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4(3)-6

 地下を出た後、カミラはアロイスと共に、今度は花屋へ向かっていた。

 クラウスとニコルは、地下へ居残りである。クラウスはヴィクトルたちに指導を付けるため。ニコルはその指導に付き合うよう、クラウスに強要されたためである。

 どうにもクラウスは、ニコルに歌わせたいらしい。ニコルは典型的なモーントン領の人間で、娯楽のたぐいに抵抗を感じているようだが、クラウスの手練手管な口車に乗せられて、ここ最近はよく付き合わされていた。

 そういうわけで、久々のアロイスと二人きりである。


 町では相変わらず、遠くから下手な讃美歌が聞こえてくる。

 雪道に人通りは少ない。アロイスと二人並びながら、カミラはいくらか気まずい思いで、雪の上に足跡を残していた。


 ブルーメは花と香水の町。ただし、名産はあくまでも香水のほうなので、花はその原材料に過ぎない。花単品を扱う店もそう多くなく、その中でも祭りに協力してくれそうな店は、クラウスが目星をつけてくれた数件だけだった。

 そもそも、目に鮮やかな花自体も、娯楽ではないかと言う人間もいる。道端の花や、植木の花まではそこまでうるさく言われなくとも、花束や花輪を編む花屋は、あまり良い顔をされない。

 それを言うなら、香水ももちろん嗜好品なのだが、ブルーメで作る香水は、ブルーメには卸されない。ほとんどは領外に売られ、モーントン領内では、一部の貴族や豪商しか手に取らない――という建前になっている。

 要は、大っぴらに商売ができないというわけだ。


 その数少ない店までは、いましばらくの距離がある。

 並んで歩いている間、アロイスも言葉をかけかねているらしく、少しの無言が続いていた。

 思えば、アロイスと二人きりになるのは、温室以来である。ひどい泣き顔を見せてしまったカミラのばつが悪いのはもちろん、アロイスの方も、なにかと思うところがあるのだろう。

 なにせ、アロイスは現在カミラに求婚中だ。婚約を考えてほしいと言った相手が、別の男のために泣いている姿を見て、なにも考えずにはいられないだろう。アロイスはよく、カミラの泣き言に付き合ってくれたと思う。

 だからカミラは、アロイスのその優しさに、きちんと誠意を返さねばならない。

「…………アロイス様」

「はい」

 カミラの遠慮がちな呼びかけに、アロイスは答えた。歩きながら、自分を見上げてくるカミラの渋い顔に、アロイスは少し戸惑っているらしい。

「どうかされましたか?」

「ええとですね。先日はありがとうございました。お見苦しいところをお見せして……」

「ああ、いえ」

 そう答えながら、アロイスは視線を逸らす。なんと答えるべきか迷うように、雪の町を遠く眺めた。

「私、ユリアン殿下のことが好きでした」

「ええ。存じております」

「アロイス様との結婚も、不本意でした。なんで私が、よりによって殿下の命で、と」

「……存じております」

 カミラの言葉を、アロイスは無機質な声で受け止める。

 態度からして、あからさまだっただろう。カミラは最初から、アロイスとの結婚を拒んでいた。容姿だけではなく、アロイスと――ユリアン王子以外の人間と結婚することが気に食わなかった。

「見返してやろうと思っていました。殿下や、私を追放した人たちを。そのために、アロイス様を利用する気でいました。……謝らないといけません」

「…………そうだろうと思っていました」

 アロイスは息を吐くと、小さな声でそう言った。それから、アロイスを見上げるカミラに、安心させるように柔らかく笑んで見せる。

「だから私を、痩せさせようとしていたんですよね。なんとなく、わかっていました」

「責めないんですか?」

 恐る恐る尋ねるカミラに、アロイスは首を振る。

「カミラさんがそう思うのも、無理はないことですから。それに、お話ししてくださったということは、今は違うのでしょう?」

 優しい言葉に、カミラは口を引き結ぶ。アロイスは腹を立てるそぶりもなく、わずかに悲しそうに、眉を寄せるだけだ。

 今は――どうなのだろうか、とカミラは思う。

 今もまだ、カミラはアロイスを痩せさせたい。

 以前よりずっと痩せたとはいえ、まだまだ贅肉は多い。肌荒れも、アインストで軟膏をもらって以降は、かなりましになった。吹き出物の跡が残るかと思っていたが、意外とそういうこともなく、かなりきれいに治っている。食事は濃すぎる味付けのままだが、食べる量も人並みか、それよりいくらか多いくらいにまでなった。

