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4-終章

 結局、我慢できなくなったギュンターに、カミラは屋台から追い出されてしまった。

「覚えてなさいよ!」

 と捨て台詞を残し、混雑した大通りに出た後。あれよあれよと色々な人に捕まって、もみくちゃにされて――。


 広場の片隅へ逃れ、カミラはようやく一息つくことができた。

 広場から見上げる舞台では、楽団たちが明るい音楽を奏でている。その舞台の下で、子供が跳ねるように踊っている。演奏を聴いて、野次なのか激励なのか、よくわからない声を投げかける人がいる。広場の入り口近くでは、余った花を使って、小さな女の子たちが花冠を編んでいる。

 そんな中で、屋台の影に隠れた広場の一角など、誰も気にかける人間はいなかった。


 広場を縁取る花壇の角に、カミラは腰を掛けた。花壇には、香水の原料にもなるという、真っ白で可憐な『憧れの花』が咲いている。

 顔を上げれば、大通りに沿って植えられた街路樹に、これまた白い花が咲いている。風が吹くと、あちらこちらの花が揺れ、花びらが舞った。

 本当に、花だらけの町だ。

 風に流れる花びらを見上げ、一つ息を吐くと、カミラは隣にいた人影に顔を向けた。カミラが来るよりも前からいたその人物は、この明るい場所にありながら、一人物思いに沈んでいるようだった。

「――――アロイス様もお休み中ですか?」

 遠くを見つめるアロイスに、カミラはそう呼びかけた。

 今日のアロイスは、いつもかっちりとした貴族服の彼にしては珍しく、庶民的な動きやすい格好をしている。それがルーカスの私兵の制服だとは、さすがのカミラも気が付かない。制服の目印であるジャケットは脱いでしまっているし、シャツも着崩しているせいだろう。

「私もあっちこっち追い出されてきたところです。みんな勝手だわ! いきなり捕まえられるし、手伝いをさせられたと思ったら、すぐに追い出されて!」

 む、と口を曲げるカミラに、アロイスは無言で目を向けた。無機質なその様子に、カミラは気が付いた様子もない。

「屋台はギュンターにとられちゃうし、それなら、最初に考えていたようにお花を配ろうと思っていたんですよ。花冠を――ほら、あの子たちも載せているでしょう。でもそれも! あの花屋に取られてしまったんです! ほら!」

 カミラが指さすのは、広場の一角を陣取る花屋の女主人だ。子供を集め、花冠の作り方を教えている。もともとはカミラがしていたのに、編み方にはもっとコツがあるだとかなんとかで、場所を取られてしまった。

 代わりに、花屋の編んだ立派な冠が、カミラの頭には載っている。色とりどりの冠は鮮やかで、悔しいけれどたしかにカミラよりずっと上手だった。

「そのあとは、ミアに破れた衣装の縫い直しの手伝いをさせられました。って言っても、私が縫うわけではなくてですね、着た時の形を見たいらしくて、人形がわりにずっと着せ替えられて。そのあとは、自警団につかまったり、屋台の店主につかまったり!」

 謝罪を受けたり、礼がわりに売り物をもらったり。カミラの腕には、押し付けられた菓子や果実が抱えられている。一人ではこれ以上抱えきれず、ニコルを探してしばらくさまよい歩き、結局見つからずにあきらめて戻ってきたところだった。

 腹を立てるように語るカミラを、アロイスはやはり黙って見ていた。何か言いたげな口元は、開きかけてすぐに閉じる。

「それから、クラウスの『先生』たちもたくさん会いました。いたずらの先生に詩歌の先生に、舞台の下で子供たちに踊りを教えているの、あれって踊りの先生でしょう? 通りでも劇作家の先生にも会いましたわ! 暇そうだったから問い詰めてみたら、やっぱり! 人寄せにクラウスが声をかけていたんですって!」

 大通りの騒ぎが落ち着いたら、客に見せかけて祭りに来てほしい――と。カミラの凄みに負け、洗いざらい吐き出した劇作家の言葉を思い出す。クラウスははじめから、祭りを失敗に終わらせるつもりなんかなかったのだ。

 自分でしでかし、自分で始末をつける。そう言えば聞こえがいいが、振り回されるほうはたまったものではない。

 それでも、今日という日があるのはクラウスのおかげであり。だからこそ余計に、カミラには気に食わなかった。

「本当に腹が立つわ! あの抜け目のなさったら! ヴィクトルと水をかけて回っているときは、どうしてやろうかと思ったのに――――これじゃあ、文句も言いにくいわ!」

 大通りを落ち着かせ、アロイスとクラウスが戻ってくるまでの間。それはもう、いたたまれない時間だった。

 フェアラートはずっと膝を抱えているし、ヴィクトルたちはしょげ返っていた。自警団たちも、守るべきものを自ら壊したことに落ち込んで、屋台の店主たちは踏み荒らされた商売道具と商品を嘆いていた。

