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それからは、なんだか妙に慌ただしかった。
子供たちの全員分の串を焼くのに四苦八苦。そうこうするうちに、ギュンターが「見ていられねえ!」と乗り込んできて、カミラの隣で一緒に焼き出した。
「このがさつ女! お前はどうしてこう、繊細さってものがないんだ!」
「私ががさつですって!? 見る目がないにもほどがあるわ!」
「こんな豪快に肉をあぶって、どこががさつじゃないって言うんだ! ああ、ちくしょう! 鍛え直してやる!!」
「この方が美味しそうじゃない! もうあなたに鍛えられることなんてないわ!!」
「生意気なことは俺より腕が上がってから言いやがれ! 屋敷に戻ったら覚えてろよ!!」
などと喚きながら子供たちの分を焼き上げると、子供たちは串を手に、騒ぎながら広場へ向かって行った。
代わりに少しして、今度は子供の母親が来た。
遊びに出た子供を探しにでも来たのだろう。広場で騒ぐ自分の子供を捕まえると、我が子の持つ串と香りに誘われるように、屋台の方まで寄って来た。
「お祭りするって本当だったんですね。なんだかちょっと、想像と違ったけれど」
言いながら、彼女は困惑した様子で大通りを見回した。荒らされたとしか思えない通りの様子に、しかしこういうものなのかもしれないと、納得をしているようでもある。
「……美味しそうですね。うちの子も持っていましたけど……ええと」
「おとなは五枚だよ。子供はタダだけどね」
母の手を引いて、子供が胸を張って言う。母親はしばし迷ったようだけれど、好奇心に負けて一本だけ買うことを決めた。
それを焼いている間に、また別の誰かが寄ってくる。ギュンターのもくろみ通り、香りが人を呼びよせたのだろう。
寄ってきた人々は、興味深そうに屋台をのぞき込む。しばらくすると、のぞき込むうちの誰かが買っていく。不思議と客足が途絶えなかった。
「一本」
端的な言葉に、カミラはもう何度も繰り返した、一本の値段を告げる。
「旧リヒト硬貨五枚よ」
「なんだ、金をとるのか」
渋い声に顔を上げれば、店をのぞく見知った顔が目に映る。性根にいささか癖のありそうな顔つきの、痩せた老人だ。白い蓬髪、ぼろをまとったような服。貧しさを表した老人に、カミラは思わず声を上げた。
「あなた、クラウスの――詩歌の先生ね」
諸悪の根源である。彼が地下の騒音に悩まされ、クラウスに解決を依頼したことが、そもそもの発端だったのだ。
「見覚えがある。クラウスと一緒にいたな? 三枚しかない。まけてくれ」
「お金ないのね? 三枚しかないって、それもあなたには安くないでしょう。タダでいいわよ」
老人が困窮していることは、見ればわかる。趣味で生きる人間は、得てして金がないものだ。娯楽の禁じられたモーントン領ではなおのこと、趣味を金に換える手段がない。
「わしは物乞いではない。前金で三枚だ。残り二枚はどうにかする」
そして得てして、頑固でもある。
「面倒な人だわ! それなら、そうね――――現物でもいいわよ。あなたの作った歌を一つ。それと交換で、好きなだけ焼いてあげるわ」
「わしの歌か。いいだろう。もう一曲くれてやる」
老人はそう言うと、広場に一瞥を投げかけた。
子供たちの騒ぐ広場は、今は少し沈黙している。どうやらクラウスが歌いつかれたらしい。ひいひい言いながら、その立ち位置を譲る姿が見えた。
代わりに立つのは――――ヴィクトルだ。彼は息を吸い、胸を張り、バイオリンを構える。
「あの騒音がどの程度になったものか」
老人はカミラから串を受け取ると、頑固な顔に少しだけ楽しげな笑みを浮かべ、広場へと向かって行った。
〇
ヴィクトルは、舞台の上に行ってしまった。
ディータやフィーネ、オットーも、みんないなくなってしまった。
広場の片隅にあるテントの中にいるのは、フェアラートとミアの二人だけになってしまった。
膝を抱えたまま、フェアラートは静かに呼吸を繰り返す。
――俺は行くよ。
ずっと歌い通しだったクラウスに誘われ、ヴィクトルが舞台に立つと決めたとき。顔も上げないフェアラートに、彼はそう声をかけた。
――バイオリン、壊さないでいてくれてありがとう。……気持ちに応えられなくて、ごめん。でも、ありがとう。
ヴィクトルが言っても、フェアラートは顔を上げられなかった。ヴィクトルに続いて、ディータたちが出て行くときも、ずっとうずくまっていた。
――フェア、俺たちも行くけどさ。
