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ヴィクトルたちを探して飛び込んだ広場。バイオリンを掲げるフェアラートに、カミラはすぐに気がついた。
壊れた舞台と、嘆くヴィクトルたちを見て、彼女がなにをしようとしているのかもわかった。
あとはもう、後先を考えなかった。
「あなた、なにしているかわかっているの!?」
フェアラートを下敷きにしながら、カミラは怒鳴りつけた。
普段の彼女のすまし顔は見る影もない。ひどく不安定な表情が、おののいたようにカミラを見上げた。
ヴィクトルのバイオリンは、カミラが押し倒した拍子に、フェアラートの手から離れたらしい。少し離れた場所に落ちているが、拾う者はいなかった。ヴィクトルもミアも、彼の仲間たちも、みんな呆然としたように、カミラとフェアラートを見ている。
「……離して」
表情とは裏腹に、フェアラートの声はひどく落ち着いていた。感情を殺しきったような口調で、肩を押えるカミラの腕を掴む。
「ヴィクトルのためなのよ」
「なにを言っているの」
顔をしかめるカミラに、フェアラートは一瞥をくれた。しかしすぐに逸らし、落ちたバイオリンに視線を移す。
「ヴィクトルにミアはふさわしくないの。だからミアが全部悪いのよ。ヴィクトルに、音楽なんて教えたミアが」
淡々とフェアラートは語る。さほど大きな声でもなく、大通りの喧騒はいまだやかましいのに、妙に鮮明に思えた。
語る内容にも、その口調にも、カミラは違和感があった。
「……祝婚歌をやると言い出したのは、あなたなんでしょう?」
「そうよ。でもミアが悪いの。それで終わりのはずだったのよ」
へっ、とフェアラートは投げやりに笑う。
歪んだその笑みに、カミラはようやく察しがついた。
以前、ヴィクトルたちが自警団に捕まったとき、カミラは密告者がいることを疑った。あのときカミラは、アロイスが一番疑わしく――だからこそ、密告者の存在を否定した。
だけどそう、カミラの疑念は半分正解だったのだ。
「あなたが、自警団に教えたのね。あの地下のこと」
フェアラートは答えない。それは肯定と同じことだ。
ヴィクトルが自警団から解放された後。ミアとの婚約が危ういと話を聞いたことがあった。裕福な商家の息子の不祥事は、誰かが責任を負わなければならない。貧しい職人の子であるミアならば、押し付けやすいとフェアラートは踏んだのだろう。
フェアラートにとって、ヴィクトルの家族の反応は意外だったに違いない。ミアとの婚約解消どころか、音楽を推奨さえしたのだから。
「ヴィクトルの幸せのためよ。ミアは相応しくない。別れた方がいいって、みんな言っていたわ」
「……みんなって誰よ」
フェアラートは薄笑いを浮かべている。それがひどく不気味だった。
「あなた、本気でそう思っているの?」
カミラはくしゃりと顔をゆがめる。たまらなく不愉快だった。フェアラートの口から出た言葉だということが、輪をかけて不快だった。
「こんなことが――――」
言いながら、カミラは周囲を見渡す。
夢を見るように語った舞台。一人一人に合わせて作った衣装。今ではすっかり手になじんだ楽器たち。何度も集まり、いつまでも練習し、待ち望んだ今日という日。
すべて壊れ、乱れた舞台はもう戻らない。フェアラートの仲間たちはうつむき、声もなく立ち尽くす。誰も彼も悲しみ、傷ついている。
ともに集まり、笑い、練習してきたフェアラートが、なにもかも自分の手でしたことだ。
「これの、どこがヴィクトルのためよ……! こんなことして、ヴィクトルが辛い思いをすることくらい、わかっているでしょう!?」
フェアラートの肩を掴む手に、知らず力が入る。その力の強さに、フェアラートはぎょっとしたようだ。無機質な表情に、わずかに人間味が戻ってくる。
「これが人のためだっていうの!? 本気で言っているなら、あんた最低だわ!」
「……私だって」
カミラの怒声に、フェアラートは呟いた。
「私だって、ヴィクトルが傷つくのは見たくないわ。でも、私だけじゃなくて、みんながこうするべきだって言うんだもの」
「だから、みんなって誰のことよ!」
