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4(3)-3

 物悲しいフィーネの音色は、無粋な声にさえぎられた。


「――――げっ、フィーネ! なんか聞こえると思ったら、お前か」


 唐突に割り込んできたその声に、フィーネは思わず、フルートから口を離した。

 顔を上げれば、見覚えのある少年が、階段から下りてくる姿が映る。

 細身で、少し神経質そうな顔立ちには、苦々しい表情が浮かんでいる。皮の丈夫そうな鞄を肩から下げ、その少年は地下へと駆け込んできた。

「オットー!」

 信じられない気持ちで、フィーネは声を上げた。オットーは不機嫌そうにフィーネの顔を一瞥すると、「おう」と短く、返事にもならない返事をする。

「クラウス様たちまで。なんだ、絶対誰もいないと思ったのに」

 オットーは眉をしかめると、慣れた足取りで地下の隅まで行き、腰を下ろす。地下の隅は、いつもの練習でオットーが陣取っている場所だ。彼はそこで、久しぶりの挨拶もなく、感慨もなく、いつものように鞄を広げ、楽器を取り出した。

 だが、フィーネはいつも通りとはいかない。この数日間、地下はフィーネただ一人だったのだ。

「オットー、どうして? もう誰も来ないと思ったのに……!」

「はあ? そうしたら、またお前に差を付けられるだろうが!」

 負けず嫌いな目が、フィーネを睨みつける。そうまで言われても、ピンとこない顔のフィーネに、オットーは頭を掻いた。

「音を出せるようになったのも、音階を吹けるようになったのも、いつもお前が先だっただろ。だから、外出が許されてすぐに来たんだ。なのに、またお前が先にいるんだから……」

 口をとがらせるオットーに、フィーネは瞬いた。思わず頬をおさえる。なぜだろう、笑ってしまいそうだ。


 なのに、笑い声を上げようとしたフィーネを、また別の声が邪魔する。

「ほら、フェアラート、おいでって」

「ディータ、ちょっと、私は別に……」

 ためらうような女の声と、明るいお調子者の声。眉をしかめるフェアラートと、その腕を引くディータだ。

 頬に手を当てたまま、見つめるフィーネの視線に気が付くと、ディータはちょっと照れたように頭を掻いた。

「いやあ……なんか、みんな入っていくのが見えたから。俺も気になって、ちょくちょく様子見にきてたんだけど、一人じゃ勇気出なくてさ」

 大きな体をすくませながら、ディータは頬を赤くする。口元がむずむずと動かしながら、足先は軽快に――リズムをとるように、床を叩く。

「自警団は怖いけど、なんかこう、落ち着かなくて。気が付いたらいろんなものを叩いちゃってるんだ」

「……あなたたち、馬鹿ばっかりだわ!」

 ディータの手を払い、フェアラートは腕を組んでそう言った。つんと澄ましたその横顔を見て、ディータはにやりと笑う。

「そんなこと言って、フェアラートだって気になって様子を見に来てたじゃん? ずっといたの、俺知ってるよ。俺も何度も来てたからね」

 にやにや笑いのディータの言葉を否定せず、フェアラートは「ふん」と鼻を鳴らした。居心地の悪そうな顔をしていても、彼女が素直でないことを、フィーネもみんなも知っている。

 フィーネのおさえた頬が、ぽかぽかと暖かくなる。冷たい地下は、こんなに狭くて、温かかったかしら?


「ああ、やっぱり。みんな来てる!」

 最後に飛び込んできたのは、今日一番に明るい声だった。

「ヴィクトル、私の言った通りだったでしょう!」

「ミア、ま、待って。……本当に?」

「私が嘘をついたことがある?」

 軽快なその声と共に現れたのは、ヴィクトルの婚約者であるミアだ。彼女は満足そうに地下の人々を見回すと、階上へ向けて声を上げた。

「降りてくればわかるよ。あなたの友達なんだから、自信を持ちなさい!」

 ミアの呼び声に誘われて、おずおずと下りてくるのはヴィクトルだ。大きめの四角い箱を小脇に抱え、肩を縮めるヴィクトルの背を、ミアは強く叩いた。

「しっかり!」

「う、うん。――――ええと」

 そう言って、ヴィクトルは地下にいる人々を、順に眺める。フィーネ、オットー、ディータにフェアラート。それからクラウスたち。不安の入り混じるその顔には、痛々しい殴打の跡が残っている。

