5-2
妙に遅い時間に、急遽豪勢な茶会が開かれることになったのは、つまりそういうわけである。
日も暮れかけ、もうじき夕食となる時間。夕日の差し込む中庭で、カミラはアロイスと白い丸テーブルを囲んでいた。
テーブルの上には、ギュンターがむきになって作った山のような菓子がある。生クリームで真っ白に飾られたケーキ。キイチゴの鮮やかな赤いタルト。一口サイズのチェリーパイに、石畳に似た正確無比なビスケット。
クラウスのような芸術的で気まぐれな菓子と違い、ギュンターの作るものは、まるで歯車みたいに狂いがない。均整の取れた菓子は見た目通り、味に一点の狂いもなく、まさに職人の技だった。
が、もちろんアロイスに差し出される前に、砂糖漬けに処されている。不必要な甘いクリームを足され、シロップや蜂蜜、甘すぎるジャムを乗せられれば、もう元の味もわからない。
――伝統だからって、あんまりだわ。
厨房でギュンターが作ったものを見ていただけに、テーブルに並べられた菓子たちの惨状は胸が痛む。
「どうされましたか?」
渋い顔のカミラを見やり、アロイスは首を傾げた。どうやら少し疲れているらしく、表情には覇気がない。さすがのアロイスも、ブルーメ滞在で溜め切った仕事を片付けるのは骨が折れるのか。執務室にこもりきりの日も珍しくない。
「……なんでもありませんわ」
そう言って首を振れば、彼は「そうですか」と答え、カミラでは飲み込めないほど甘い菓子を口にする。
「こんなに食べるのは久々ですよ」
律儀に食べながら、アロイスは困ったように笑った。
たしかに、ここしばらくアロイスの食事量は一般男性程度にまで落ち着いていた。茶会の代わりに散歩を始めたこともあって、軽食を取ることも減った。
ブルーメから戻ってきて以降、アロイスは運動がわりに乗馬も始めたと聞いている。「今さら武術などは、少し気が重いですから」と言って、実用的な馬術を選んだのはアロイスらしい選択だ。仕事が忙しいにもかかわらず、時間を見繕っては馬に触れているらしい。疲れているのは、そのあたりもあるのだろう。
もともと馬車は操れたわけだし、馬の扱いは知っている。問題は、アロイスを乗せられるだけの馬力のある馬が居なかっただけ。それももう解消された。
――なかなか……似合っているとは思うわ。
甘い菓子に手を付ける気になれず、紅茶だけを口にしながら、カミラはアロイスを見やった。
馬に乗って颯爽と駆けるアロイスは――たぶん、そんなに悪くないと思う。
カミラがモーントン領に来たのは、夏の終わりごろ。もう、十か月以上も前のことだ。
今は春のさかり。アロイスの二十四の誕生日も近い。アロイスが誕生日を迎えれば、次はカミラが十九になる。
もうじき、モーントン領へ来てから一年。この間に、アロイスはすっかり厚い肉を削ぎ落した。
食事量も減り、運動も自発的にはじめた。アインストで買った軟膏で、肌の荒れも収まりはじめた。
それでも、アロイスは痩せ切らず、肌は治りきらない。肉に埋もれた本当の顔を、残った肉と肌荒れが今も隠そうとする。目鼻立ちが整っていることはわかるのに、肌の痛ましさに目がいって、どうしても美男子と認められないのが現状だ。
――あとちょっとなのに。
その一手が届かず、カミラはどうにももどかしい。
アロイスを利用して、王都を見返す目的のなくなった今、彼を美男子にする理由はない。しかしここまで来た以上、責任をもって色男に仕上げたいのが人情。本人もやる気でいるのに、カミラだけが投げ出すわけにはいかないのだ。
美男子になった後――アロイスと結婚するにしても、しないにしても。
――……別問題だわ。
内心でかぶりを振ると、カミラは食事を続けるアロイスを見やった。
食べ方は品が良く、味についての文句を一切口にしない。甘すぎるクリームは避けず、シロップはこぼさず、慣れたように口に運ぶ。
朝、昼、晩。ずっとアロイスはこんな調子だ。濃すぎる味付けの料理を、出された分だけ平らげる。味がわかるくせに、味がわからないかのように、美味しそうに食べるのだ。
この食事は、モンテナハト家の長い伝統。先祖代々からの積み重ね。いきなり来たカミラがないがしろにしてよいものではない。
――わかっている。わかっているわ……。
塩や砂糖が富の証。権威のための豊かな食事も、なるほど理屈は理解できる。
――でも、変わるべきものは変わるべきだわ!
