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「クラウス、お前はなにを考えているんだ!」
地下からレルリヒ家の屋敷へ帰った後。クラウスの部屋で、アロイスは叱るようにそう言った。
「自分がどういう立場にいるか、分からないわけではないだろう? それなのに、お前は無防備に一人であっちこっち歩き回って……!」
言いながら、アロイスは頭に手を当てる。眉間にしわが寄っていることが、自分自身でもわかった。
「ああ、あんたが今日ついてきたのって、そういうこと」
しかし、当のクラウスは涼しい顔である。余裕めいた表情を崩さず、お気に入りの長椅子に深く腰を掛け、足を組む。
不遜な態度から向けられる視線は、嘲笑にも似ていた。
「責任を感じているんだな。俺が死んだら寝覚めが悪いから。お優しくて、立派な領主様だこと」
む、とアロイスは口をつぐむ。図星だった。
アロイスは、クラウスを跡継ぎに推したことを後悔していない。能力を見ても、人柄を見ても、彼がその座に就くのは当然だと思っていた。
だが、アロイスの選択は、優勢だったはずのフランツの立場を危うくした。
モーントンの領主であり、レルリヒ家の主人でもあるアロイスの意思なのだ。レルリヒ家の現当主・ルドルフには、その意志に逆らうことはできない。クラウスの時期当主の座は、ほぼ確定と言っていいだろう。
フランツを次期当主と見て、彼と懇意にしていた者たちにとって、この情勢の変化は痛手だった。今さらクラウスに寝返ることもできない。そもそも、つかみどころのないクラウスは、取り入ることの難しい相手だ。
御しにくいクラウスより、どうにかしてフランツを頭に据えたい。そう思う連中が、連日アロイスの元へ押しかけては、説得を試みていた。
だが、フランツ派の人間は、そういう行儀のよい者たちばかりでもない。説得をするよりも、単純でわかりやすい方法を取りたがる人間はいるものだ。
特に、クラウスとフランツの伯父であるルーカスは、『知より武』というアインストの思想に傾倒している。力技は望むところだろう。
――だというのに。
「お前は、どうしてわざわざ目立つような真似をしたんだ。それも、『跡継ぎ決定記念』の祝祭なんて、挑発しているようなものだろう」
「そりゃあね。挑発してるんだもん」
当たり前のように告げられた言葉に、アロイスはますます眉間の皺を深める。
「このままだと、この先ずっと狙われ続けそうだからね。早めにけりをつけたいでしょ」
「お前はまったく……なんて命知らずな」
「そんなことないよ。俺はあんたと違って、命が惜しくないわけじゃない。ちゃんと考えてる」
「しかし……」
考えて身が守れるわけでもあるまい。相手は同じ家の身内だ。どこにいたって何をしていたって、監視されているようなものだろう。
自警団の問題だってある。レルリヒ家は知恵者が多い分、力には弱い。自警団という私兵を持つルーカスとフランツに、まともに当たっては勝てないだろう。
心配するアロイスを、クラウスはしかし鼻で笑った。彼は自らの頭を指先で小突くと、「大丈夫」と不敵に言ってみせる。
「安心しろよ。俺はあんたより頭いいからさ」
クラウスの言葉は、あまりにも自信家で、アロイスに向けるには、あまりにも無礼だった。
だが、それ以上に――――奇妙なくらい説得力があった。
少しの沈黙のあと、アロイスは諦めにも似た息を吐いた。
「――――そうだな。お前の言う通りだ」
そうまで言われては、もうアロイスには苦笑するほかにない。
馬鹿馬鹿しさにも似た気持ちで額に手を当て、頭を振ったとき。アロイスは眉間の皺が消えていることに気が付いた。
「お前を信じよう、クラウス。私もできる限り協力する」
「言ったな? 限界まで扱き使ってやるよ」
からかうようなクラウスの言葉に、アロイスは生真面目に頷いた。
「かまわない。ただ――――」
アロイスは一度、クラウスから視線を外す。どこを見るわけでもない。強いて言うなら、地下からの帰り道。記憶の中にある、足取りの軽いカミラの姿を眺めていた。
「祭りをするなら、台無しにするような真似はしないでくれ。ヴィクトルたちを落胆させることになるし――――彼女も、楽しみにしていた」
