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4(3)-14

 刃が無防備なクラウスの首筋に触れる。

 その気になれば、この剣はすぐにでもクラウスの首を落とすことができるだろう。

 自警団は、クラウスに剣を突きつけている一人だけではない。もともと空き地にいた者たちに加え、ルーカスが背後に数人率いている。

 フランツと違い、ルーカスは直接クラウスに手を出すつもりはないらしい。クラウスに一矢報いさせるだけの距離さえ与えず、駄目押しとばかりに自警団の男で身を固めている。

 ――いや、もはや自警団ではなく、ルーカスの私兵と言った方が良いだろう。この道楽の町には不釣り合いな男たちは、ブルーメではなくルーカスのための手足だ。

「……やっと出てきたな、伯父さん。最後まで部屋でふんぞり返っているかと思ったのに」

「フランツまで惑わされてはたまらん。お前という男は、よくもまあ人をたぶらかす。ゲルダの嫌なところばっかり似ているな」

「人間的魅力ってやつだよ」

 減らず口を叩きながら、クラウスは口を曲げる。なるほど、フランツが落ちたときの保険として、ルーカスが控えていたわけだ。フランツがつつがなくクラウスを仕留められれば、今もルーカスの姿が表に出ることはなかったのだろう。

 用心深いのは、ルーカスの数少ない取り柄だ。自警団もクラウスとの対立も、あくまで表向きはフランツのしたこと。この男が背後にいることがわかっていても、決定的なものを掴めないままここまで来た。

 だが、今の圧倒的な優位性に、彼は少し気をよくしているらしい。クラウスの命はルーカスの手の中。命令一つですべてが終わる。

「その口の上手さで、モンテナハト卿も丸め込んだのか。まったく、無欲なように見せかけて、とんでもなく強欲なやつだ。そんなに当主の座が欲しいのか」

「それは伯父さんでしょう。俺を殺してまで、そんなにレルリヒの家が欲しいのか」

 レルリヒ家は、ブルーメの町で絶大な力を誇るとはいえ、所詮はモンテナハト公爵家の家臣。領地すらもない田舎の下級貴族に過ぎない。

 『レルリヒ家の跡継ぎ』という立場自体に固執するフランツならばまだしも、権力そのものを求めるルーカスには、満足のいくものとは到底思えなかった。

「それに、俺がアロイスを丸め込んだのも知っているんだろう? 俺が死んだら、モンテナハト家と敵対することになるよ」

 クラウスが言うと、ルーカスは「はっ」と鼻で笑った。ルーカスに背を向けたクラウスには、その表情は見えないが、想像するのは難しくない。きっと、心底クラウスを見下しているのだろう。

「モンテナハト家など、おそるるに足らん」

「……相手は公爵家だぞ?」

「だからどうした。公爵家など、私が飲み込んでくれよう。あの愚鈍な『沼地のヒキガエル』など、簡単に懐柔できる。ゲルダにだってできることだ。私にできないはずがない」

 首に触れている剣が、ぴくりと動く。それは、剣が動いただけかもしれないし、クラウスが首を傾けたせいかもしれない。

 ルーカスの姿が見えるように、クラウスはわずかに首をひねる。

「今日の伯父さんは饒舌だな? とんでもないことを言っているとわかっているのか?」

 苦々しいクラウスの視線に、ルーカスは片眉をひそめた。が、すぐに不敵な笑みに変わる。どうせ、この劣勢は覆せまい。クラウスの首は、ルーカスが命じれば簡単に落とすことができるのだ。

 大通りでは、まだ喧騒が続いている。そもそも、この裏通りから目を逸らすために大通りで暴れさせているのだ。クラウスを案じて誰かが戻ってくることはないし、そうさせないように厳命をしてある。

