 そうして、カミラが作るものを食べれば、アロイスもあの食生活から抜け出せるのではないだろうか。最初はまず、様子見に菓子。それから徐々に、日々の食事を変えていく。これがカミラの緻密にして周到、そしてあまりに迂遠な計画なのであった。


 〇


「なんのことかわかりかねます」

 聞きなれた、聞きたくない声を耳にして、カミラは思わず足を止めた。

 厨房へ向かう道すがら。モンテナハト邸の廊下の先で、誰かが話し合っている。柱の影に隠れ、そっと覗き見てみれば、向かい合うゲルダとアロイスの姿がある。

 二人が話し合う姿は、さほど珍しくない。ゲルダは屋敷のほぼすべてを取り仕切る上級使用人。モンテナハト家の使用人の中でも、特に長く働いており、彼女以上に屋敷に詳しい人間はいないくらいなのだ。

 だが、目に見えて対立する二人というのは、少し珍しい。

「わからないはずはないだろう。お前の他に、あの皿を誰が持ち出せる?」

「メイド頭が勝手にしたことでしょう。彼女には屋敷の清掃を一任しています。どこかで見つけ出してもおかしくはありません」

「それを取り出し、私に供することもか」

 アロイスが険しい声で言っても、ゲルダは氷のように無表情だ。

 アロイスの表情も、固くはあるが平静さを装っている。声は互いに抑え、カミラの様に怒り任せに荒げることはない。それでも、二人の間の空気が険悪であることは、周りにつぶさに伝わっているらしい。近くを掃除していたメイドが、恐れるようにそそくさと、その場を離れるのが見えた。

メイド頭あれにそれほどの度胸があるはずもない。お前の入れ知恵だろう。ゲルダ」

「存じ上げません。彼女も旦那様の代から仕えていた身。現状に危機感を覚えての行動だとすれば、特段おかしいことではないかと」

「現状に危機だと?」

「ええ」

 ゲルダは恐れもせずに肯定した。

 彼女は相手が公爵であることも、自身の主人であることも、まるで意に介さない。ためらいなく淀みない口ぶりは、たとえアロイスが短気な主人で、腹立ちの余り首をはねられたとしても、このまま話し続けるだろうとさえ思えてくる。

「旦那様の言いつけを破り、先のブルーメでも騒動を起こし、モーントンの人々は混乱しています。初代様から旦那様までが代々築き上げてきた伝統を破壊するアロイス様のお姿に、メイド頭も胸を痛めたのでしょう。いったい誰の影響か、ここ最近はとみに、アロイス様はお変わりになられてしまわれました。ご自覚はおありで?」

 アロイスは口をつぐみ、ゲルダを見据える。『誰の影響か』とゲルダは問うが、その答えは彼女自身が持っている。カミラのせいだと言いたいのだ。

「元のアロイス様を思い出していただきたいと、皿を取り出したのであれば、私から言うことはありません。アロイス様。今のモーントンにも、アロイス様にも、必要なものは変革ではありません。すでに完成されたこの地を維持し、旦那様の、そして初代様のお志を守ることだけが重要なのです。なにより――――」

 そこで、ゲルダははじめて目を伏せる。一瞬の、悼むような視線。見たことのない表情だった。

「それが、あなたが殺めたお二人への手向けとなりましょう」

 ゲルダ――――。

 愕然と、アロイスが呟こうとした声は、突如割って入った声にかき消された。


「なんですって!?」

 聞き捨てならない言葉に、カミラは思わず飛び出した。

 ゲルダがカミラを一瞥し、アロイスが目を見開く。

「どういうことです? 今の言葉……」

 殺めた、とゲルダは間違いなく言った。口振りから、領主として誰かを犠牲にしたとか、処刑したとかいう話ではないのだろう。

 でも、アロイスが誰かを殺めるなど。そんなこと、カミラにはとうてい信じられなかった。

 だが、カミラを見るアロイスの目は、明らかに怯えている。血の気のひいた顔で、どうにか平静を装おうと唇を結んでいた。

「なんでもありません。カミラさん、今のは」

「いいえ、アロイス様。このお方はいずれあなたの妻となる身。であれば、すべて話しておくべきでしょう。いつまでも隠し続けることなどできないのですから」

「ゲルダ、しかし」

「この方は真実を望まれています。教えて差し上げるのが、誠実な対応というものでしょう」

 カミラは、ゲルダとアロイスの姿を見比べる。普段は憎らしいゲルダだが、今回ばかりは彼女の言うことに賛成だ。立ち聞きとは言え、ここまで聞いてしまったのだ。なにごともなかったことにはできないし、洗いざらい話してもらわなければ気が済まない。

「アロイス様、教えてください。ゲルダの言ったことは、本当なんですか?」

 アロイスは唇を噛み、迷うように視線を伏せる。それから、しばしの沈黙が流れた。人の寄り付かない廊下を、春にしては冷たい風が流れる。

「アロイス様の口から話しにくいのであれば、私からお伝えいたしましょう。よろしいですか?」

 ゲルダはカミラを見やり、眉一つ動かさずに言った。カミラとしては、誰から伝えられても同じだ。

 ゲルダに顔を向け、うなずこうとしたとき、しかしアロイスが首を振る。

「……いや。私から話そう。カミラさん、少しお時間をいただけますか?」

 そう言って、アロイスはカミラを手招いた。


 もはやすっかり、小箱どころではなくない。一も二もなくうなずくと、カミラはアロイスに招かれるままに、彼の後をついて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