「……他人のことばっかりだな、あんたは」
クラウスは鼻白んだ様子でそう言うと、呆れ交じりの息を吐いた。
〇
そんな男たちのやり取りなどつゆ知らず、カミラは浮かれていた。
祭りなんて久しぶりだ。モーントン領では祝祭の類が禁じられているから、王都にいたとき以降――半年以上ぶりの祭りということになる。
クラウスの祝祭というのが気に食わないが、それを差し引いても楽しみで仕方がなかった。
王都で開かれる祝祭は、建国祭に、春の到来や収穫の宴。王や王妃の誕生日に、偉大なる歴代王の生誕も祝ってきた。
偉大なる歴代の王たちの生誕は、少しばかり仰々しくて堅苦しい。だいたいが武勲を立てた王だからか、どことなく物々しい雰囲気がある。広場で剣の試合が開かれ、剣舞が披露されるその祭りは、少年たちが好んでいたのを覚えている。
王家の誰かの誕生日であれば、もっと雰囲気は明るい。カミラは特に、王妃のような女性の王族の生誕祭が好きだった。女性の王族の生誕には、彼女たちの好きなもので町を飾る。歌が好きなら楽隊がそこかしこに立ち、踊りが好きなら町中が舞踏会になる。見た目にも華やかで、色とりどりの鮮やかな花や布が、町中を飾り立てていた。
とはいえもちろん、カミラのような貴族の娘は、町中の庶民の祭りに堂々と出かけるわけにはいかなかった。騒ぐ町並みを、いつも馬車の中から眺めるだけ。笑い声を上げる人々の姿を羨みながら、王宮へ向かったことを思い出す。
王宮でも、もちろん祝祭は開かれている。生誕祭の主役である王族がいて、直接に祝辞を述べ、褒めたたえることを許される。同じ場所で生誕を祝えるのは、貴族だけの特権だ。
だけどそれは儀礼的で、厳かでかしこまったもの。他の貴族の目を気にし、言葉一つに気を遣う、華やかだけれど胃が痛むものだった。
だけど今度は、カミラも町中の祭りに行けるのだ。
しかも、その祭りを作り上げる側だなんて、それはもう楽しみで楽しみでたまらない。
娯楽を禁ずるモーントン領。クラウスから祭りの話が出たとき、領主たるアロイスは、祭りと聞いて顔をしかめたが、「駄目だ」とは言わなかった。
それはつまり、「目をつむる」ということに他ならない。これはもはや、領主公認と言っていい。要するに、好き勝手にやっていいということだ――とカミラは都合よく解釈した。
「そんなに楽しいものなんですか?」
部屋に戻っても、浮足立ったまま戻らないカミラを、ニコルはピンとこない様子で眺めていた。
生まれてこの方、ニコルは祭りというものを知らなかった。ニコルの出身であるファルシュの町は、山間の隔絶された土地にあり、外から娯楽が流れ込んでくることもない。ブルーメみたいな呆れた享楽主義者もいなければ、娯楽に触れる機会さえなかった。
ニコルだって、『楽しい』という気持ちがわからないわけではない。兄弟と話をすることは『楽しい』。カミラの髪を思い通りに編めているときも『楽しい』。だけど、それと娯楽の違いはよくわからない。
珍しく鼻歌なんて歌うカミラが、ニコルには不思議で仕方がなかったのだ。
首をかしげるニコルを見ても、カミラは浮かれっぱなしだった。
「楽しいわよ。見ているだけでわくわくするの。楽隊がいて、道化がいて、食べ物の屋台が並んでね」
楽隊も道化も、王宮にもいる。食べ物の屋台はないけれど、王宮ではもっと高級な料理がふるまわれる。
それでも、町の祭りの方がきっと、ずっと楽しい。
「それで、みんな楽しんでいるの。きっと、みんなで大騒ぎするのが楽しいのよ」
大騒ぎの準備をするのも楽しい。想像するのも楽しい。アインストならいざ知らず、道楽者だらけのブルーメの町。誰もが後先考えずに楽しんでくれそうで、余計に楽しくなってくる。
――お祭りに必要なものって、どんなものかしら。
屋台のためには、町の料理屋に協力を求めるべきだろう。飾り付けには、花や布がたくさんいる。そもそものきっかけとなった、楽隊のことも忘れてはいけない。ヴィクトルたちがそれっぽく見えるよう、揃いの衣装を作ってみるのはどうだろう。
考えるほど、やりたいことが浮かんでくる。
知らず知らず緩む頬に気がついて、カミラは慌ててぱちんと叩いた。
引き締まらない。




