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4(3)-15

 もちろん、そんな男どもの結末など、祭りの後始末をしていたカミラには知ったことではない。


 フェアラートを黙らせた後。うずくまったまま動かない彼女をフィーネに任せ、カミラはヴィクトルたちを率いて祭りに騒ぐ無法者どもに、水をかけて回った。都合よく、広場には水の流れる泉がある。汲んで頭に被せていけば、半分くらいは冷静さを取り戻した。

 半分の半分は、逆上してきたが、まあそこは男手である。ヴィクトル、オットー、ディータの三人は、軟弱な貴族の男どもと違い、なかなか頼りになった。

 残り半分の半分は、最初から昏倒していた。こういう連中には、意識を戻すために水をかけた。

 そんなこんなで、どうにかこうにか大通りの騒動が落ち着いたころ、罪深いアロイスとクラウスが帰ってきたのである。


 〇


 凄惨な大通りを目にして、アロイスは言葉を失くしていた。クラウスはさすがというべきか、軽率な表情を崩さない。

 カミラは広場の中央で、疲弊しきっていた。カミラと共に騒動を治めたヴィクトルたちも同様である。喧騒が失せ、静けさを取り戻したからこそ、むなしさが彼女たちの体を重たくした。

 大通りには、人っ子一人いない。怪我人を運ばせたため、残った自警団員も少ない。踏み荒らされた祭りの後に、崩れた屋台と壊れた舞台。楽器も無事に残ったのは、ヴィクトルのバイオリンだけだ。

 悲しみに暮れる楽団員と、自責の念に駆られる自警団たち。フェアラートは広場の隅でうずくまり、気丈なカミラさえ、言葉を紡ぐことができなかった。

 これ以上にない最悪の顛末に、アロイスは息を呑んだ。

「か、カミラさん、ええと……」

 アロイスはカミラに駆け寄ると、どうにかしてかける言葉を探していた。

 だが、どう考えても言い訳のしようはない。レルリヒの跡継ぎ問題を解消するために、犠牲にした結果だった。

「あの――――」

 ためらいがちな言葉の先は出てこず、代わりにアロイスは息を吐く。

 作戦上、大通りの祭りで騒ぎが起こることはわかっていた。

 もちろん、アロイスにとって騒ぎが大きくなることは本意ではない。ヴィクトルたちがどれほどこの日のために尽くしてきたかを知っているし、カミラが楽しみにしていたのも知っている。だから、できれば、さほど被害は出ずに済むように祈っていた。

 だが、結局は想像する中で、最悪の状況を引き当てた。

 逆に言えば、アロイスにはこの現状を、最悪の展開として想像ができていたわけだ。

「……この状況は、すべて私の責任です」

 後ろ暗さが、アロイスに真実を吐かせた。

「私はこうなることを知っていました。知っていて、見逃していました。……カミラさん、私があなたの楽しみを奪ったのです」

「そうでしょうね」

 カミラは静かに答えた。カミラの言葉の真意がわからず、アロイスはおろおろと彼女の顔を覗き込む。

 カミラはうつむいていた。手のひらを握りしめていた。少し、肩がわなないていた。

「あの。私が原因なんです。跡継ぎで揉めていたのはご存知でしょう? それで、祭りを利用したんです」

「そうでしょうね……!」

 震える怒りの声と共に、カミラは顔を上げた。カミラの強い視線を受け、アロイスは戸惑いと驚きにのけぞった。

「そんなことだろうと、思っていました! ずっとクラウスと二人で、こそこそこそこそしているんですから!」

「……気が付いていらっしゃったんですか?」

 アロイスは目を見開き、カミラを見下ろす。怒りに震え、カミラの頬は赤く染まっている。眉間にしわを寄せ、唇を噛み、悔しさを握りしめて憤る姿は、かえってカミラの悲しみを強調させていた。

「なにをする気か知りませんでしたけど! また変なことを考えているだろうって! どうせ、こんな日にも純粋に楽しめない人たちなんだろうって、わかっていました! だから!」