「……みんな、来てくれたんだな。正直、あんなことがあって、誰も来ないと思った」

 ヴィクトルは視線を伏せ、息を吐く。肩は重たげで、頭はうつむきっぱなしだ。

「もともと俺の祝婚歌だったし、責任感じてたんだ。親父にも殴られたし――――迷惑かけてごめん」

 思いがけず殊勝なヴィクトルの様子に、フィーネたちは顔を見合わせた。

「迷惑だなんて――」

「それでさ」

 言いかけたフィーネの言葉をさえぎり、ヴィクトルは続けた。うつむいたまま地面に膝をつき、抱えていた箱を下ろす。

 自然、注目が箱に集まる。黒く塗られた革張りの箱は、見るからに高級そうだった。箱の側面には、仰々しいくらいの立派な留め具が二つ付いている。

「親父に言われたんだ。『見つかったら、迷惑を被るのはお前だけじゃない。人に迷惑をかけるようなことは二度とするな』って」

 ヴィクトルは、その留め具を慎重に外す。それから、どこか恭しい仕草で、黒い箱をそっと開けた。

「――――『こういうことは、ばれないようにやるもんだ』って」

 木箱の中に入っているのは、見るからに使い込まれた――しかし、よく手入れされたバイオリンだった。

 ヴィクトルはバイオリンを取り出すと、ようやく顔を上げた。

「次はもっと上手くやる。もう迷惑はかけない。……だから、また一緒にやってくれるか?」

 その顔に浮かぶのは、いかにもブルーメの町の人間らしい――不敵で、いたずらっぽい表情だった。




「――――本当に、呆れた町だわ」

 わっと盛り上がる、ミアを含めた六人の様子を、カミラは苦笑しながら眺めていた。

 そもそもこの店は、ヴィクトルの実家のものなのだ。その地下に、ヴィクトルたちが来る前から楽器が置かれていた、というのも妙な話。その楽器は、いったい誰のものだったのか。この地下は誰が使っていたのか。考えてみれば、すぐにたどり着くことだった。

 呆れるけれど――面白い町だ。きっとヴィクトルたちだけではない。町の誰もが、どこかに秘密を抱えているのだろう。

 ――この町だから、クラウスみたいな人間が育つわけね。

 良くも悪くも。そんなことを考えながら、カミラはなにげなくクラウスに目を向け――。

 その表情にぎょっとした。


 クラウスは、六人の姿に目を奪われていた。

 日頃は軽薄で、無気力そうな瞳が輝いている。感情が昂っているのか、頬も少し赤い。その横顔は、嬉しそうで――どこか羨ましそうだ。

「俺、ちょっと感動してる」

 誰に言うでもなく、クラウスはそう言った。

 それから、顔を引き締めるように、一度ぎゅっと目を閉じる。それでも、表情はあまり変わらない。

「こんなの、隠しておくのはもったいないでしょ」

「クラウス?」

 いぶかしむカミラを差し置いて、クラウスは一人息を吐く。それから息を吸い込んで、「おーい!」と六人に向けて声を上げた。

「せっかくなんだから、『ばれないように』なんて言うなよ!」

 クラウスの声は、ひどく楽しそうだった。それでいて――――いかにも悪い事を考えていそうだった。ヴィクトルなど目ではないくらいに不敵なその表情は、いたずらを考える子供そのものだ。

「どうせなら、演奏会をしようぜ! みんなに聞かせてやろう! ――――俺の、跡継ぎ決定記念だ。盛大な祝祭をしよう!!」

 それはまさしく、モーントン領の禁忌。あの温和なアロイスでさえ目を剥き、険しい顔でクラウスを見ている。

 本当に、呆れた男である。

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