 後はただ、祭りの跡を片付けるほかになかった。きっとヴィクトルたちは、もう楽器を持たないだろう。フェアラートは罰せられ、祭りをしたいと言い出すものは、今後二度と出てこない。そう思っていた。

 だけど今、ヴィクトルたちは舞台上で、壊れた楽器を奏でている。大急ぎで縫い直した衣装の上着だけを着て、広場の観客たちを前に胸を張っている。涙の跡を隠さず、フェアラートが歌っている。屋台には人が戻り、人が集まり、みんな楽しげに騒いでいる。

 不服だけれど――カミラが望んだ姿がある。

 ふん、とカミラは鼻で息を吐くと、つんと顎を上げた。そして、高慢そうなその態度のまま、横目でアロイスを見やる。

「――――でも、なかったことにはできませんからね」

 文句を言いにくいとは言ったが、言わないわけではない。

 祭りが一度台無しになったのは事実。

 フェアラートがクラウスの名に傷をつけ、多くの人々に被害を出したのも事実。彼女のせいで痛い目を見た人間がいる限り、フェアラートを無罪放免で許すわけにはいかない。のちのち、彼女には追って沙汰があるだろう。

 それをカミラは同情しない。彼女が自分の意思で行った結果である限り、当然の始末だ。きちんと責任を取って、それから堂々と、仲間たちに顔向けをしてほしいと思っている。

 アロイスだって同じだ。

「……カミラさん」

「はい」

 静かなアロイスの呼びかけに、カミラは澄ましたまま答えた。

 カミラを見つめるアロイスに、いつもの穏やかな笑みはない。無機質なまでの無表情だった。

 だが、その表情の影には、言葉にしがたいわだかまりが覗いている。

「アロイス様、私、今日を本当に楽しみにしていたんです」

 恨み言のように言えば、アロイスは素直に頷く。

「存じております」

「アロイス様にも楽しんでいただきたかった。言いましたよね」

「はい」

「でも、必死になっていたのは私だけだったみたいですね」

 終わりが良ければ、なにもかも許すほどカミラは寛容ではない。どちらかといえば、カミラは恨み深いほうだ。やられたことは忘れないし、納得がいかなければ長らく根に持つ。さもなければ、アロイスを痩せさせて見返してやりたい、などと考えたりはしないのだ。

「アロイス様、私、怒っているんですよ」

 たぶん、アロイスが思っている以上に怒っている。アロイスとクラウスは、カミラの楽しみを知っていて、ヴィクトルたちの練習の日々を知っていて、おそらくそれさえ利用したのだ。

 あとあと、埋め合わせができるとわかっていても、心を踏みにじったことには変わりない。

「なにか、言うことはありませんか?」

「…………はい」

 アロイスはカミラを見つめながら、囁くようにうなずいた。

 大の大人のくせに、叱られた子供のような、寄る辺ない所作だった。


 アロイスは少しの間、言葉を悩むように口を押えた。

「……は」

 視線はカミラから逸れ、地面に向かう。なにを考えているのか、横から見るカミラにはよくわからなかった。

「カミラさん。僕は、人の心に疎いんです」

「そうですね」

「人の考えていることは、なんとなくわかるんです。相手がどう思っているのか、なにを望んでいるのか」

 おそらくは、人よりも敏いくらいだ。声音から、表情から、普段とは違う態度から、アロイスは人の思考を想像することができる。喜びも悲しみも理解できる。なにを期待し、なにを期待されているのかわかっている。

「ですが、それを踏みにじることにためらいがないんです。今回も、わかってはいました。カミラさんのことも、楽団の青年たちのことも。おそらく僕は、フェアラートの心情さえも察していました」

 アロイスは膝の上で、両手を握り合わせる。すぐ近くで聞こえる明るい騒ぎ声が、アロイスの淡々とした口調を強調させた。

「それでも、僕は犠牲にすることを選びました。その方が、このモーントンのためになると思ったからです。この機会を逃すよりも、数人の犠牲を払ったほうが、より多くの益になると」

 実際、アロイスの考えは正しいのだろう。カミラはアロイスが隠れて何をやっていたかを知らないが、アロイスが無益なことをする人間でないとは知っている。厳密に価値を計り、天秤にかけ、重たい方を正確に選び取る。そういう性格だと理解している。

「領地のため、より多くの領民のためになるであれば、僕はためらいません。きっと、犠牲にするのがあなたでも、クラウスでも、僕自身だとしても、それに価値があるのであれば――死すら厭わないでしょう。僕に大切なものは、父と母の残した、この領地そのものなのですから。……きっと、そういうところを見抜いていたから、クラウスは僕を嫌っているのでしょうね」