「饒舌にもなろう。今日は記念すべき日だ。不幸な事故でクラウスを失い、フランツがレルリヒ家の当主に決まるのだから」

「それで、モンテナハト家への足掛かりにするってわけ? そう簡単に思い通りに行くわけないだろ。アロイスはあれで、そこまで馬鹿じゃないぞ」

「思い通りにいかなければ――力づくで思い通りにすればいい。そのために集めてきた兵だ。カエル一匹殺す程度、わけがない」

 クラウスの忠告にも、ルーカスは鼻で笑う。

「モンテナハト家も足掛かりにすぎん。私の目的は、こんな田舎にはとどまらん。いずれは王都をも手に入れるつもりだ」

「……そりゃ、夢がでかいや」

 不遜な伯父の言葉に、クラウスは顔をしかめた。

 それはまるで、まるで――――笑うような表情だった。

「でも、夢は夢のままってね。言質取ったぜ、伯父さん――――あんたは、反逆者だ」

 ルーカスは腕を組み、目を細めてクラウスを見た。薄笑いを浮かべるクラウスに、いっそ憐れみさえもはらんだ視線を向ける。

「今さら言質など取ってどうする。お前は、まだ自分が生き延びられると思っているのか? 軟弱な連中は、これだから困る。誰も殺したくないと、人を切りたくないという、この町の連中は」

 言いながら、ルーカスは片手を上げる。その手の動きを、兵たちはじっと見つめた。まるで、指揮棒を持つ指揮者のようだ。彼の手が、兵を動かす意思となる。

「私はそれほど甘くない。秘密を誰に打ち明けることもできず、お前はここで死ぬのだ、クラウス」

 一挙手一投足。クラウスの怪しい動きを見逃すまいと、ルーカスは彼を注視する。

 なにかを隠し持っているそぶりはない。反撃のために身構えるわけでもない。細いクラウスの首を落とすことは、わけのないこと。

「命乞いは聞かん。死に際に言葉を交わしてやったことが、血縁の情と思え。だが、これでしまいだ」

 ルーカスは無慈悲にそう言うと、上げた手をゆっくりと下ろす。

「殺せ」

 ルーカスの指先が、クラウスを指し示す。

 それを合図に、クラウスの首にあてられた剣が動いた。兵が剣を握りなおす。




 ――――この祭りで、仕掛けてくるだろうとは予想していた。

 内通者も想定通り。これまで、さんざんルーカスの手を焼かせてきたのだ。彼は確実にクラウスを殺しにかかるだろう。

 万が一にも、取り逃がすことがあってはならない。クラウスは口が上手い。下手な人間をけしかければ、丸め込まれてしまうかもしれない、とルーカスは思うはずだ。

 そうはさせないためにも、ルーカスは、自分以外の人間に任せきりにはしないだろう。


 ルーカスは必ず出てくる。それも、クラウスの死を確かめるために。

 自身の安全が確保された――すなわち、クラウスの敗北が決まった後に。


 したのは、祭りで仕掛けてくるところまで。

 彼らが行動を起こした後は、こちらの狙い通りに動かすだけ。

 すべてはの内だった。



 クラウスに剣を突きつけていたはずの兵は、当然のようにその刃を鞘に納めた。

 瞬くルーカスを横目に、クラウスはようやく立ち上がる。

「……どういうことだ」

 目の前の状況が信じられないように、ルーカスは呟いた。クラウスは肩をすくめると、薄ら笑いのまま、自分に剣を当てていた兵の肩を叩く。

「こういうことだよ」

 クラウスの言葉を合図としたように、兵は息を吐いた。同時に、息を呑むほどの魔力が溢れ出す。魔力のろくにないルーカスにも、その濃さを肌で感じられる。これだけの力を持つ人間に、彼は一人しか思い当たらなかった。

