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仕掛けてくるのは予想通り。
内通者も、一人二人はいることは想定内。花屋の一件で自警団が先回りしていたあたり、早いうちに情報が出回っているということは予測できていた。
時期や流出した情報から見て、素人楽団か、その身内であるミア。六人のうちの誰かだろうとも目星がついていた。
内通者は一人だけなのか、それ以上いるのかまでは、さすがに判断がつかなかった。あるいは全員が、フランツたちの手がかかっていることも覚悟していた。
地下へはよく潜っていたが、いつだって気を抜くことはできなかった。五人の友情や熱意に感動したのも嘘ではない。それでも心のどこかで、常に疑惑を抱き続けてしまうのは、レルリヒ家に生まれた性だろう。
あの中で信頼しても問題ない相手は、アロイスかカミラ、それにニコルくらいだった。
なにかと言い訳を付け、必ず三人のうちの誰かを傍に置いていたのは、そのためだ。
ここしばらく、クラウスは慎重に慎重を重ねてきた。
決して一人にならないようにした。短い時間も単独行動は避け、できるだけ人の多い場所にいるようにした。伯父からの誘いには決して乗らなかった。部屋へ呼びつけられても、なにかと理由を付けて避けてきた。
フランツとだけは、会話をした覚えがある。それだって、『一人で来るように』という言葉を真っ向から破って、護衛を何人も引き連れていった。
守りの固さに、叔父たちは辟易していただろう。だが、彼らとしては、今日の祝祭を成功させるわけにはいかない。『クラウスの跡継ぎ決定を祝う』という名目なのだ。町の住人に、クラウスの優位性が決定的に知れ渡ってしまうし、なによりも彼らの自尊心が許すまい。
クラウスがわざとらしく、伯父たちとは正反対の『楽しさ』や『明るさ』を打ち出してきたのも、あの短気な伯父を挑発するためだ。
さぞかし焦れったかっただろう。歯痒かっただろう。目障りなクラウスを、早く始末したかっただろう。
そろそろ、しびれを切らすころだと思っていた。
想定は、ここまでだ。
〇
聞こえてくるのは、誰かが怒鳴り合うような喧騒と、物をひっくり返したような騒音だ。自警団の若者たちやヴィクトルが、慌てて元来た道を駆け戻る。
クラウスもまた、彼らを追って広場へ戻ろうとした。真っ先に空地へ入ったせいか、出て行くのは最後尾。どうやらカミラも同じ状況らしく、ほぼ同時に空地を出るところだった。
「クラウス!」
カミラはクラウスに気が付くと、焦りを含んだ声で呼びかけた。
「アロイス様を知らない!? ずっと見てないの! ここにも来なかったし、まさか、巻き込まれているんじゃ……!」
自分でそう言いながら、カミラは青くなっていく。純粋にアロイスの身を心配しているのだ。
思えば少し前まで、広場でアロイスを探すカミラの姿を見かけていた。いつもいつも一緒にいるわけでもなし。別々の行動も多い二人だ。多少引き離しても問題ないと思っていたが――カミラは思いのほか、見ている。
「カミラ、あいつは――――」
裏表なく、カミラに身を案じられるアロイスが羨ましくもあり、必死なカミラへの罪悪感もあり、クラウスはカミラから視線を逸らしつつ口を開く。
逃げるような視線の先は、どこに向かうでもない。ただ、当てもなくさまよわせただけだ。
だが、そこでクラウスの言葉は途切れる。思わず息を呑み、それを誤魔化すようにため息をついた。
「カミラ」
クラウスはカミラを見ないまま言った。視線は空き地へ向けられ、物陰を注意深く見つめている。
「あんたは先に行ってくれ」
「……なに?」
「俺はここで、もうちょっと調べたいことがある」
クラウスの口調が、彼らしくもなくまじめなことに、カミラは気が付いたのだろう。彼女は大通りへは行かず、いぶかしげにクラウスを見やった。
「どうしたの」
「いいから。あんたは広場の方を見てやってくれ。あっちはあっちで大変なことになっている」
