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 そうなると、次は『三、運動をする』だろうか。


 正直、あの巨体が運動する姿をカミラは想像ができない。ほぼ樽と変わらない体型で、歩いていることが不思議になるくらいだ。アロイスが重たげに歩くとき、彼の周囲はかすかに揺れる。はじめのうちは地震かと怯えていたカミラも、今では本物の地震のときさえ、「ああ、アロイスが歩いているのだ」と思うようになってしまった。

 しかし、痩せるためには運動は不可欠。しかも、テレーゼが羨むような男にするためには、適度な筋肉も必須だ。動かざる山を、動かさざるを得まい。


 ○


 アロイスとカミラが対面するのは、だいたいが食事の時だった。

 食事の時と言っても、アロイスは四六時中ものを食べている。その中で一緒に過ごすのは、常識的な食事の時間。すなわち、朝、昼、夜と茶会だ。

 もっとも、アロイスとカミラの生活はそこまで合わない。カミラは半客人扱いのため、日々ほとんどすることがないが、公爵であるアロイスはなにかと予定が入るのだ。

 そんな中で、茶会の時間だけはどうにかしてカミラに合わせてくるのは、アロイスなりに気を使ってのことなのだろう。


 そんなところに気を遣うくらいなら、体型に気を使ってほしいとカミラは思う。



「アロイス様は、体を動かす趣味はお持ちです?」

 よく晴れた日の茶会で、カミラは尋ねてみた。直球で「運動しろ」と言わないのは、カミラなりの工夫である。カミラだって学習するのだ。


 今日の菓子は、砂糖を塗り固めたケーキだ。スポンジもクリームもすべてが砂糖の味しかしない。一切れ食べて早々にギブアップしたカミラをよそに、アロイスは大きな塊を食べている。

「体を動かすのは、私は苦手で。趣味は本を読むことですかねえ」

 アロイスは期待を裏切らない。答えはカミラの想像した通りだった。

「貴族のたしなみとして、乗馬や剣術くらいはされませんの?」

 ゾンネリヒトの貴族は、たいてい騎士と同義である。もちろん前線に出て戦うのは、下級貴族やさらに下の、腕の立つ庶民である。だが、名目上は騎士として、戦争があれば戦いに赴く。そのための馬であり、剣術だった。

 公爵ほどの身分となると、さすがにそこらの貴族と一緒にはできないが、まあ剣も馬も習うものだ。領地が侵されたときは、一応は指揮官となるのだし、そんな人間が馬にも乗れなければ話にならない。

「おそらく、昔はやっていたと思うのですけれども……」

 アロイスは困ったように頭を掻いた。昔というと、痩せていた時だろうか。そんな時期があったのだろうか?

 生まれたとき以外はすべて太っていそうだと、カミラは胡乱な目を向ける。

「もう一度してみたいと思いません? 体を動かすと気持ちが晴れるでしょう?」

「いやあ、私は…………」

 もごもごと言い訳のような言葉を口にしながら、アロイスは目を逸らした。それから少し瞬きして、ふと思い出したようにカミラを見る。

「そういうカミラさんこそ、なにかご趣味はあるんです?」

「え」

「思えば、そういう話を伺ったことがなかったもので」

 ――たしかに。

 アロイスとカミラの普段の会話は、主に食べ物に終始している。カミラはアロイスの食事を止め、アロイスが必死に言い訳をする。そればかりだ。それもこれもすべてアロイスの、どうしても目に入る体型が悪い。あの体を見ると、普通の男女がするような、趣味やら家族やら、最近の出来事やらの話をする気がなくなってしまう。

 だが、この質問はカミラの口を淀ませるものだった。対人用のカミラの趣味、観劇や刺繍などと言う回答も、不意打ちのせいで咄嗟に出てこない。

「…………り」

「り?」

 ぽろりと出たカミラの言葉を、アロイスが繰り返す。そこで初めて、カミラは自分の失言に気が付いた。

「あ、いえ、私の趣味は別に、いいじゃないですか。面白い話でもないですし!」

「そんなことはないですよ。カミラさんの話でしたら、なんでも伺っておきたいんです」

 カエルのくせにぐいぐい来る。巨体が身を乗り出したおかげで、テーブルが傾き紅茶のカップが滑る。慌ててカップを取り上げて、カミラは目を泳がせた。

「屋敷にいる間は退屈でしょうし、ご趣味があれば気も紛れるでしょう。必要なものがあれば準備もいたしますよ。ぜひ教えてください」

「いえ、いえいえいえ! お気になさらず!」

「ご遠慮なさらなくても結構ですよ」

 テーブルを挟んで、アロイスの顔がぐっと迫ってくる。上天気の下、暑い日でもないのにアロイスの顔は湿っていて、近づくとその熱気を肌に感じる。

 思わずカミラは目を逸らした。逸らしてもアロイスの巨躯は目に入るし、逆光のせいか妙な威圧感さえある。そして、その威圧感でもって「ぜひ教えろ」と迫るのだ。

 ――ぐぬぬ……。

 内心でカミラは唇を噛む。この男、どうしても引きそうにない。趣味から切り出そう、などと余計な知恵を働かせたのが、そもそもの運の尽きだったのだろうか。

 ――致し方ないわ。よりは、こっちの方がまだましだもの。

 深く息を吐くと、カミラはついに観念した。

「…………料理をするんです」

 罪を告白するような心地で、カミラは小さく呟くように言った。

「あまり、大きな声では言えないのですが――――その……普通の、お菓子とか、食事とか……料理をするのが好きなんです。伯爵家の娘としては、はしたない趣味でお恥ずかしいのですが…………」