「……さすがに、半日近くも姿を変えるのは堪える」

「いやいや、さすが。見た目も完璧だし、魔力も漏れてなかったし、ほんと、魔法に関しちゃ化け物だなあんたは」

「おかげでもうほとんど魔力が残っていない。もう少し長引いたら危なかったぞ、クラウス」

 疲弊した顔で立っているのは、ルーカスの兵ではない。だが、ルーカスにも見知った男だ。

 白銀の髪。赤い瞳。王族の特徴を持つその男の存在に、ルーカスは呆然とした。

「――――アロイス、様」

「ルーカス、残念だ。さすがに先の言葉を見逃すことはできない」

 アロイスはルーカスを見据えたまま、深く息を吐いた。アロイスは寛容な領主であるが、さすがに領地に仇なす人間を見逃せるほど寛容ではない。

「どうして……いや、私は……いや。――――いや」

 ルーカスは言い訳の言葉に少し迷ったようだった。なにかを言いかけ、すぐに自ら否定をする。が、それも長い時間ではない。素早く感情を切り替えると、彼は周囲の兵たちを見回した。

「いや――――構わん。いずれはこうなることだった。二人まとめて、殺してしまえ!」

 アロイスとクラウスに向けて指を突きつけ、ルーカスは叫ぶ。

 だが、彼の兵は誰も動かない。無言のまま、視線をルーカスに向けるだけだ。

「どうした? 私の言うことが聞けないのか! 命令だぞ! やつらを殺せ!」

 ルーカスの声は、空き地に響き渡るだけだ。表通りの喧騒も静まり始めた今、彼の声は滑稽なくらいに良く響いた。

 兵たちは動かない。代わりに動いたのは、クラウスの口だ。

「馬鹿だなあ伯父さん。金で釣った相手を懐に入れるなんて」

 ルーカスの私兵は、知より武を推す彼の理念に共感し、集っていたわけではない。

 そのことに気が付いたのは、花屋で出くわした自警団のおかげだ。アロイスと相対し、フランツの命令を捨てて逃げて行った男たち。強い理想を持ってアロイスを説き伏せるでもなく、怯え、媚びた姿が教えてくれた。

 彼らには、理想があるわけではない。利点があるからルーカスに従うだけであり、それよりももっと価値のある相手であれば、身を乗り換えることもやぶさかではない。

 ならばルーカスに付く利点はなにか。

 金や立場だ。特に、町の外から雇った連中は、ただ金のために動いていたといってよかった。

 それさえわかれば、難しいことはなにもない。

「同じことを相手にされるって思わなかったの? 男爵家よりも公爵家の方が、金払いが良いに決まっているじゃん」

「……クラウス。お前が胸を張ることではないだろう」

 呆れたアロイスの視線に、クラウスは肩をすくめる。

 愕然としているのはルーカスだけだ。自らを囲む兵たちは、味方なんかではない。兵の視線は命令を待っていたのではなく、ルーカスを監視していたのだ。

「く……」

 追い詰めたつもりで、最初から追い詰められていたのはルーカスだった。剣を突きつけられたとき、ルーカスが現れたとき、彼の自白を聞いたとき。クラウスはずっと――――ほくそ笑んでいたのだ。