 声を上げながら、カミラはアロイスを睨みつけた。癇癪めいた声は、アロイスに向けられているようでもあり、カミラ自身に向けられているようでもあった。

「だから! せめて戻ってきたときに、気兼ねせずにいられるようにしてさしあげたかった!」


 みんながアロイスを責めないように。アロイスが責められないように。この日のために努力した人が報われて、誰もが楽しみ、自分が楽しめる日を守りたかった。

 でも、とカミラは続ける。

 でも、結局はこの惨状。たぶんこれがクラウスなら、もっとうまくやるのだろう。アロイスなら、もっと的確だっただろう。

「でも、私はなにもできませんでした。それが、悔しくて、悔しくてたまらないんです……!」

 カミラは無力だった。蹂躙されていく祭りを前に、一人でどうすることもできなかった。

 元凶であるアロイスやクラウスたちにも腹は立っている。だけどなにより、『祭りを成功させたい』という、自分の願いさえも叶えられないことが許せなかったのだ。


 アロイスは、震えるカミラの姿を愕然と見下ろした。瞬時に、カミラの非難の意味を理解することができなかった。ただ、その勢いにのまれ、声を失った。

「……私は」

 目の前で、カミラは傷ついている。泣き出しそうな思いを、怒りに変えてアロイスを睨んでいる。その痛ましい姿が、なによりアロイスをすくませた。

 アロイスは立ち尽くし、瞬き、息を吐く。長いことカミラを見つめる。

 そうしてようやく、彼はカミラの激情を理解した。

「…………私は、大変なことをしてしまったんですね」

 顔をくしゃりと歪めると、アロイスは頭に手を当てた。カミラは下を向いたままだ。

 地面には、踏みにじられた花の跡。カミラを見ていることができず、アロイスは頭を振った。

「埋め合わせを――いえ、後日また……」

 ――いや。

 こののち同じ祭りを開いたところで、カミラの気持ちは報われない。カミラが守ろうとしたものは、今日のこの日に他ならないのだ。

 滑稽なほどに動揺しながら、アロイスは糸口を探すように辺りを見回した。絶望的な広場。疲れ切った人々。この日のために努力しながら、なにもかも失った楽団員たち。カミラと、カミラを気遣うニコル。

 それから――。

「――――クラウス」

「あいあい」

 アロイスの呼びかけに、クラウスは軽妙な返事をした。すがるような彼の視線を受け、クラウスは顔をゆがめて笑う。

「まったく、手のかかる領主様だ。お前のその情けない顔に免じて、手を貸してやるよ。この色男に任せなさい」

 めったに見せないアロイスの表情に、クラウスは気をよくしているらしい。この状況にもかかわらず、彼は歌うように言った。

「そもそも、俺のための祝祭だったしな。しゃーねーな!」

 それから、クラウスはおもむろに歩き出す。カミラたちのいる場所からほど近い、段差を登った先にある舞台に一人上がると、そこかしこに転がる壊れた楽器を一瞥する。

 フルート、オーボエ、ドラム。バイオリンの姿はない。これだけ唯一壊れていないため、きちんと箱にしまわれていることを、クラウスは知らない。

 バイオリンがないことは特段気にせず、クラウスは落ちているスティックを拾った。半分に折られた哀れなスティックに、膜の破れたドラムを見つけ、彼はその場に座り込む。そうして、試すようにドラムのふちを叩いてみてから、中央に向けて声を上げた。

「ちびちゃん、おいでおいで」

「――――私ですか?」

 手招きするクラウスに、ニコルが目を丸くした。戸惑いの瞳をカミラに向けるが、カミラだって見られてもどうしようもない。困惑しつつも、クラウスに応じるように言えば、ニコルは不審そうな顔で舞台に上がった。