横目でカミラに視線を流すと、クラウスは神妙な声で言った。
「広場はあんたが解決してくれ、カミラ。あんたの他に任せられる人間がいないんだ」
卑怯な言い方だとは、クラウス自信も自覚している。こう言えばカミラは、察しもするし、責任も負ってくれるだろう。
実際、カミラは忌々しげにクラウスを睨むと、唇を噛みつつもうなずいた。
「なに考えているのかわからないけど……わかったわ」
「ありがと」
クラウスの軽率な礼に、カミラは顔をしかめるだけだった。だけどそれ以上追及することもなく、振り向くこともなく空地を去り、大通りへと走っていく。
その背中を、クラウスは笑うように顔をしかめて見送った。動きにくいドレス姿で、高慢そうにドレスの端をつまみながら、泥臭く走る彼女の姿がおかしかった。
くすりと小さく笑みをこぼすと、クラウスは息を吐く。
それから息を吸う。
「フランツ、はかりごとが上手くなったな」
いつものように軽率に言うと、クラウスは肩をすくめた。雑多なものであふれた空地の影から、フランツの自警団たちが現れる。
要するに、誘い出したいのはクラウスだったのだ。広場にいるクラウスを、どうにかして人気のない場所まで連れ出したい。人気のない場所で、クラウスを一人残したい。だから二度、騒ぎを起こす必要があったということ。
もちろん、広場の方で騒ぐことにも意味はある。そもそもフランツたちは、祭りの実行自体を許すわけにはいかないのだ。
ただ、祭りを邪魔するだけではない。大げさに騒ぎ、大きな音を立てるのは、祭りの準備をめちゃくちゃにするとともに、町の人々に恐怖を植え付けるためだ。せっかくの準備を水の泡とすることで、参加者側も懲りる。もう祭りをしようなんて人間はいなくなるだろう。
腹が立つ。だがこの状況で、今さらどうしようもない。カミラを追い出してよかったと自己満足に浸るか――。
「愚直なお前にしてはやるじゃん。回りくどくて、俺好みだ」
せいぜい、強がってみせるくらいだ。
意地悪く笑いながら、クラウスは自らを囲む人間たちに顔を向けた。
クラウスを取り囲むのは、ほんの五人程度だ。
大通りの騒ぎの方に人を割いたせいか。それとも他に隠れているのか。さほど多いとは言い難い。
だが、武術の心得がないクラウスには、五人は絶望的な人数だ。まっとうにやって勝てるはずはないし、こうも正面から相対すれば、卑怯な手を使っても勝つことは難しい。空地の出口もいつの間にかふさがれている。逃げることさえもできそうにない。
クラウスは頭を振ると、五人の中の一人に目を向けた。目に映るのは、長年顔を合わせてきた、よく知った男だ。
クラウスによく似た、明るい茶色の巻き毛の男。だが、クラウスよりも背が高く、肩幅も広い。無骨さの中に垣間見える、どこか神経質そうな表情は、彼のすっかりひねくれきった性格を表しているのだろう。
「兄貴、相変わらずの減らず口だな」
フランツはそう言って、にやりとねじれた笑みを浮かべた。それから、おもむろにクラウスに向かって歩いてくる。
「その口」
クラウスは反射的に身構えた。殺されまい、と思ったのは、身内の甘えだろうか。ろくなことを考えてないだろうと想像しつつも、フランツが目の前に来るまで、クラウスは逃げようともしなかった。
それが良くなかった。
「ずっと塞いでやりたかった」
フランツはクラウスの前で立ち止ると、息を吐くようにクラウスの頬を殴りつけた。
不意に横っ面にぶつけられた力に、クラウスは立っていられない。受け身も取れずに倒れたクラウスに、フランツは馬乗りになると、襟首をつかみ上げた。
無理矢理顔を突き合わされ、憎悪のこもった視線を真正面から向けられる。
「なんでまだ生きてんだよ、あんた」
「お前への嫌がらせのためだよ」
冷たく吐き捨てるフランツの言葉に、クラウスが嘲笑を返した。
フランツが生まれてから十九年。クラウスが死に損なってから十年。
こじれた二人の生まれてはじめての兄弟喧嘩は、ひどくいびつで剣呑なものだった。