どう考えても体に悪い。時代遅れの伝統は、見直されるべきなのだ。
それに、アロイスの痩せ切らない原因も、ここにあるとしか思えなかった。
「食事を変えましょう!」
カミラはおもむろにテーブルを叩くと、声を張り上げた。アロイスが驚き、顔を上げる。
「急に、いかがされました?」
「急ではなく、ずっと思っていたんです。伝統とはいえ、アロイス様のお食事、あんまり味付けが濃すぎます! ご自覚されていますでしょう!?」
アロイスは否定も肯定もせず、無言で瞬いた。
「こんな甘ったるいものばっかりでは、いくら食事を減らしたって痩せられませんわ! 胸焼けだってしますでしょう。アロイス様だって、無理に食べられているのではありません?」
「カミラさん、いえ」
「きちんと、美味しいものを食べたいじゃないですか。せっかく、良い舌をお持ちで――――」
「カミラさん」
静かな声が、カミラの言葉を遮った。声を荒げたわけでもないのに、妙に力のある音に、思わずカミラは口を閉ざす。
目の前には、咎めるようなアロイスの顔があった。いつも温和な彼にしては珍しく、少し険しい。思わずカミラは、前のめりの体を引いて、椅子に座りなおした。
「……すみません、熱くなってしまいました」
「いいえ。……カミラさんのおっしゃる通りです。この味が、体に悪いだろうとも自覚はしていますので」
アロイスは息を吐くと、そうは言いつつまた一口、いかにも美味しそうにケーキを食べる。
「伝統……伝統ですか。そろそろ、向き合わなければいかないのかもしれません」
「アロイス様?」
一人ごちるアロイスに、カミラは眉根を寄せた。アロイスは顔をカミラに向け、安心させるように穏やかに笑う。それから、不意に顔を空に向けた。
斜めの日差しが消えかけ、空は藍色が滲みはじめている。風が、中庭の木々を揺らし、雲を流した。神を撫でる夜の風は、春でもまだ冷たい。
「風が出てきましたね。冷えますでしょう。そろそろ戻りましょうか」
「…………はい」
素直にうなずきはしたものの、どうにも不信感がぬぐえない。味がわかるはずなのに、体に悪いと自覚もしているくせに。どうして無理にさえぎるように、会話を切り上げたのだろう。
――なにか隠しているわ。
カミラの胡乱な目つきにも、アロイスはいつもの笑みを崩さない。カミラに歩み寄っているようでいて、この男の秘密主義は相変わらず。踏み込むことを拒むように、感情のない表情を浮かべるのだ。
――相談の一つも、してくれたっていいのに。
疲れも秘密も押し隠したアロイスの顔を、カミラは不機嫌に見やった。
好きだと言って、婚約を申し出ておきながら、彼はカミラを寄せ付けない。アインストでもブルーメでも、大切なことはいつもカミラには告げないまま。すべてが明らかになってから語り出す。悪意でもって隠しているわけではないと知っているが、カミラにとってはそういう問題ではないのだ。
なにもかもさらけ出せというわけではないけれど。言いたくないことがあるのもわかるけれど。
アロイスの態度が、カミラにはひどく不満だった。