 折れたスティック。壊れたドラム。そこらへんに転がっていた鍋を一つ。屋台の設営で余った、大きめの木片を一つ。

「なにをするつもりですか」

 ガラクタを並べるクラウスに、ニコルは問いかけた。食えない男の考えることが、ニコルにはさっぱりわからない。この男は「任せろ」と言ったけれど、いったいなにができるというのだろうか。

「お祭り騒ぎだよ」

 言いながら、クラウスはガラクタの前に座り込み、スティックでそれらを軽く叩く。確かめるように一つずつ順に叩いてから、彼は口を曲げてニコルを見た。

「よし、ちびちゃん。歌え」

「はい?」

「ずっと練習に付き合っていただろう。祝婚歌は歌えるな?」

 ニコルは瞬く。理解しがたいクラウスの言葉をゆっくりと頭でかみ砕き、言葉の意味がわかったところで、猛烈に首を振った。

「む、む、無理です! 歌えませんよ! しかも、こんな目立つところで!」

「大丈夫、大丈夫。心配なら、俺が一緒に歌ってやるよ」

「そういうことじゃありません! だいたい、どうして私なんですか!? フェアラートさん――は」

 だめだ。フェアラートはすっかり沈み込み、仲間たちの呼び掛けにも答えない。

「ええと、わ、私じゃなくても、ヴィクトルさんとか、ディータさんとか……」

「男の声なんて誰が聞きたいんだよ」

「でも、じゃあ他の女の人に――――」

 カミラとか、フィーネとか、ミアとか。広場の女性を見やるニコルに、クラウスは肩をすくめた。

「他じゃなくて、ちびちゃんがいいんだよ。言っただろ? あんた、いい声してるの。俺はその声が好きなんだ」

 さりげない言い草に、ニコルはぐ、と唇を噛んだ。当の本人は、ニコルの反応を見もせずに、並べたガラクタを叩き出す。カン、キン、ゴン。不揃いな音が、クラウスの手で軽快なリズムを刻む。

「どうしても嫌なら、仕方ないけどな。そうでもなければ、あんたの声を聞かせてくれ、ニコル」

 クラウスはどこまでも勝手な男だ。

 好き勝手に言い捨てると、一人ガラクタを叩きながら、息を吸い込み歌い出す。男性にしては少し高い歌声は、朗々として美しいけれど――一人きりだと少し寂しい。だって、もともとは五人で奏でるはずの歌なのだ。

 ぐ、とニコルは両手を握り合わせる。何度も聞いた、何度も歌った祝婚歌は、まるで誘い水だ。地下でフェアラートに付き合って、練習をしてきた日々がよみがえる。明るいクラウスの歌声が、ニコルの声を誘っている。

「うう――――お、奥様の! 奥様のためですからね!」

 クラウスは、アロイスに任された。このよくわからない歌も、きっと意味のあること。落ち込むカミラを元気づけるようなことのはず。だからクラウスに手を貸すことは、カミラのためになる、はず。

 決して、自分が歌いたいからとか、声を褒められて嬉しかったからではない。はず。

「奥様のために、歌うんですからね!」

 色づきかけた頬をはたき、ニコルはクラウスの褒めた、よく通る声で叫ぶ。

 クラウスはそれを見て、端正な顔に、心底気に食わない――――花咲くような笑みを浮かべた。


 〇


 ニコルとクラウスの歌声が、舞台上から響きわたる。

 ――今さら歌ったところで……。

 広場で聞いていたカミラは、唇を噛みしめる。クラウスがなにをする気か知らないが、歌一つが壊滅的な現在の状況を取り戻せるとは思わなかった。

 むしろ、二人の歌声が明るいほどに、今のどうにもならなさを際立たせる。

 ――やめやめ! せっかくニコルも歌ってくれているのに。

 忍び寄る暗い気持ちに、カミラは頭を振った。二人は、どうにかしようと歌ってくれているはずだ。カミラばかりが暗い気持ちになってはいけない。

 奮起するように、俯きがちだった顔を上げたとき。


 歌声に誘われたのだろうか。

 カミラは、大通りから広場を覗き込む少女の姿に気がついた。

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