「自警団の人たちが言うのよ、全部ヴィクトルのためだって! 私だってこんな事したくなかったけど! でも、ヴィクトルのためだもの!」
フェアラートの手が、上に乗るカミラのドレスの胸元を掴んだ。強い力でカミラを引き寄せれば、互いに正面から顔を向ける形になる。
「ヴィクトルに幸せになってほしいの! だからやりたくなくても、必要なことだったのよ!! 仕方ないじゃない!」
半身を浮かせ、髪を振り乱し、必死の形相でフェアラートは叫ぶ。
その姿は、常に凛としたフェアラートの面影もなく、ひどく――――見苦しかった。
「私が望んだんじゃないわ! でも好きな人のためなの! あなたならわかるでしょう!?」
「わからないわ!」
フェアラートを見据えながら、カミラは突き放すように断じた。
「私は自分の意思で、自分のために行動してきたもの。仕方がないことなんて、なにもなかったわ!」
その結果が王都の追放でも、不本意な悪評でも、受けるべくして受けたこと。不満はある。納得がいかないこともある。恨み、妬み、腹を立てても、けれど他人を言い訳にはしない。誰に強要されたわけでもない、カミラが選んだ行為の結果だからだ。
ユリアン王子の幸せを願ってきた。それさえも、誰でもないカミラ自身の意思だった。
「誰かに言われたから? 誰かのためだから? 脅されたのでもないのなら、そんなのただの言い訳じゃない。これだけのことをして、自分は悪くないって言うつもり!?」
「だって、みんなが!」
「みんなじゃない! あんたのことよ!」
胸元を掴むフェアラートの腕を、カミラは逆に掴み返した。自分でも異様なほどに力んでいるのがわかる。フェアラートはカミラの勢いにのまれたように、されるがままだった。
「自分がなにしているのか、本当にわかっているの!? 言い訳して、人のせいにして――見苦しい女になりたくないって言ったのは、あんたでしょう!?」
見苦しい女にはなりたくない。醜い姿を晒したくない。きれいでありたい。
はらわたが煮えくり返る言葉をカミラに投げたのは、フェアラート自身だった。
だけど、自らが語る言葉通りに、いつも凛としていて格好良かったのも、フェアラートだった。カミラにはできない恋をして、潔く恋の終わりを受け入れた。そう思えた彼女だからこそ、カミラは腹立たしくて、悔しくてたまらない。
「自分の意思で決めたことでしょう! 自分でしたことくらい、自分で受け止めなさい!」
自分が悪いと思うのならば、償えばよい。悪くないと思うのであれば、それでも構わない。自分に向けられる視線を受けても、胸を張ればよいだろう。
だが、今のフェアラートにはどちらもできない。カミラを掴む手には力なく、すすり泣くように俯いた。
「だって……でも、私だけのせいじゃないわ。みんなこうした方がいいって言って……そそのかされたの。そう、誰にも言われなければ、私だってこんなこと――――」
「もういいわ」
呟くように言い訳を続けるフェアラートを一瞥すると、カミラは短く言った。
「今のあなた、最低に格好悪いわ。――周りを見なさい。自分の仲間がどんな顔をしているかわかるわよ」
荒く息を吐くと、カミラはあたりを見回した。その視線に誘われるように、フェアラートもまた、周囲に視線を彷徨わせる。
壊れた舞台の上。遠巻きにカミラたちを見守るのは、フェアラートの仲間たちだ。
ヴィクトル、ディータ、フィーネにオットー。フェアラートを責めることも、カミラを止めることもできず、暗い瞳を伏せている。
誰よりも今日を楽しみにしていた者たちだからこそ、その失望も大きい。踏みにじったのはフェアラートだ。
ああ――とフェアラートは呻いた。
うつろな瞳を瞬かせ、一人一人順に視界におさめていく。フェアラートにとって、誰よりも長く過ごした仲間たちだ。笑い合い、喜び合い、励まし合って迎えた今日を、なのによりによって、フェアラート自身が台無しにした。
こうなることは、フェアラート自身わかっていた。仲間たちがどんな顔をするか、想像ができたはずだった。
でもヴィクトルのため。みんながそうした方が良いと言うから。
だから悪くない――――そう言って胸を張ることはできなかった。
ただ、みんなの失望が痛かった。




