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4.5-2(終)

 ――――とんでもないものを見てしまったわ。

 明日はブルーメの長い滞在を終え、領都へと帰る日。ヴィクトルたちへの挨拶もすませ、帰り支度も終え、あとは明日を待つばかりというとき。なんとなく落ち着かないから、バルコニーで風にでもあたろうかと部屋を抜け出した矢先。

 レルリヒ家の廊下に出たところで、カミラは信じがたいものを見た。


 視線の先には、同階にあるレルリヒ家当主ルドルフの部屋。その部屋の前に立ち、言葉を交わすルドルフとゲルダの姿がある。

 ゲルダも明日は、カミラたちと共にモンテナハト邸へ帰る身だ。どうやら姉弟で、別れのあいさつでも交わしているところらしい。

 これだけなら、特段驚くには値しない。ゲルダとルドルフが義務的に言葉を交わすだけならば、カミラもこれまで何度も見てきた。

 だが、ルドルフに向けたゲルダの表情に笑みが浮かび、まなざしに優しさが滲んでいるのであれば話は別だ。



 ゲルダはルドルフと、しばらくの間談笑していた。

 少し距離があるせいか、二人はカミラに気がついてはいないらしい。カミラからも、二人の会話はよく聞こえない。

 だが、そのぶん穏やかな二人の横顔が際立って見えた。

 無感情と無機質を併せ持ったような鉄の女が、今は見る影もない。ルドルフが何か言えば、ゲルダは苦笑し、優しい瞳でなにごとか答える。その姿は姉というよりも、いっそ母のようだった。

 ――身内には優しいんだわ。

 ごくごく当たり前の感想のようでいて、ゲルダに限っては天地がひっくり返るような衝撃だった。

 ブルーメにいる間、彼女が身内に優しくしている姿を、カミラは一度としてみたことがなかった。クラウスに対してもフランツに対しても、使用人への態度と接し方は変わらない。ルドルフとも必要最低限の言葉しか交わさず、唯一感情らしい感情を見せたのが、彼女の兄であるルーカスに向けた嫌悪くらいだった。

 だけどもちろん、あのゲルダにも弟に対する愛情があり、優しさを持って接し、笑うこともあるのだ。普段は冷たくふるまっているのも、もしかしたらただの対外的な姿勢ポーズに過ぎないのかもしれない。

 人として当然のことだ。どんなに冷たい態度でいても、感情がないなんてありえない。わかってはいる。わかっているのだが――。


「――――びっくりしたでしょ」

 びっくりした。唐突に背後からかけられたその声にびっくりして、カミラは危うく悲鳴を上げるところだった。

 すんでのところで悲鳴を飲み込むと、カミラは慌てて声に目を向けた。相手が誰であるかは、もちろんわかっていた。

「クラウス! 驚かせないでちょうだい!」

 声量控えめに怒れば、背後にいたクラウスが肩をすくめた。

 相変わらずの整った顔に、フランツの残した殴打の跡が生々しい。が、本人は気にした様子もなく、いつもの通りの軽薄さでカミラに笑いかけた。

「まあまあ。伯母さんのことが気になってたんでしょ? 普段のあの人は、血も涙もなさそうだもんなあ」

 カミラは肯定も否定もせず、「む」とだけ唸った。カミラの天敵たるゲルダとは言え、クラウスにとっては伯母。さすがに、目の前で身内をけなすことに気が引けたのだ。

 しかし、当のクラウスは勝手なものだ。カミラの反応を意に介さず、愚痴でも言うようにうんざりと語る。

「だからこそかえって、優しくされたときにぐっとくるのかもね。ま、人心掌握はレルリヒ家うちの得意分野だし。おかげで親父は、すっかり伯母さんの言いなり」

 人の心を知り、人の心を動かす。大衆の扇動にレルリヒは昔から長けていた。とはいえ、その得意技を身内同士で使うというのは、あんまりな皮肉だろう。

「本当、あの人は怖い人だよ」

 自嘲気味に口を曲げ、クラウスはゲルダたちに視線を向けた。妄信的なルドルフの姿に顔をしかめると、クラウスはカミラにも聞こえない小声でつぶやいた。

「――――モンテナハト家を狙っているのは、あの人の方じゃないかと睨んでたんだけどなあ。でも、それなら伯父さんと対立する必要はないし、考え過ぎだったかな……」



 口元に手を当て、渋い顔でつぶやくクラウスを、カミラはそれ以上に渋い顔で見やった。

 突然出てきて声をかけてきたくせに、一人小難しい顔で悩みこまれては、カミラも居場所がないというもの。ルドルフとゲルダも去っていった今、居心地が悪いのはカミラだけだ。

