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5-3

 ブルーメの一件は、アロイスの明確な不始末だった。

 暴動を誘導し、けが人を多数出したのは事実。アロイスが噛んでいたのも事実。結果として、ルーカスの罪を暴くことになったが、それはあくまで結果論。アロイスのしでかしたことの正当性にはならない。

 ブルーメで祝祭を開いたことも、アロイスの責任問題だった。モーントンの伝統を、領主であるアロイス自身が先導して破ったことの責任は大きい。そうでなくともアロイスは、グレンツェで一度やらかしているのだ。グレンツェを開拓し、発展させ、他国との交易を盛んにした結果、かの土地はモーントンにふさわしくない、奔放な土地となり果てた。

 加えて、昨年はアインストの災害があった。アインストの甚大な被害は、モーントンの収支に大きな痛手を与えた。

 これもまた、アロイスの責任である。もっと迅速に対応できていれば、被害は軽減できただろう。復興にかける支出も大きすぎで、もっと安価に、もっと速やかに町の機能を回復させることができたはずだ。


 というのが、モーントン領を統べる三つの貴族たちの言い分だった。

 もちろん、詭弁である。


 〇


 マイヤーハイム家を筆頭とした、モーントン領の貴族の長達との会合は、領都に戻って早々に行われた。

 レルリヒ家は事情が事情だけに欠席し、参加したのはマイヤーハイム家とエンデ家のみだった。慇懃無礼に責められるのも慣れたものだが、心情的に参ってしまうのはどうしようもない。

 ブルーメの件はレルリヒ家も一枚噛んでいるのだが、欠席と言う名の逃亡により、自然と矛先がアロイスの身に向かうことになってしまった。

 いや、搦め手の得意なレルリヒ家がいなかったことは、むしろ幸運だっただろう。言葉を返すのに、さほど気を遣わなくて済んだのだから。


 その、気の重い会合が終わってからおよそひと月。

 貴族たちはいまだに納得をせず、手紙や使いの者を寄越し、アロイスを責め立てる。これもすっかり慣れたもの。アロイスが領主の座についてからずっと、彼らはアロイスの粗を探し続けているのだ。

 ――先代様の時代には、こんなことは起こらなかった。

 それが、彼らの口癖だった。

 アロイスの父である先代モンテナハト卿が亡くなったのは八年前。だというのに、彼らは今も先代を持ちだして、ことあるごとにアロイスと比較した。

 ――先代様が、亡くなられていなければ。

 貴族たちに慕われた偉大なる先代は、死んでなおもアロイスを追い詰める。


 ――――父上。

 重たい思考に、アロイスは思わず執務の手を止めた。頭に手を当てると深く息を吐き出す。

 夕方ごろの茶会では、カミラにも気を遣わせてしまった。だが、これはカミラの知らなくてよい苦労だ。

 いや、むしろ知らないほうがいいだろう。


 アロイスを責める老人たちの言葉の中に、近頃はカミラへの言及が含まれるようになった。

 モーントン領へ来た時から評判の悪かったカミラだ。そのうえ、アインストにもブルーメにも彼女の存在がある。もしや彼女が場を乱しているのではないか。騒動を引き起こしているのではないかと、老人たちは疑いを向けている。

『例のご婦人が、貴方様へ良くない影響を与えているのではないですか?』

 老獪な眼差しは、思い出すだけで憂鬱になる。無礼であると一言で断じられれば気が楽だろうに、そうするだけの力はアロイスにはない。この土地における貴族たちの影響力は強く、アロイスと手無下にすることはできない。

 そも、手練れの老貴族たちに対して、アロイスはまだ若造すぎるのだ。グレンツェ以降、決定的な失態を犯さず、些事のみをつつかせていただけでも、上出来だったと言えよう。

 アロイスはそれなりに経験を積み、それなりに身をかわす術を身に着けている。

 だが、カミラはどうだろう。

 カミラがもしもアロイスの申し出を受け入れれば、いずれは同じように責められることになる。あまり気の長くない彼女のことだ。おそらくは、正面から受け止め、ぶつかることになるはずだ。

 彼女の短気は、アロイスにとっては今でこそ小気味がいいが、そう受け取るのは少数派だ。まず間違いなく老人たちの機嫌を損ね、彼らの統べる町との関係を悪くする。その結果として、今回のルーカスのような人間がまた現れるかもしれない。そうでなくとも、領民の不満はたまる。アロイスの領主としての能力は疑われ、『良き領主』ではいられなくなるだろう。

 さもなければ、アロイスはカミラに我慢を強いることになる。それもカミラにとっては不幸なことだ。

 ――彼女にとって、この土地に残ることは幸福なのか?