ディータは最後まで、フェアラートに声をかけた。
――お前も来たくなったら来てくれよ。ほら、ニコルさんも疲れちゃうだろうし……それに、俺たちみんな、お前の歌が好きだから。
誰もフェアラートを責めはしなかった。楽しみを奪ったことも、楽器を壊したことも、彼らは何も言わなかった。
慰められるだけなのに、フェアラートは誰の顔も見ることができなかった。
すぐそばで、ため息の気配がした。
顔を上げるまでもなく、ミアだとわかる。他に、テントの中に人はいないのだ。ミアがいま、自分をどんな目で見ているか、フェアラートは知りたくなかった。
遠く、ヴィクトルたちのバイオリンが聞こえる。広場の騒ぎ声も、どこか遠い。
「…………私は同情しないよ」
外から隔絶されたようなテントの中、ミアは独り言のようにぽつりと言った。
「あなたがヴィクトルを好きだって知っていたし、ずっと好きなままなのも知っていた。でも、譲ってやろうとは思わない。だって、私もヴィクトルが好きなんだ」
うつむいていても、ミアの視線を感じた。突き放すような彼女の言葉に、仲間たちがフェアラートに向けるような優しさはない。
「あなたのしたこと、最低だと思ってる。そんなことをして、ヴィクトルの心が得られるはずがないのに。傷つけるだけ傷つけて、自分だけかわいそうな態度で、ずっとうつむいて」
ぎゅ、とフェアラートは自分の体を抱いた。返す言葉はなにもなかった。聞いているのも辛かった。
「傷ついた相手に慰められて、それでもずっといじけていて、格好悪い――――本当に格好悪い。あなたに不安になってた自分が、馬鹿みたい」
吐き捨てるようにミアが言う。格好悪い。その言葉に、フェアラートはびくりとする。ずっと誇ってきた自分自身を、蔑まれているような気がするのだ。
胸を張ることを誇ってきた。格好良くあれる自分が好きだった。ヴィクトルがミアと婚約したと知ったときも、うろたえるでもなく祝福した。
嫉妬なんて醜い。追いすがるなんて情けない。噂のカミラみたいにはなりたくなかった。いつだって潔く、格好良く、憧れられる自分でいたかった。
でもそれは、本当のフェアラートではなかった。
「ヴィクトルの音楽仲間で、特別な友達で、私には絶対になれない存在だって、羨んでいた自分に呆れる。こんなに情けなかったんだ」
「……私だって、傷つくのよ」
生きている。感情がある。だから傷つくこともある。フェアラートは絞り出すように言った。
「そんなこと、わかっている。人間なんだから、当たり前でしょう」
ミアは息を吐く。フェアラートを見ている。
――それが、羨望のまなざしであることに、フェアラートは気が付かない。
「だからあなたは格好良かったんだ。傷ついても、しゃんと立って、平気な顔で澄ましていられるから、ヴィクトルもあなたに憧れ、私は嫉妬したんだ」
恋をするのも、傷つくのも、悲しむのも、恨むのも妬むのも、みんな当たり前の感情だ。それを消すことなんてできない。誰も向き合い、自分の中で解消していかなければならない。
見苦しく追いすがることも、うじうじと悩むことも、嫉妬にかられることも、悪意に染まることもある。
フェアラートはその中で、悩みをおくびにも出さず、堂々としていることを選んだ。他人の同情を寄せ付けず、苦しみを人に漏らさずにいた。
それが、傍から――ミアから見たフェアラートの格好良さだった。
「ずっと格好悪いままでいるの?」
ミアが問いかける。
フェアラートは膝を抱えたまま、唇を噛みしめた。膝の中で見開いた目から、いくつもの涙があふれだす。
泣いている自分は、格好悪い。
でも、仲間から逃げて涙を隠す自分は、もっと格好悪い。
〇
子供たちを呼び水に、通りに人が集まり出すと、逃げて行った屋台の店主たちが戻り出した。
自警団の若者たちが、自分たちで壊した屋台を申し訳なさそうに組み直せば、そこに人が入り、物を売り始める。それでまた、人が集まり始める。
おかげでカミラの店も、ずっと忙しいままだった。
知らぬ間に、通りには人があふれていた。
子供たちの騒ぎ声がする。ニコルはいつの間にやら舞台を降り、壊れた楽器たちが、キーを外した音を奏でる。
伸びやかな、強い歌声が響き渡る。誰も知らないその歌に向けて、どこからともなく拍手の音が湧く。
広場の一角で、浮かれた誰かが踊り出す。楽団に合わせて、物好きな誰かが歌いだす。楽しい声が、春を迎えたばかりの空に響く。
そのことに、ギュンターと喧嘩しながら煙にまみれて串を焼くカミラは、気が付いていなかった。