 思考に沈むクラウスに、カミラは低く声をかけた。

「あなた、なにしに来たのよ」

 不機嫌なカミラの声に、クラウスは苦笑した。色男らしからぬ失態だと気が付いたのだろう。彼にしては珍しく、少し照れたように頭を掻いた。

「ああ。あんたに会いに来たんだ。別れの挨拶をしようと思って」

「…………別れの?」

「明日、帰るんだろう?」

 カミラは頷いた。

 明日の朝一番に出立し、馬車で二日かけて領都へと戻る。頻繁に来ることのできる距離でもないため、ブルーメとはしばらくの別れとなるだろう。

「あなたは帰らないの?」

「俺の町はここだからな。跡継ぎになった以上、そうそう離れるわけにはいかないよ」

 クラウスは明るく言った。カミラは少し瞬き、それから「ああ」と呟いた。考えてみれば、当たり前のことだ。クラウスはもとより、領都にいるべき人間ではなかった。

「……寂しくなるわね」

「そう言ってくれると嬉しいね。ま、そもそも、あっちで料理人をやってた方がおかしかったんだからな。あいつが余計なことをしなけりゃ、王都で一旗揚げてたものを」

 冗談めかした口ぶりだが、クラウスはきっと、アロイスがなぜ領都に引き留めたのかを理解しているのだろう。

 クラウスが生きている限り、いずれは命を狙われていた。アロイスが領都の自分の屋敷に置いたのは、彼を守るためだ。モンテナハト家の膝元であれば、ルーカスとて簡単に手出しはできない。料理人なんて傍に置くための題目であり、サボろうがなにしようが構わなかったのだ。

「素直じゃないわ。その割には意外と、料理人していたみたいじゃない」

 料理人なんてただの名義だけで、実際には彼は、厨房に入る必要すらなかったはずだ。だが、意外にも彼は、サボり魔とはいえきちんと料理人をこなしていた。案外、領都での暮らしも悪いとは思っていなかったのかもしれない。

「まあ、俺もモーントンの男だから、料理は嫌いじゃなかったし」

 カミラの指摘に、クラウスはばつが悪そうに言った。

「……それに、あいつの食べるものがちょっと怖くてな」

「怖い?」

「なんでもない。さすがにただの考え過ぎだよ。レルリヒの悪い癖だな」

 カミラの問いに、クラウスは頭を振った。それから、切り替えるように口を曲げ、カミラに向けてにやりと笑う。

「あとは、料理人は得することもあってね。モーントンって料理くらいしか娯楽がないからさ。女の子を口説きやすいんだ――――こんな風に」

 そう言うと、クラウスはどこからともなく白い小箱を取り出した。手のひらくらいの四角い箱を、彼はそのままカミラに向けて差し出す。

「……なに?」

「あげるよ。開けてみて」

 カミラは少し戸惑い、しかし意を決してクラウスから小箱を受け取った。装飾の施された箱は、小さな宝石箱にも似ていた。だけどひどく軽い。中を開けてみて、その理由が分かった。

 箱の中には、白い花が詰まっていた。白い花の、砂糖漬けだ。細い花びらまで欠けることなく、形を保ったままきれいに漬けられている。花の香りなのか、砂糖の香りなのか。ほのかな甘い香りに、カミラは覚えがあった。

「きれいね、すごいわ……! これ、ゼーンズフトの花よね!」

 冬は温室にだけ咲き、今は町中に咲いている白い花。幾重にも重なる花びらは、砂糖漬けには向かないだろうに、よくもこんなに鮮やかに漬けられたものである。思わずカミラも、素直に称賛を送ってしまう。

「あなたって本当、腕がいいのね。あんまり繊細で、きれいで、食べるのももったいなくなるわ。本当にもらっていいの?」

「ああ。あんたにもらってほしいんだ」

 喜ぶカミラに、クラウスは目を細める。

憧れゼーンズフトの砂糖漬け。――――あんたも、俺にとっての憧れだったよ」

 でも、まあ、さすがに――友が本気で惚れた女を奪うほど、性格は悪くない。だから憧れは憧れのまま。永遠に砂糖の中だ。

 内心の言葉はおくびにも出さず、クラウスはカミラに向けて笑いかけた。

「アロイスを頼むよ。落ち着いたら、またちょっかい出しに行くからな」

「減らず口だわ」

 片目を閉じ、不敵に笑う色男に、カミラは顔をしかめた。軽薄で軽率。自信過剰で、最初に会った時から、カミラはこの男が気に食わなかった。

 ――だけど、クラウスは間違いなくい男だ。

「天才なら、すぐに落ち着かせなさい。待っていてあげるわ!」

 偉そうに胸を張るカミラに、クラウスは噴き出した。なんて失礼な男だろうか。

 憤慨するカミラをよそに、クラウスは腹を抱えて笑い、笑いながら目尻をぬぐった。

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