 濃い味付けは止めて、きちんと美味しいものを食べさせたい。贅肉は筋肉に変えたい。肌をきれいに治したい。服装は、もう少しだけ洒落たものを着せたい。

 そう思うのは、誰のためなのだろう。

「アロイス様、私、もう一つ謝らないといけないことがあります」

 わからないまま、カミラはため息のようにつぶやいた。

「婚約の話。もうしばらく返事を待っていただきたいんです」

 そう言いながら、罪悪感でもってアロイスを見れば、彼もまた居心地の悪そうな顔だった。お互いに眉をしかめあい、どこか困ったような顔をしている。

「……春に、殿下が結婚するまで。それまでに、きちんと考えますから。自分のことや、これからのことも」

「ええ」

 アロイスは困った顔のまま、苦笑するように顔をゆがめた。自制心の強いその表情は、なにか思うところがあるだろうに、感情を悟らせない。

「いつまでもお待ちします。カミラさんの、満足の行くようにお考えください。私にはそれが一番です」

 それは、カミラにとってひどくありがたい言葉のはずだった。

 カミラのこれまでの身勝手を許して、返答を待たせるカミラのわがままも認めて、責める言葉の一つもない。

 ありがたいのに――息苦しい。抑圧的なアロイスの顔に、カミラは既視感がある。

 いつだったか、クラウスを見たときに、アロイスに似ていると思った。その理由がこれだ。

 ――他人本位がすぎるんだわ。

 クラウスにとっては、自分よりもフランツが。アロイスにとっては、自分以外の――もしかしたら、。自分よりも大切になってしまっている。

 他人のために、我慢をする。他人のために、自分の犠牲は惜しまない。他人を困らせるようなわがままも、不満も、だからこそ口にしない。

 そんな印象を受けてしまった。




 む、とカミラは唇を噛む。両手を握りしめる。

 そして、アロイスの感情を殺した顔を、睨むように見た。

「わかりました!」

 カミラの思いがけない表情に、アロイスが面食らう。「どうしました?」と尋ねる

「私の謝罪はここまでです。ここからは、別の話!」

 ぱちんと手を叩くと、カミラは沈んだ空気を断ち切るように、強い声で言った。アロイスが戸惑っている。

「アロイス様、お祭りは楽しいものなんです」

「は……はい?」

「成功させましょう! アロイス様にも、必ず楽しんでいただきます!」

 アロイスは瞬く。突然のカミラの言葉が、なんのためなのかわかりかねているのだ。

「楽しくて仕方がなくて、後でもう一回やりたいって、わがままを言わせてみせますわ!」

 アロイスに顔を向け、指を突きつけて見せる。そんなカミラを、アロイスは呆気にとられたように見ていた。

 カミラは自分勝手だ。さんざんアロイスを利用しようとして置いて、親しくなると罪悪感も抱く。悪いと思ったら謝ってしまえるし、許してくれる相手の好意も、簡単に受け取ってしまう。それでいて、自分の好意も、強引に押し付けることができる。

 すぐに腹を立てる。すぐに反省する。懲りずに同じことをやらかす。反発されて、うっとうしがられて、敵対しても、変わることはできない。

 カミラはわがままだ。

 だからこそ、アロイスにももっと自分の望みを言えるようになってほしい。

「カミラさん」

 アロイスは困ったように笑った。遠回しなカミラの内心を、見透かしているようだ。その苦笑が、本心なのかどうかはわからない。

 ただ、少しだけ、眩しそうに見えた。

「あなたは、春の日差しのようです。雪を解かす、太陽のよう」

「えっ」

 気取らないアロイスの言葉に、今度はカミラが面食らう。

「まばゆくて、とても強い。私のわがままは、きっとあなたなんです」

 ぐ、とカミラは喉を詰まらせる。ぐぐぐ、と少しうなってから、カミラはアロイスから顔を逸らした。無意識に、歩幅が大きくなる。

「そういう言葉を、どこで覚えてきたんですか」

 まるで、口説き文句のような。クラウスが口にすれば、鼻で笑うような言葉なのに、まじめな顔でアロイスが言うのは、少しばかり卑怯だ。

「お嫌でしたか?」

 早足で進むカミラに、アロイスが慌てて付いてくる。


 カミラは険しい顔で前を向きつつも、頑として答えなかった。

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