 ゾンネリヒトでは、料理を貴族がすることはない。料理は命を切り、血に触れる仕事だ。血に触れるのは男の仕事。その中でも、死体を刻むのは下層の男のすることだった。

 貴族の男たちは馬を駆り、狩りに出たとしても、必ず侍従を連れて行く。貴族の狩りは、獲物を仕留めるところまで。その後の血抜きや解体は、侍従に任せるのだ。

 血に触れない菓子やパンを作ることも推奨されない。料理をする厨房に入ることも不浄であるし、なにより火や刃物に触れること自体、貴族の娘のすることではないのだ。

 もちろん、平民はこの限りではない。男も女も料理をする。菓子も作る。料理人にだってなれる。それを、咎められることもない。

 カミラの趣味が目覚めたのは、彼女がまだ七つのころ。悪い侍女にそそのかされ、こっそり厨房で菓子作りを手伝ったのが最初だ。作ったのは他愛もないビスケット。それを人に食べさせたのが、すべての始まりだった。

 もっとも、この一件でカミラはさんざん両親に眉をひそめられ、テレーゼにはいまだに笑われている。大昔のことを引っ張り出してまで、『カミラ従姉ねえさまったら、むかし料理なんてされましてよ。ご不浄が身に染みていないようにお祈りしてますわ。祈り続けているのに、天には届いていらっしゃらないようですけれども』なんて言われ続けたら、趣味も恥じるようになるものだ。人前では絶対に言わない、やらないを心に決めていた。

 が、どうにもカミラは咄嗟のことに弱い。上手い誤魔化しの言葉が出なくなる。それが悪役として、王都を追放された一因でもあるのだ。


「料理ですか」

 アロイスは、しかしたいして気にも留めたようでもなくうなずいた。

「いい趣味ですねえ」

 彼の言葉が、本心であるのか嫌味であるのか、カミラには即座に判断が付かなかった。相手がテレーゼであるなら、「いい趣味」なんて馬鹿にしてるとしか思えないが、相手はアロイス。見た目からしていかにも愚鈍なアロイスが、そんな含みのある事を言うだろうか。

「……本当に、いい趣味だと思われます? あまり、その、貴族として褒められた趣味ではないでしょう?」

 カミラが疑い半分に尋ねてみれば、アロイスは首をひねった。それから少しして、「ああ」と納得したようにつぶやく。

「ここは食事を愛するモーントン領ですよ。王都ではあまり褒められた趣味ではなくとも、この土地は違います。美味しいものを作ることのできる腕は、誰であっても称賛されます」

「……貴族の娘でも?」

「もちろんです。貴族も平民もありません。料理はたしなみであり、美徳です。誇ることはあっても、恥じることはありませんよ」

 カミラは口を閉じ、無言でうつむいた。いつも人目を忍び、こそこそ隠れてしていた趣味を、同じ貴族の人間に認められたのは初めてだ。

 ――こ、こんなカエル男に言われても、私は別に……!!

 うれしい。

 うれしいと思ってしまうのが悔しい。

 見た目はあれだし、弱気だし、愚鈍そう。だけどちょっといいところあるじゃないか、などと思ってしまう単純な自分自身に、カミラは首を振った。

 ――い、いえ、こんなことで懐柔なんてされるもんですか……!

「屋敷の厨房は、いつでもお貸ししますよ。もしなにか作られましたら、ぜひ私にも食べさせてください」

「お召し上がりになっていただけるのです? え、ええ、こちらこそぜひ!」

 頬を手で押さえ、反射的にカミラはそう答えていた。

 だって、人に食べてもらえるとは思っていなかったのだ。カミラが王都で暮らしていたころは、お得意先というべきか、当てはあった。だが、今はもう遠い土地。カミラは料理の趣味を、永遠に封印する覚悟さえしていた。

 作ることも好きだけれど、やはり食べてもらえればこそ。

 ――ビスケット、捨てようとしてごめんなさい。

 料理をする人間がしてはいけないことだった。カミラは内心で謝罪すると、うれしさをかみ殺すように、口を結んで顔を上げた。

「楽しみにしていますよ」

 アロイスはいつも通り穏やかに笑って、カミラにそう告げた。

 さぞやよく食べてくれそうだ、などと思っていたカミラは、その時はまだ気付いていなかった。


 ○


「これ以上食べさせてどうするのよ――――!!」

 アロイスと別れてしばらく。すっかり日も暮れたころに、カミラはやっと気が付いた。

 痩せさせるつもりが、危うくさらに肥えさせるところだった。

「く、口車に乗るところだったわ……カエル男のくせに!」

 不覚。あんな愚鈍そうな男に丸め込まれるとは。

 いや、しかしここで気が付いたということは、まだ丸め込まれきってはいないということ。

 ギリギリ、どうにか、カミラの方が賢かったと言える――だろうか?

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