「……でも、アロイス様はクラウスのことを気に入っていたんでしょう?」

「それは彼が好い男だから――頭が良く、人に好かれる方法を知っている。この土地にとって有益な人間だからこそ、好感を持っていたんです」

 ――あんまりだわ。

 アロイスの言い草に、カミラは言葉を失くした。

 有益だから、無益だから、こちらの方が役に立つから。それでは、道具を選ぶのと変わりない。泣いても悲しんでも、道具が傷んだだけ。理解はしても、共感性があまりに欠けている。あまりに無味乾燥としていて、人間味がなさすぎるのではないだろうか。

「カミラさん――――僕はこれまで、腹を立てたことはなかったんです」

「……ええ?」

「人を好きになるのもはじめてでした」

 はあ、とカミラは相槌を打つ。あんまりにも飾らない言葉すぎて、なんだか座りが悪い。アロイスがこうして、包み隠さず好意を示すのも、感情に疎いゆえなのかもしれない。

「これまで、他人に対して強い感情を抱くことがありませんでした。誰かを傷つけることを望みはしませんでしたが、必要なことであれば、仕方がないと納得していました――――でも」

 アロイスはそこで言葉を切る。そして、地面から顔を上げ、再びカミラに顔を向けた。

「今は後悔しています」

 アロイスの視線は、まっすぐカミラに向けられた。笑みのない顔には、あふれ出しそうな罪悪感がある。

「今日のこと。今までの日々すべて。僕はきっと、僕が思うよりもずっと、あなたを傷つけてきたのですね」

「アロイス様」

「やり直せるのであれば、やり直したい。あなたを哀れみ、上辺だけで同情し、そのくせ厄介に思っていました。あなたの楽しみを知りながら、僕は今日のこの場を踏みにじりました。クラウスが居なければ、僕はあなたに再び笑っていただくこともできませんでした。すべて、後悔しています」

 む、とカミラは口を結ぶ。アロイスは視線をそらさない。逆に見つめられるカミラの方が、耐えられなくなってしまいそうだった。

 ――腹立たしいわ。

 カミラは唇を噛み、逃れるように一度、強く目を閉じた。それからひときわ大きく息を吐き出すと、意を決してアロイスに向き直る。

「アロイス様」

「はい」

「謝っていただけますか?」

「はい。今日のことも、これまでのことも。あなたを傷つけたすべてに謝罪いたします」

「今後、領地のために犠牲にしようと思いません? 私だけではなく、クラウスや他の人も」

「…………善処します」

 即答できないのは致し方ない。アロイスは領主なのだ。領地を守ることは、それはそれで立派な仕事である。

 だから、悩んでくれるだけでよい。ためらうだけでよい。それがきっと、今後のアロイスの選択を変えてくれるだろう。

「わかりました!」

 カミラは偉そうに頷くと、勢いよく立ち上がった。

「今日のところは勘弁して差し上げましょう! 謝っていただいたので、この話はこれでおしまい!」

 胸を張るカミラを、アロイスは座ったまま驚き半分、安堵半分に見上げていた。そのアロイスの手を、カミラはおもむろに掴む。

「あとは楽しみましょう! 今日はそのための日なんですから!」

「ええと、カミラさん」

 カミラに手を引かれ、アロイスもなし崩しに立ち上がる。妙に強引なその手に、アロイスは逆らえなかった。

「楽しいことを増やしましょう。大切なものも増やしましょう。そうしたらきっと、この土地がもっと大事になるわ」

 そうしたら――犠牲にするのではなく、悲しむ人を見捨てるのではなく、その人たちさえ救いたくなるはずだ。

 領地が大切なのではなく。大切なものがあるから、領地を守りたくなるはずだ。

「踊りましょう、アロイス様。せっかくなんですから」

「でも、私は踊ったことは……」

「はじめての子供でも踊れるんですよ。こんの、音に合わせて跳ねるだけですもの!」

 カミラの細い手を、アロイスは振り払うことができなかった。





 日陰から連れ出され、明るい広場の中央に、カミラと二人で立つ。

 子供たちがカミラを見て、「肉女!」だのと騒ぎ立て、「黙りなさい!」とカミラが一周する。それが親しみの言葉だと、感情に疎いアロイスでもわかった。

 壊れた楽器が、音を外した音楽を奏でる。上手いとは言えないが、底抜けに明るい祝婚歌だ。カミラがアロイスの手を取って、音に合わせて回り出す。

 アロイスは振り回されるばかりだ。つないだ手に、カミラの足踏みに、はやし立てるような子供たちの声。通りに響く、いくつもの楽しげな笑い声。

 春の風が吹き、花を揺らす。風に乗って花びらが舞う中、カミラがアロイスを見て笑った。

 黒い髪に、白い花の冠が映える。揺れる長い髪が美しかった。

 泣きぬれていた少女の顔が、明るい笑顔に重なる。

 憂いのない鮮やかな笑顔に、アロイスは戸惑った。


 春の空はあまりに澄んでいて、まばゆかった。

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