 額を押えたまま、アロイスは自問した。

 答えは出ない。それでも、他に行く当てのない彼女であれば、苦労を呑んでもらおうと思えたかもしれないが。

 今はそれさえも言えない。


 アロイスは執務机の引き出しから、一枚の封書を取り出した。簡素なその手紙の封を押すのは、見まごうはずもない。王家の印だった。

 封の中にあるのは、ひと月後に執り行われるユリアン王子とリーゼロッテ嬢の結婚式への招待状。それから、もののついでのように付け加えられた簡素な言葉だ。


『カミラ・シュトルムへも恩赦として、王都の追放を取り消し、参列を許可する。』


 手紙は二日前に届いた。

 アロイスはまだ、カミラへこの事実を告げることができていない。


 〇


 執務室の戸を叩く音で、アロイスは我に返った。

 誰かと問えば、メイド頭が名を告げる。


「お夜食をお持ちしました」

 そう言って、メイド頭は部屋の中に、料理の乗った台車を運び入れた。カミラがこの土地へ来る前には、よく見た光景だ。が、ここ数か月の間に途絶えていたはずだ。

「頼んだ覚えはない」

 アロイスは首を振り、メイド頭に下がるように告げる。だが、彼女は下がらない。怖じる様子もなく台車をアロイスの前まで運び、執務机の上に、大きな深い皿を置いた。

 アロイスは眉をしかめる。

「不要だ」

「いいえ。これはアロイス様に必要なもの。食の細いアロイス様のため、が必要と定めた食事です」

 メイド頭にとっての『旦那様』は、先代モンテナハト卿――アロイスの父を指し示す。彼女は先代からモンテナハト家に仕えていた、古い使用人の一人だ。

「目覚めに一皿、朝に二皿、昼前に一皿、昼に二皿、間食にまた一皿。夜は三皿、夜食の一皿。旦那様は、厳密に定められました。ならば私は忠実に、アロイス様に供さねばなりません」

 一日に七食。今から思えば信じられない量を、アロイスの父は定めた。まぎれもない事実だ。使用人たちは忠実にそれを守り、アロイスもまた、与えられるがままに食べていた。

 だが、それも昔のことだ。

「なぜ、今さら―――――」

 アロイスはそう言いながら皿に目を向け、そのまま言葉を飲み込んだ。

 脂ぎった夜食の乗る大皿は、うっすらと青く、ひどく装飾的だった。皿の色より濃い青と、金の模様が幾何学的に描かれる。麗しいその皿に、アロイスは嫌になるほど見覚えがあった。

「旦那様の言いつけをお忘れであると。マイヤーハイム家のご当主様より申し付かりましたゆえ」

 にこりともせず、生真面目に語るメイド頭の髪の色は、マイヤーハイム家の特徴を映した栗毛色だった。

「……この皿は」

 アロイスにはしかし、彼女の声は聞こえていない。皿に目を奪われたまま、離すことができなかった。

「どこで手に入れた。この皿は」

 忘れもしない。アロイスが隠した、誰の立ち入りも禁じた部屋の中にあったはず。

 三枚あったうちの、一枚は割れた。二枚はまだ、誰の目にも触れさせていない。記憶と共に奥底に消えたはずの――。

 ――僕の。

「――――父上の皿だ」

「どうか、旦那様の言いつけを、お守りくださいますように」

 メイド頭はそう言うと、スカートの裾をつまみ、一礼して部屋を出て行った。


 部屋にあるのは、皿の上の胸の焼けるような料理と、アロイスだけだ。

 ――父上。

 誰もアロイスを見てはいない。誰もアロイスを咎めない。だというのに、アロイスの手は皿に伸びる。

 ――食べなければ。

 どんな味でも、どんな量でも、食べざることは許されない。良き領主として、良き息子として。教え込まれた記憶は、半ば喪失し、途切れ途切れになった今でも、アロイスをさいなめる。


 死してなお変わることなく。

 死したからこそ、より強く。

 まるで亡霊のように。

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