「くそ……!」

 悔しさに、ルーカスの顔が赤くなる。憤りが体をわななかせる。自らの危機よりも、ひどい恥をかかされたことに屈辱を覚えていた。

「くそっ! ならば私は、あいつの倍は払うぞ!」

 怒りの中、ルーカスは叫んだ。思考するよりも先に、声が出る。アロイスとクラウスを指し示し、大声でわめきたてた。

「殺せ! 金なら望むだけやろう! どうした!? 早くあの男たちを殺せ!!」

 兵たちは動かない。怒りに我を忘れた伯父の姿に、クラウスはため息をついた。

「伯父さん、レルリヒの人間のくせに頭が悪いな」

 薄ら笑いを浮かべたまま、クラウスは挑発するように、自らの頭を小突いた。

「もう、あんたに払うことのできる金はないんだよ。あんたにあるのは、あとは長い休みだけだ。野心を忘れて、ゆっくり休むと良いよ」

「……ぐ」

 ルーカスは呻いた。自らを取り巻く視線に顔をゆがめ、憎々しげに唇を噛むと、「くそおおおおおお」と叫び、そのままその場に崩れ落ちた。


 〇


 兵たちは、もとの雇い主であったルーカスとフランツを空き地から連行した。

 彼ら二人は、ひとまずはレルリヒの屋敷へ返され、そののちに処遇を決めることになる。


 去り際、フランツがクラウスに低く声をかけた。

「俺に言った言葉も、全部作戦通りだったのか、兄貴」

 フランツの表情は読めない。悔しがってはいないようだが、怒っているように見える。クラウスへ向ける恨みの視線は変わらず、それでいてどこか、悲しそうにも思えた。

「本心ではなかったってことか。こう言えば、俺は黙ると思ったから、それらしいことを言っただけなのか」

「俺は、お前に嘘を言ったことはないよ」

 クラウスはフランツの視線を受け、彼らしくもないまじめな声で言った。

「俺はお前が努力してきたことも、お前の得手不得手も、俺にはできないことができることも知っている。お前が俺についてくれたらいいと、本気で思っている」

 フランツは口をつぐみ、黙ってクラウスを見下ろした。

 笑っていないときのクラウスは、フランツとよく似ている。ひねくれた性格であっても、根が真面目なところも、二人は兄弟だと思わされた。

「信じられないなら、傍で確かめてみろよ。一年くらい試してみて、それでも信じられないならまた考えればいい。伯父さん二十何年も尽くしたんだ、俺に一年くらい預けてくれてもいいだろう?」

「………………考えておく」

 小さな声でそう言うと、フランツは兵に連れられ、裏通りを去っていった。



 ルーカスもフランツもいなくなると、空き地に残るのは数人の兵と、アロイスとクラウスだけになる。

 大通りの騒ぎは、もう収まったらしい。喧騒は聞こえなくなり、興奮の後の静けさだけが残る。

「おい」

 クラウスは、息を吐くアロイスに呼びかけた。

「付き合わせて悪かったな。さすがに、首に剣を当てる相手は、誰でもいいってわけにいかなかったから」

「いや。これもモーントンのためだ」

 そう言いつつも、アロイスは大通りが気にかかるらしい。どこか落ち着かない様子で、空き地から外に視線を流す。

 いや。気にかかるのは大通りではないのだろう。想像した以上の大騒動の中、カミラが無事であることを心配しているのだ。

 さすがに、領主の結婚予定相手に手を出すほど胆力のある人間は、あの中にはいないだろう。カミラ自身も殴り合いに割って入るほど無謀ではないし、ヴィクトルたちと合流すれば、万が一もない。

 それを分かっていても、アロイスは気がかりなのだろう。

「……あんた、変わったな」

 静かな声でつぶやくと、クラウスはひねくれ切った視線をアロイスに向けた。捻じれた視線には、不服さと不満さと――微かな親しみが隠れている。

 そのことに自分自身で気が付くと、クラウスは苦々しく口を曲げた。それから、おもむろにアロイスへ呼びかける。

「おい、ちょっと手を出せ。軽く上げろ」

 アロイスは不思議そうに瞬いた。が、素直にクラウスに従う。子供じみた従順さだった。

 ――こいつ、友達なんていたことがないんだろうな。

 片手を上げ、なにごとか首をかしげるアロイスに、クラウスは内心毒づく。領地第一で、自己犠牲のかたまりで、無感情なこの男が嫌いだった。

 でも今は、たぶん、そうでもない。

 クラウスは自身の手もアロイスと同じ高さまで掲げると、いたずらっぽく不敵に笑った。

 それから、自分の手のひらを、アロイスの手に叩き合わせた。


 ぱあん、と乾いた音がする。

 跡取り騒動の終わりを告げる、軽快なその音は、春の空に響き渡った。

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